幻想世界を楽しむ

目覚めの良い朝だ
ブラインドから白く柔らかい光が
差し込んでいる
ウッドデッキテラスのドアを開けると
心地良い空気が肌を触った
お気に入りの珈琲店で買っている
マンデリンをドリップする

微かな音量でカフェミュージックをセット
ボサノバが流れるキッチンで
熱したLODGEのスキレットに卵を2つ
新鮮なトマトにアボカド、レタス、キウイ
そしてトルティーヤ
いつもの顔ぶれ
もはや友人のようなものだ
この身体は彼らに作ってもらっている
地球という視点で眺めるとき
私はトマトであり、アボカドなのだ

時計は午前9:32を表示している

ハーブとスパイスを添えたプレートを頬張り
グリーンに溢れた空間とひとつになる
もともと旅館だったらしい古家を
好きなように改築した
間仕切りをすべて撤去し
広大なワンフロアになった

建物が持つ100年分の記憶は
いまここにある私のワンシーンとなる
因縁生起というパッケージ
私のいる次元からは
ここにやってくる前までのドラマは実在しない
いつも私が光源なのだ
私の照らした先に世界が広がっている
ライトのスイッチを入れるとき
100年がいまここに起こるのだ

食事というひとつの幻想を楽しんだあと
カウンターテーブルから
窓際の机に移動した

朝はいつもここで
進行中のビジネスプランをレビューする
ビジネスはその瞬間ごとに違った様相を見せる
それはマインドの色味が変化しているのだ
物販であれば
売れていて良しとするときも
売れておらず良しとするときもある

売れたか売れなかったかは
そのシーンの単なる要素であり
それを判断するマインドがシーンごとに変わる
マインドを眺めているとき
売れていようが売れていまいが
「良し」であることに変わりはない

そうして幻想の様子から距離を置いていると
その隙間にまるで水が流れ込んでくるように
インスピレーションが湧いてくる
意識は真空を嫌う
つまり「意識されていないところ」を
意識できないのだ

だから何かで置き換えようとする
あなたがネガティブならば
そこにネガティブな何かがセットされる

例えば子供を「苦労」の上に育て上げ
やがて自立していく
あなたが「これでやっと楽になれる」とすれば
次の日、親が脳梗塞で倒れたという一報が入る
数年後に親の介護を終えたら、
次はあなたの身体にガタが起こり出す

宇宙はポジティブもネガティブも
同等の価値としてディスプレイしている
だから何の悪意があるわけでもなく
あなたの注文通りに送り届けてくるだけだ

時計は午前10:08

人生とはコラージュだ
世のすべては
この世界にある「何か」と「何か」
その組み合わせでできている

その合成要素となる「もとの何か」も
また何かと何かが組み合わさったものだ

つまり右も左も因縁生起の法というわけである
網の目と表現されることが多いが
私はパッケージのようだと表現している

様々な発明も
その概念の上に成り立ってくる
あなたの人生もそう
何を集めて何を組み合わせるか
それが幻想世界のアーキテクチャーとなる

自分という幻想を含め
すべてはパッケージングされたもの、
そういう見解を得るとき
「ここにいた」ということがわかるようになる

それが存在であり
あなたが「存在すること」の真の姿なのだ

時計は午前10:16
すべてのシーンは
いまそこにあるシンプルな事実だ

午前10:17
妻がカウンターに腰掛けて
コーヒーを飲んでいる

午前10:19
アマゾンで注文していた牛刀が届いた
プレイリストがボサノバからジャズへ変わった

午前10:22
妻が「ドーナツあるけど食べる?」と渡してきた
いま「神戸ドーナツ プレーン」と
記された菓子を手にしている

10:29
1階の書斎にいる
ビジネスの新しいアイデアをノートにまとめている
インスピレーションをマインドが解釈する
数分前には別のマインドが置いてあった
だがいまはまた違うマインドだ
マインドはシーンごとに点在している

一体誰がノートを書いているのだろうか

いや、誰も書いていない
「書かれたノート」が次々と現れているのだ
太陽が水平線から現れるように
次々とシーンが再現される

日の出が30%と80%の状態では
その間に数値が連続しているのではない
30か80だ
無論その間にあなたにシーンがあれば
40や60もあるのだろう

10:38
少し外を歩こうと玄関先で靴を履いている

10:47
緑が茂る街路樹、通り道
ベーカリーショップからは良い匂いが漂っている

11:08
いつもの公園 穏やかな光景が広がる

11:12
ベンチに腰掛けている

11:13
11:14
 
11:15
 

私は「シーン」である

 


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  1. より:

    >>あなたの注文通りに送り届けてくれるのだ。

    これは、いわゆる、引き寄せの法則がこの世界には働いていると言うことでしょうか。マインドと現実は常にすれ違うと言うこともおっしゃっていたので、引き寄せの法則的な事には懐疑的なのかと思っていました。

    • 自分 -涅槃- より:

      >>鯤さん

      引き寄せの法則とは
      あなたの「好都合」を含めている
      そうではなく
      あなたが日々、日常、
      何の変哲もなく起こっている出来事のすべて
      それが宇宙の提示しているものだよ

      単にあなたがそれらに対して
      これは良い、これはいただけない
      ポジやネガと判断しているだけだよ
      それを捨てれば本書の言わんとしていることがわかる

  2. より:

    ところで自分さんは今、会社勤めはされてないですか?

    • 自分 -涅槃- より:

      >>鯤さん
      いまは会社経営者だ
      いずれビジネス観については伝えるが
      「循環させること」に意識を置いている

      日本での定義としては
      会社とは利益を追求するもの、とされているが
      それがそもそもの不幸の原因だ

      ビジネスとは利益を追求するものではなく
      世界を循環させるものだ

      つまり私はそういうポジションにいる

  3. 困ったさん より:

    自分さん、いつもありがとうございます。
    GWは如何でしたでしょうか。
    新緑が美しく眩しい季節です。楽しく外出されてたのではと思います。
    私のような者には輝きも、うせてみえてしまいますが自分さんなら一層、綺麗に見えてるんでしょうね。

    本日は少し実利的な事をお尋ねしたいと思います。

    >>日本での定義としては
    会社とは利益を追求するもの、とされているが それがそもそもの不幸の原因だ<<

    仰るとおりなのですが、ぺーぺーの立場ではそのシステムに従うしかありません。
    このシステム内であっても循環をいかした世界は可能なんでしょうか。
    数字をコストコスト、儲け儲け、税計算、税計算と焦らず楽しくを趣味以外で頭でっかちにならず数字を循環させる仕事の仕方って出来るんでしょうか。

    IT分野は因果関係と相関関係の違い、確立、順列、また分岐、ループ、知れるのはこんなのばっかりです。プログラマでなくとも事務関係でもPC使用する以上は関わってくる。
    メソッドや構造化プログラミングなどと重なって理解しやすい部分もありますが、会社は、あえて<問題を作り出して>分析、整理しより計算された効率化された答えを求める。これを集計しなさいの答えは、これを集計しなさいという状況、ワンシーンが浮かび上がり私がこれを集計しなければと思考してるんだなと観照なんてしてられません。

    そういえばプログラマを職種にする方は割りと鬱になる方が多いらしいですね。過度な残業の所為もあると思いますけれど・・・。
    事務にしたってここ最近は沢山のOA操作で多数の同時使用は頭がパニくり鬱になります。

    コンピュータと関わらない職種を選ぶしかないんでしょうか。しかし腰に軽度とはいえヘルニアもあるので立ち仕事は根性論でやったけど、ぎっくり腰連続併発で続かなかった。
    肉体労働は厳しいです・・・。
    会社に雇われる身をやめてリスクの高い自営に廻るなどしてお金を得るしかないんでしょうか。
    雇われる身で毎日、会社に満員電車と長時間労働に今月の支払いとに溜息つきながら無理やり起きるのではなく、明日も楽しいわくわく仕事!と心底から思えるってサラリーマンでも出来るんでしょうか・・・。

    • 自分 -涅槃- より:

      >>困ったさん

      やあ
      GWあけの勤務はどうだったかね?

      大切なのは
      自分の生活の稼ぎのために働いているのではなく
      世界に「参加している」という意識だ

      つまりひとつのイベント
      そこにあなたは参加しているに過ぎない
      ただの遊び、ただのゲーム
      そこにあなたは参加している

      「参加している」
      この言葉を刻みなさい

      街を歩くとき
      家賃の支払いをするとき
      スーパーで何かを選ぶとき

      あなたは参加している

      ワールドカップでもいいし
      ユニバーサルスタジオのパレードでもいい
      みんながひとつになってその場に参加している

      だがあなたは違う
      自分を見てほしい
      その場に及んですら、
      自分を誇示したい
      自分をわかってほしい

      数千人がひとつに参加している中で
      あなたは自分を立てたい
      USJのパレードであなたはひとり悶々とする
      それが社会でのあなたのマインドだ
      会社はつらい
      このままじゃヘルニアになる、鬱になる

      いいかい
      参加する意識を持つことでその一連のイベントは
      より強い流れとなる

      例えば自分など忘れて
      サッカーの試合に溶けてみなさい
      みんなでウェーブをやりなさい
      恥ずかしい?
      それは自分を立てている
      そうじゃない
      そこではあなたは消えるべきなのだ

      みんなも同じ
      そりゃ考えることもある
      だがその時は今に在る
      つまりサッカーの熱狂に溶けている

      ナイトクラブに行ってみなさい
      そこで雰囲気に溶けてみなさい
      踊り狂って
      名前も知らない異性と話して
      ゲラゲラ笑って
      全身でビートを感じる
      決して自分など立てちゃいけない
      自分がナイスな人間になろうなんて考えちゃいけない
      そうすると途端につまらないものとなる
      そこにいる人々はそういう人間を排除する

      社会でのあなたはどうだい?
      会社がつまらない
      税金を支払いたくない
      給料が上がらないと欲しいものも変えない
      それは自分を立てているからだ
      そういう環境に「参加」しているのだと自覚しなさい

      何もわくわく楽しくあるべきだ、とすることもない
      あなたはそこに参加しているだけなのだよ

      「私は参加している」

      この言葉にはある種のパワーがある
      それは余力を見せてくれるということだ

  4. より:

    なるほど。世界を循環させるをキーワードに生活してみたいと思います。

    • 自分 -涅槃- より:

      >>鯤さん

      開店でも起業でも
      1年で半数が姿を消す
      5年で7割、10年では9割が消える

      何年も貯金をして
      足りない分を国金などから融資をして
      夢を見た日々は何だったのか
      誰もが途方に暮れる

      最初は良いのだ
      だから着手に至った
      看板をあげることができた

      こんなサービスなら
      多くの人が喜んでもらえる
      そう思ってみんな始める

      だが少しすると
      目先の利益ばかりに囚われてしまう
      世のため人のための事業が
      自分のためとなる

      ビジネスの基本は
      己を捨て、世界に溶けることなのだよ

      長年事業を維持できている経営者は
      スピリチュアルなど知らなくとも
      「いまここ」に意識を向けることをわかっている

      突然のトラブルで
      急遽、数百万という金が必要なとき
      思考を巡らせても不可能なのに
      なぜかちゃんと運ばれてくる
      必要なときに用意される
      そういう体験を繰り返しながら
      「すべては流れの中に在った」ということを知るのだ

      もはや「理屈」はない
      ただ、運ばれてくるのだよ

      これがわかるかね?
      ただあるがままにあること
      それが循環を止めない「コツ」だ

  5. より:

    最近、気が付いたら仕事が終わっていた。と言う感覚が戻ってきました。
    丁度、夢を見ている意識に近いですね。

    一方で、今日は夢を見ました。
    とあるヤンキー(不良少年)に絡まれる夢で、少年と言ってもゴリラみたいな体格をした暴力団顔負けの者ですが、何十年経っても夢に現れてきます。
    この分だと死ぬ間際にも出てきそうなのですが、特に実害は無いとは言え、何とかならないものなのでしょうか

    • 自分 -涅槃- より:

      >>鯤さん

      >>気が付いたら仕事が終わっていた
      よろしい
      あなたは無為自然の境地に入っていた

      夢はあなたの心の投影が光景となる
      大切なのは
      その夢の中でどんな心境だったかということだ
      そしてその「心境」が現実を作っている

      夢はヒントを提示してくれるのだよ
      あなたが夢を見なくなったとき
      それは幻想を「脱した」ということだ

  6. 困ったさん より:

    「参加している」はいい感じですね。
    それを出来るだけは意識したいと思います。

    >>GWあけの勤務はどうだったかね?
    わはははは。それがですね。
    転職中の為のエクセルワード、パワポ、アクセス漬け。
    (帰ってきたけど、おかん出て行ったし笑)
    静かに隙間時間に漫画も結構みれて思ったより悪くはなかったんですが(ちょっぴりはどこにも行けず寂しいけど)

    前の会社も派遣だったんですが沢山OA操作と労務費調査、積算と雑務のイっぱいオっぱいで契約内容と大幅にズレてたので更新時期に確認だけしてもらったら切られちゃいました(笑)。でも2か月分はちゃんと100%給与保障してくれたし、まあ、いっぱいおっぱいでもやれるだけはやったから後悔や恨みとかも契約違反自体には無く、これもまあ、流れかなと思えるくらいあっさりしてるんですが・・・。(慣れも多少ある)
    流せないのは失業保険がまだでる月数満たせてない。
    また、新入社員入った時期だけに応募しても応募しても全滅。もちろん派遣でなく正社員も長年応募してますが年齢ゆえに送付するだけ郵送代無駄になってきてるんで、正社員はおまじない的に履歴書郵送続けてます。
    職種にもこだわらず色んな分野にも面接いってるんですけど結局、経験が一番長いのは事務系、OA操作になってきてしまうので・・・。確率的に向こうからお声がかかるのはOA系が多いです。それに一度経験から外れるとブランク扱いになって経験職種にも中々、戻れないんですね(泣)社会はキビシー!

    仕事はこだわってません。以前、ぎっくり腰連発は深夜勤務のコンビニお弁当ラインだったし割となんでもはやってきて気楽な面もあるのですがなんせ体力と気力とお駄賃が・・・。

    マネーマネー、エゴマインドどっぷりですが新入社員で入ってる方々も5月病という病にかかりやすい時期ですし、私のエゴマインドをうまくシンクロして自分さんから最良のお答えがいただけるかも??と。ウソです。

    >>そこにいる人々はそういう人間を排除する<<
    これもよく解ります。
    ノリが悪いって奴ですね。
    実は私、下戸なんですが、酒の場でよく酒飲みの人に言われます。私は雰囲気は好きですといってるのだけど「自分は酔っ払って恥ずかしい事しても忘れてるが飲めない奴が冷静に憶えられてると思うと酔えないから嫌だ」と。だから飲めないのを承知な人とでないと酒の場にでむきません。
    ショットは好きで軽いカクテル、薄い水割り一杯程度はおいしく感じ雰囲気も好きなんですが母方の家系が下戸で吐くし貧血おこすし喘息だして倒れてマジ救急車ものだから調よほど良くないと飲まない。仕事は正直、下戸な私にとっての酒のようなもんです。雰囲気は嫌いではないが立て続けると酔う前に飲まれて体質的に落ちる(気絶的な意味で)

    踊りはもうちょっと若いときよくいってました。年のせいかヒップホップで腰いわすのでもう通ってないけれどノリが悪ければ一気につまんないのも確かです。踊りまくれて馬鹿になれなきゃ音楽もやかましいだけ、苦痛の場になる。この年でもノレる時のタマには楽しくも感じもします。

    解るけれど本音いうともう寝ていたいです。
    ぼけーと緑みながらボケーとしたい。
    最近の状況は毎月の支払いの為に参加しにいくという心境です。参加するために毎月の支払いがあるのか毎月の支払いの為、参加するのかよく解らなくなってきました。
    面倒だけど動かなきゃ一銭にもならにゃいっしょ。とりあえずやりゃ何とかならあな。
    動かなきゃ結局、支払いに追いつかれるっしょ!とりあえずスキルあげときゃいいんだよ。又、探す羽目になって又チェックさせられる羽目になるんだから。あげときゃとりあえず仕事にゃありつける。支払いは何とかなる!のハッパな繰り返し。
    正直に・・・。ちょっと疲れてます。
    参加してるって自覚より追い立てられてる感が消えません。
    とりあえずノリのいいフリは出来るのでフリはしてますが頭の奥底で「しんどいなぁ・・・」
    感が消えません。こういう時はどうしたらよろしいと思われるでしょうか。思い切って果報は寝て待てでしょうか。それとも今までと同じように動けば確率は多少でも上がる!と面接、面接、スキルアップ、スキルアップでしょうか・・・。ちょっとアップアップでうまくエゴな思考も深く回らないのはお得な感覚もありますが合いも変わらず長文でマネーエゴ満載です。
    全国の就職浪人及び5月病新入社員の為にも深刻でなく閃いた感覚の時に何かよいアイデアが浮かびましたらよろしくお願いいたします。

    • 自分 -涅槃- より:

      >>困ったさん

      >毎月の支払いの為に

      ある理由を作り
      その理由のために行動することを
      制限という

      制限といえばネガティブな匂いがあるが
      そうではなく
      それが人間として生まれてきたあなたのマジックなのだ

      自己管理の法でも伝えている通り
      漠然とした大地で立っているだけでは
      為す術もない

      だから空間の中でカテゴライズする

      あなたが人生で「ダンスをする」を生み出せば
      年齢や肉体がどうであろうと
      そこにダンスをする世界が起こる

      無論、年齢に意識を置いておれば
      ダンスをする度に年齢という制約を感じるだろう
      それはダンスという中に年齢という枠を作っているからだ
      もしあなたが年齢という枠をやめれば
      純粋にダンスをすることだけが残る
      ダンスは最初はうまくならない
      それをネガティブと取ればそうなる
      最初はそういうもの、とすれば
      ネガティブという枠はないことになる

      あなたの場合は
      「仕事」「お金」「現況」
      そういったものを作り出している
      そしてそれらの枠内で活動しているのだ

      お金という枠を作ると何が起こる?
      お金がない、お金が足りない、お金をどうしよう?
      そういうアウトラインが形成される

      どれだけお金を稼いでいても
      お金という枠内で泳いでいる限り
      失うかもしれないという観念は常につきまとう

      お金に困らない人というのは
      たくさん持っているというのではなく
      そこに意識を向けていないのだ
      1歳の子供もそう
      彼らはお金に困っていない
      請求書の支払いに策を練らない

      >>ノリが悪いって奴ですね。

      あなたは要点を逃している
      そうではないよ

      ノリとは流れのことだ
      その場の空気そのもの
      そこに溶けているかどうか

      つまり、あなたがコメントで書いているような
      そういう自意識を捨てているかどうかだ

      あなたもご承知の通り
      質問やコメントというのは
      エゴの象徴となる

      だがそこに風情がある

      風情という枠を作っているから
      それが起こる

  7. より:

    ゲームに参加すると言う形もあれば、ゲームを起こすと言う在り方も在るわけですな。それとも「人」はゲームメーカーにはなり得ないものなのでしょうか。

    イタリアン料理店で、この文章を書いてます。
    ラテンの音楽が流れ、若い店員がパスタを運んでいます。今、私は客としてこのゲームに参加している。

    • 自分 -涅槃- より:

      >>鯤さん

      もちろんあなたがゲームそのものだ

      あなたはイタリアン料理店にいるのではない

      あなたがイタリアン料理店であり
      食器の擦れる音
      人々の談話
      BGM
      チーズの香り
      心地よい湿度
      それらすべてが「あなた」なのだよ

      フィールグッドかね?

      よろしい

  8. より:

    最近、陶芸などを始めたのですが、こういうことに関しては自然に無為自然の境地にはいって行けます。そして、作品も「客観的」なものが作れます。
    しかし、多分、表面的な形の違いに過ぎないのかもしれませんが、会社の仕事だと、前日から物凄い決意で望み、早起きして座禅を組み、マントラを千回位唱えて、昼休みも便所に篭り涅槃の書を読み返してようやく、無為自然の境地に少しだけ入れるが、悲しいかな仕事は「主観的」でミスが多いと言う。

    • 自分 -涅槃- より:

      >>鯤さん
      あなたがマインドから距離を置くとき
      あなたは何もしていないという様子になる
      それが無為自然

      つまり世界が勝手に流れていることを知る

      だが日頃のあなたは
      その流れに四苦八苦する

      流れは流れだ
      いつも止めどなく流れ続けている

      だがそこに同化するかしないか
      それだけの違い
      陶芸と会社
      あなたの意識の向け方の違いを観察してみなさい

      どちらも同じでいいのだよ

      趣味は良いことだ
      没頭できる世界があることで
      そうではない状態に気付くことができる

      内容はなんでもいい
      こだわらずにどんどん世界を広げていきなさい

  9. 困ったさん より:

    昨日、ふとした事というか・・・。
    以前から思ってたんですが
    下の記事のリンクは自動循環ですよね。

    どういうプログラムかは存じませんが
    何かの条件のもと、最上に上がってきてるんですよね?いや、あんまり関係ないかな、なんとなくタイトルの意味を考えず開くと、その時思った、疑問に応じてそれに対応した記事が現れるから。
    ちょっと慣れた間があるから、どうでもいい感じもあるけど、時間と空間についての自分さんの記事の内容はそういう体験をしたあとなら静かに腑に落ちます。あの時はサラっと読んだが今のこの疑問のために過去書かれた設定か・・・とか。

    それでも矛盾は気持ち悪いものです。
    例をだせば未だに腑に落とせない記事はプロ意識について。自らがプロと思い込もうとすれば重圧がかかる、プロと呼ぶのはあくまで外部だはとても腑に落ちました・・・。ただその時、売春婦の話が例にだされていましたがプロ意識を持てば彼女の精神はズタズタになったでしょうが彼女がそもそもその仕事を嫌で、その役柄を降りたくて仕方なかった時も
    彼女の精神は壊さなければもたなかったと思うのです。たとえ、自らの運命を受け入れて淡々と仕事をこなしていたとしても、そこに幸福感はあったのか。自らの身と置き換えて考えるととても耐えられない。それが常識や感覚に縛られた幻想であり、
    私の主観で見てるだけで彼女を不幸だと見てるから不幸そうな彼女が見えるだけ・・・。

    だけどそれは割り切るものでもないでしょうから・・・。淡々と仕事して泣いている彼女を見て、実は彼女は幸福なんだよとなんて心底からは思えませんから。割と誰しもがなりたくはない職業ですし。

    中には本当にそういう職業を天職にされてるような方もいるとは思います。だけどそれは私が勝手に色々な彼女が不幸そうだ、乱れてるとかおかしいとかレッテルつけても目に映るのは幸福そうな彼女なら何もそこに疑問は生まれません。モラル的にはどうか解らないけど人それぞれで天職あってよかったね・・・。とか思えるだろうけれど・・・。

    目に映るものに対し、私の主観が生まれるから。
    泣いてる光景が写ってたら可哀想にと感じるのも
    職業や状況が何であろうと幸せそうに笑ってたら、よかったねって出る感覚は自動制御みたいなものだから・・・。ここは未だに腑に落ち切れません。

    • 自分 -涅槃- より:

      >>困ったさん

      あなたは売春婦が不幸だという前提で書いているが
      それはあなたの世界の話だ

      私にとっては日本の総理大臣も売春婦も同じベクトルにある
      不幸とみれば、彼らは不幸となるし
      マイウェイを貫いているとみれば、そうなる

      つまりすべては受取り手が作り出しているのだよ
      あなたの世界ならば、あなたが彼らに生命を与えている

      じゃああなたが生命を与えない本当の彼らとは
      一体どういう姿なのだろう?

      わかるかね

      実在しないのだよ
      すべてあなたの印象だけで世界は作られている
      あなたがこの世は地獄だとすれば、そうだ
      それはとてつもない地獄なのだろう

      だから私はあなたを救うことはできない
      あなたが何者であるかだけは教えることができたとしてもね

      最後にもうひとつ

      「彼らは実在しない」
      それはあなたもそうなのだよ

  10. より:

    路上で「手相見せてくれませんか?」とか言われて、「結構です」と断るのは流れを止めてるのでしょうか。
    別にせき止めても良い流れと言うのもありませんか?
    マージャンで例えれば、役満で上がる流れを発見して、中か発が来るのを待っていると言う状態。
    パイの流れは、こちらの都合通りに流れている訳ではなく、発も中も来ないかもしれない。
    でも、来る確率が非常に高い流れもあるでしょう。しかし当人が上がろうと思わなければその流れも無いのと一緒ですね。
    人生はマージャンのようなものだとすれば楽しいのかも知れないですね。
    たまに役満が出来る流れもあるし、ブタばかりと言うこともあるでしょうね。

    • 自分 -涅槃- より:

      鯤さん
      >結構です」と断るのは流れを止めてるのでしょうか。
      心の中に重さがあればそれが抵抗だ
      逆に考えてみるといい

      横で何か音がして
      とっさに振り向いたとき
      それは自然な行為だ
      そこに抵抗はない
      つまりマインドが関与していない

      だが周囲に人々がいて
      あなたは注意を張り巡らせている
      そして音がする
      あなたはそちらを向こうか、向くまいか思案する

      手相を見せてくれと言われ
      スッと手を出しているのならそれが流れだ
      または
      ごく自然にNOというならばそれも流れだ
      だからせき止めるなどの問題ではないのだよ
      あなたがごく自然に溶けているかどうかだ

      ただし
      無意識というのはまた違う

      音がしたとき
      とっさに振り向く
      振り向いたことすら気がついていない場合が多い

      そうではなく
      振り向いている己の姿を見るのだよ

      視界がパーッと明るくなれば
      自己観照しているということだ
      その状態のとき
      心の抵抗はゼロとなる
      YESともNOとも
      流れのままに、口にしている

  11. より:

    陶器の人形を製作してると、物に命を吹き込んでいるのは制作者である私の意識であると言うことが意識される妙な感覚があります。粘土が泥人形となり、人格を持った人になる瞬間があります。
    顔の形が生じると、そこに人格が宿ります。
    力を加えると、命が消えて、元の粘土になってしまいます。

    • 自分 -涅槃- より:

      鯤さん
      その話は禅に通ずるものがあるね
      あなたのそれは美しい経験だ
      聞かせてくれてありがとう

      親しい人を亡くすとわかることだが
      (このような理解に及ぶかどうかは別としてね、)

      生きている間は
      探せばどこかにいた
      だが死んでしまったら
      探してもどこにもいない
      だが、より近くに感じるようになる

      もう距離も超えたすぐ近く
      自分を包み込んでいるような状態
      話しかければすぐに返答がくる

      身内を亡くして
      誰もがそのようになるが
      多くの人は理屈で考えてしまうゆえに
      その状態が理解できない
      だからより混乱する
      錯乱状態となる

      そうじゃなく
      すべて「ひとつ」なのだよ
      意識というワンネス

      水滴が湖に落ちる
      水滴というカタチは見えなくなるが
      消滅したわけじゃない

      気泡が水面に向けて浮かび上がる
      水面に出たときカタチは見えなくなるが
      消滅はしていない

      だからあなたの人形は
      あなたという「空」から生じて
      そしてその空へ戻っていった

      現実のすべては同じことだよ

      ひとつ余談だが
      憎んでいた人が死んでしまった場合
      一生憎しみの念に付きまとわれることになる
      それまでは、離れた場所にいた
      だがもうすぐそばにいる

      唯一カタチとして生じているのは自分自身なので
      そこを見抜かない限り
      その人は一生罪の意識を背負うことになる

      だから怨恨殺人や憎しみ、
      それらは必ず自分自身に還ってくるシステムとなっている
      行為の内容ではなく
      それに伴う罪悪感が自分を締め付けるようになる

      コメントは多くの人が読んでいるようだから
      ここであえて書かせてもらっておくが
      肝に銘じておくようにしなさい

  12. より:

    前にも書きましたが、私が十代の時に、ものすごい暴力を受けて、未だに夢でうなされる事があるのですが、ある意味で、私が彼を潜在意識で憎んで居たり恐れているから、彼は未だにそのようなものとして、枕元に立つんでしょうね。
    しかし、潜在意識の恐怖なので私には念仏を唱えて成仏を願う事くらいしか出来ることがありません。
    彼は私の暴力衝動の化身だったのでしょうか。彼が今、生きてるかどうかわかりませんが、少なくとも私が許さない限りは、夢の中で大活躍してますからね。
    しかし、許すも許さないもエゴの力ではどうにもなら無いのも事実。
    前世のカルマとかそう言うものを想定せざるを得ない。
    菊池寛の小説『恩讐の彼方』の坊さんのように、貴方が私を斬るのは当然の報いです。さあ、斬りなさい。
    やはり因果応報なのではなかろうか
    何か彼には私を苦しめる当然の権利があるかもしれない。過去の行いの報いだと思って、アングリマーラの如く気が済むまで殴られようと思います。

    • 自分 -涅槃- より:

      鯤さん
      そうではないよ
      彼があなただ
      だからあなたの中に登場する

      ひとは自他分離の罠にはまる
      だからややこしくなる

      覚えておきなさい
      あなたの知っているひとはすべて
      あなただ

      それはテレビのアイドルもそうだし
      電車で乗り合わせた乗客もそう

      すべてあなたなのだよ
      あなたはあなたを見ている
      この事実をね
      最初には思い込みでもいいから
      少しずつ受け入れていきなさい

      あなたの過去に暴力はあったのだろう
      だがその行為には意味はなく
      それが「あった」ということだけだ

      あなたが自分自身を捨て去るとき
      すべてから解放されるだろう

      あなたはいないと知るのだ
      文字通りの解放となる

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