苦悩の次元を数段上から覗いてみる

いつも多くのコメントを頂いている
投稿者がコメント掲載を希望せず
個人的なメッセージとして
送られてくるものも多い

また古い記事でコメントの
やり取りが続いてしまい
閲覧に不便さが出ているものもある

そこで今回の記述は
すべての人々への回答としておこう
下の赤字はよく頂くコメントの内容を
アレンジしたものだ
この記述は「あなた」に送るものだよ

 

返信

 

「幸せになりたいだけなんですが
ブログの話をどう受け取ればいいのか
いつもわからないままです

幸せについて書かれているようですが
私にすれば、
それとは全く関係のないお話に聞こえます
私はお金が欲しいですし
それ以前に一緒に暮らす母への
憎しみが募る毎日です
そういったことから開放されるか
お金を引き寄せる方法が知りたいのです
どちらにしても
自由になりたいというのが本心です
具体的な方法をご教示ください」

 

まず私の話を理解するには
あなたの理解を変える必要がある
全く野球を知らない人が
生まれて初めて野球の試合を見て
「玉を投げて棒を振り回して何が楽しいのだ?」
あなたが言ってるのはそういうことだ

あなたのすべては正しい
あなたの経験だけが
あなたの人生だからだ

つまりあなたの知ったことだけで
その地球は回っている

確かに玉を投げて
棒を振り回して何が楽しいのだろう?
そこに楽しさを見出しているものが
野球を知っているということであり、
その概念から離れて見てみると
ただ玉と棒があるだけだ

「ああ、よく見ればこれがこうなって‥」
という洞察があり
自分の知っている似たものと照合する

そういう手順を踏まない限り
あなたに野球の興味などかすりもしない
これがあなたが「概念」とするすべての正体だ
つまり野球はあなたが作ったものなのだ
そこにあるのは、玉と棒、
それらを扱う人間の姿

そしてこれはあなたの質問にも同じことが言える

あなたは疑問を持っているから
当然そのように質問をしている
だが「あなたのその疑問」を
問題視しない人からすれば
「一体何を言ってるのか意味がわからない」
あなたはそう言われる

あなたが私の話の意味がわからないように
あなたの話の意味もわからない人がいる

この話の意味するところ
それはつまりは私が日ごろ話していることだ
全てはあなたの捉え方で世界ができている
それが直接的なことであろうが
意識的なことであろうが
すべてあなたの経験だ

スピリチュアルを必要としない人たちから見れば
このやり取りはとても滑稽な様子だろう
あなたを始めとして
本書を読んでいる数百の人々、
彼らは何かを変えたいからここにくる

だがその何かを
変える必要のない人たちもたくさんいる
彼らからしてみれば
何をそんなに必死になっているのだろう
そう思っている
「普通に暮らしていけばいいじゃん」とね
そのように軽く言い放てることが
あなたにとっての「悟り」なのだろう
あなたにとっての目標なのだろう

あなたは1つの位置からしか
物事を見ていない
だから世界が固定されている
本書が「多くの視点を持ちなさい」というが
それをあなたが聞いたところで
まるで意味がわからない

同じ場所に沢山のレンズを置くことに
あなたは疑問を感じる
「どのレンズを覗いても同じ光景なんですが」
という
そりゃそうだ

あなたはまるで意味がわかっていない
多面的な視野とは
同じ場所にレンズを沢山置くことではない

その場所にも数億光年先の上空にも
レンズを置くということだ

そこであなたは混乱する
そんな行ったこともないところに
どうやってレンズを起きにいくのですか、とね

いいかい、すべてはあなたの頭の中だ
簡単にそこへレンズを置くことができる
あなたのその「常識」を溶かさない限り
その世界は固定されたままだ

つまり同じ場所を生きている他の人は
あなたとは全く違う世界を見ていること
あなたはそれすらも知らない

忘れ物をしていること自体を忘れている
そういう人はこのように言う
「私は忘れ物をしたことがありません」
それがあなただ
周囲の人からすれば一目瞭然なのに
あなたは意味がわからない

そういう理解の末に
世界とは自分しかおらず
自分が作っているのだという
気付きの糸口になる

もちろん、
私の世界でのあなたの質問とは
私が私に質問しているのだ
そして私が私に答えている

だからあなたは何かが起こる度に
「違うな、これは私が自分にしていることだ」と
思い出しなさい

これも意味がわからないだろうがね
最初は思い込みでいい
その通りにしてみることだ

大切なのは
「いまここで、こういう話を読んだ」
ということ
内容はどうでもいいのだよ

私といま関わったことが大事だ
その内容はどうでもいい
本書にコメントをしたこと
質問をしたこと、それらがすべてであり
その内容はどうでもいいのだ

その出来事だけがあった
それだけでいい
内容とはあなたの「野球」だ
そうではなく
「玉と棒があった」
それだけが事実だ

それゆえにあなたは私の返答に
物足りなさがあることに気が付いている

その妙な違和感に
マインドがうめき声をあげている

その通り
誰が疑問を持ってきても
私はその内容には一切答えていない
文章は確かにそれっぽくはある
だがあなたが私の返答に
違和感を感じているように
私はその「表面的」な問題よりも
本質について答えている

だから「あなたが話している内容」に
私は何一つ答えていない
常にそこに気がつきなさい
話の内容には何の意味もないのだ

いいかい、あなたが
「今そこで何かを尋ねているという事」だけが
大事なのだよ

一体どこからが高くてどこからか低いのだろう
そんなことは私は知らない

ただ、それについて「いま考えている」
それは事実だ

私は「あなたはいまそれを考えている」ということ
それを見たままに答えることができる

考えている内容に騙されてはいけないよ
あなたはそれを考えていることを
「している」のだ
その行為だけが事実なのだよ

つまりその容れ物が本質なのだ

いつも中身のない筒のようでありなさい
そこを「世界」が通り抜ける
それがあなたなのだよ

あなたは「野球」について質問するが
私には、玉と棒、それを扱う人間の姿だけが映る
私はそれについては答えることができる

だがあなたの「野球」はあなたのものだ
それは私にはわからない

だがよく落ち着いて見てみなさい
そこには玉と棒、
それを扱う人間の姿があるだけだ

そのシュールな世界に気付いたとき
あなたは自分で自分を苦しめていたことに
笑い出すのだよ

 

この記事を保存・共有できます。

Notes , , , ,

コメント・質疑応答

会員記事のコメントは記事上ではログインしないと表示されません。
会員の方はユーザー名が入ってしまうので別名を希望の方はこちらで申請してください。
連続投稿する場合は「自分の最初のコメントに返信」してください。
記事に無関係なコメントは禁止です。良識の範囲内でご利用ください。
業者からのスパム広告を防止するシステムを採用しています。短期間内に連続投稿をするとシステムにスパム登録されてしまい一切の投稿ができなくなりますのでご注意ください。

  1. より:

    涅槃の書は全部読んだと思ってたんだけどこんな記事があったんだなぁ。知らなかった。
    涅槃の書の全てが書かれてる記事ですね。
    こんなの絶対見逃したはずないんだけどなぁ…。

    ちゃうな!これが見たら見えるということね。今現れたんだ。見たから。私は今そう考えている。をしている事が全てなのね。これが大事で事実で全部なのね。
    ここで今読んだって事が起こり、今コメント書いてることが尊いのね。
    解釈するとこ、理解することじゃ本質は掴めないね。
    世界は掴むもんじゃないって事が分かってきたっす。

  2. ワモノ より:

    >つまりその容れ物が本質なのだ
    >いつも中身のない筒のようでありなさい
    >そこを「世界」が通り抜ける

    この文章が何となくしっくりくる。
    と同時にモヤモヤする。何か掴めそうで掴みきれない。

    「考えている」をしている?
    それが経験?今起きていること?内容は関係なくて映画に出てくる人物が考えているシーンを観ているみたいな感じ?

    「どうやったら遠くに飛ばせるだろうか」「どの玉だったら三振とれるだろうか」
    『考えている人』と『思考』と『玉と棒』がただあるのを観ている経験している今がある
    4回表も9回裏も観ている私を『野球』が通り抜けていく
    試合内容も試合結果も大事じゃなくて「玉が棒に当たる瞬間」「ランナーを牽制する瞬間」「レフトがボールを取る瞬間」意味の無い一瞬一瞬がただ起きている。それが起きた瞬間の音や色や匂いや暑さや感情を観ている

    久々か初めてか忘れたけどこの記事読めてラッキー

コメント・質疑応答

  関連記事