そこに正義を置けば悪も一緒に並べられる

何かを守ろうとすれば
問題が押し寄せてくる
これはエゴ世界の基本となる

あなたが遺産相続して
その金を守ろうとすれば
すべてが敵となる
金が減っていく出来事が次々と起こる

あなたが結婚して
その家庭を守ろうとすれば
関係するすべてが脅かしてくる
近所やら子供の通う学校やらで問題が起き
あなたは赴任で飛ばされたり
会社に行けば嫌な上司が鎮座する

だがそれらは
最初からあるがままの姿だったのだよ
あなたの見え方が変わっているだけだ
学校での問題はただの出来事だったし
会社の上司はただの人格のひとつだ
だがあなたが守ろうとすればするほど
すべてが高レベルのプレッシャーに変貌する

一億円が入ったバッグを持って歩けば
すれ違う人々すべてに警戒心を持つように
エゴのモーションは非常に単純なもの

今日は前髪がいけてない
通り過ぎる人たちが自分を笑っているように見える
いつものような素敵な気分になれない

いいかい
すべてはあなたが創り出している
二元性の原則とはこういうことだよ

守る=脅かされる
勝ちたい=負けるかもしれない
欲しい=得られない

つまり何かを守りたいとすれば
守るという世界と
守らなければならない状況が発生する
守るためには、その理由が必要だからね
理由もなければ守る必要がない
しかもそれらはすべて「脳内」だけの話だ

つまり正義が存在すれば
悪も同時にセッティングされる
そうではなければ正義が存在できないからだ

スピリチュアルでよく取り沙汰される話だが
これを理解しておくと
あなたの人生はガラっと変わるから
よく覚えておきなさい

あなたの主張
それは主張しなければならない出来事を起こす
逆にいえば
主張しなければならない出来事が起こるから
あなたは主張する

この輪廻を抜ける方法は簡単だ

主張しなければならない出来事
それが起こったとき
主張しなければいい

つまり前髪がいけてない
そのまま放っておきなさい

結婚して家庭ができた
そのまま放っておきなさい

相続した
そのまま放っておきなさい

笑われたとしても
危害を加えられたとしても
金が減っても
放っておきなさい

あなたには関係のないことなのだよ
なぜならば
それらの出来事が表示されているテレビ画面
それを見ているのが本来のあなたであり
真のあなたとは視聴者に過ぎないからだ

「関係のあること」とするから
様々な物事が「問題」と化する

何も減らないし
何も危害もない

すべては画面上の出来事
もしあなたがそこまで悟れなくても
そのように認識をする癖を付けることで
どんな問題が起こったところで
何の対処もせず
そのまま流していくだろう

もともとそうだったのだ
あなたがどんなに対応をしようがしまいが
流れる物事はいつも同じ
「片手で大木を持ち上げる」ということを
会得しなさい

 

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コメント・質疑応答

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  1. 匿名 より:

    初めてコメントさせてもらいます。

    記事の大半は私には難しくてわからないことが多いんですけど、頭が悪いのがスピリチュアルにはまるとろくなことないですね。

    毎日がエゴゲームで毎日が苦しい。
    本当の自分もわからず何をしていいのかも分からず、エゴが強いのか守って守って、毎日執着の連続です。

    仕事は営業です。毎日必死です。
    でも、現実的にも対処しても、内側をコントロールしてもダメな奴はダメだし、私には手放すことは出来ない。

    こうしたからこうなった。
    ああしたからこうなった

    敵や試練を作り上げてるんでしょうね。
    でも抜けれない。あまりに迫真の演技と感情からの威圧で飲まれてしまう

    どうしたらループから抜けれますか?
    どうしたら楽になれますか?
    自信が無い。全てにおいて。

    どうしたらいいですか?

    • 自分 -涅槃- より:

      >>匿名さん

      営業廻りとのことだから
      いまは外かな?
      ではそこの風景が
      あなたに何か伝えていることに
      まず気が付きなさい

      あなたは自分から世界に手を伸ばそうと
      頑張ってきた
      どれだけ伸ばしても届かなかっただろう?
      それでいい
      それも大切なことだ

      だけどね
      本当は世界の方があなたに手を伸ばしている
      あなたはそれに気が付いていない

      心を静かにして
      その雑踏の中に溶けてみなさい
      不安なことや
      やらなければならないという責任など
      そんなことを他人ごとのように捉えなさい
      何もしなくていい

      あなたは道に迷っているだけなのだ
      どこかへ向かおうとしている
      どこかへ進まないといけないと思い込んでいる
      なぜだい?

      よく考えてみなさい

      いいかい
      行き先なんてないのだよ
      どこかへ行く必要はない

      やることがあるならやればいい
      だがそれに意味はない
      つまり目的地はないのだ
      どこかへ進もうということをやめれば
      あなたは迷わなくなる

      あなたが迷わなくなったら
      それまでの敵が敵ではなくなっているから
      すぐわかるよ

  2. 匿名 より:

    ここに辿り着いて難しい内容ばっかりだったけど、読んでいたら力が抜けて、このままで流れたらいいのか。
    自作自演だったのかとふと冷静になって、流れてみました。
    私の望んだ結果はきちんと出て、やっぱり、試練やら檻やらは、私が作っていたんだなって思いました

    日常は敵ではないんですね。
    世界が手を伸ばそうとしてきてる
    この言葉がふと、目につきました。
    願いを叶えたいエゴのエサになるので、いまは思考しない心地良さを味わいます

    ありがとうございます。
    ここにきたら落ち着きます

    • 自分 -涅槃- より:

      >>匿名さん

      その通り、多くの人は自作自演劇の中にいる
      スピリチュアルでは夢の中にいると表現される

      幻想
      地獄
      不幸
      低次
      ホログラム

      どの表現も
      要は自作自演劇のことだ

      あなたはそれを理解しようとしている
      だがその「理解しようとしている」すら
      自作自演となる

      例えば悲しいとき
      本当に悲しいのかね?

      悲しもうとしている自分がいる
      そこを見つけなさい

      怖いとき
      本当に怖いのかね
      怒りに満ちているとき
      本当に怒っているのかね

      それを「しようとしている自分」
      それがいるはずだ

      それを見つけたら
      今度はそれを見ている
      もうひとりの冷静な自分がいることがわかる

      あなたは自演している役者と
      その観客の両方を行き来している
      それを覚えておきなさい

      例えば苦手な客に会うとき
      あなたはいつものパターンの自分を演じてしまう
      少しオドオドしていて
      頼りない様子で
      愛想笑いが基本設定だ

      心の中では
      「どうしよう、事がうまく進んでくれ」と
      焦るばかり

      後になって、
      ああまたいつもの「フリ」を演じていたとなる

      だから少し変えてみよう
      これは効果的なマジックだ

      最初からフリを演じているとして
      いつもの自演劇をやりなさい
      後で「フリ」をしていたと思い返すのではなく
      舞台に上がる前から
      さあ、いまから自分を演じるぞ、とやりなさい

      すると本来の自分で世界を歩くことができるだろう
      人と話すのが苦手な人は
      苦手な自分を演じながら話せば
      いつもの「苦手な自分」が出てこなくなる

      普段はね、
      苦手な自分を出してはダメだとするから
      「苦手ではない自分」を演じているのだよ

      ダメな自分を自ら演じてみれば
      あなたは役者を見る観客になる
      そのとき、その「自作自演劇」はただのショウとなるのだよ

  3. 匿名 より:

    得るために何かをやるのがとても嫌というか怖いんです。

    得るためにやると得ることが出来ない
    得る為にそうしてるんです。

    毎日毎日得るために生きるのがしんどい。

    あるがままに解放して生きていきたいです

    思考で出した答えって次の日もうまくいったプロセスとしてストックされますね。
    もっと楽になりたいです。

    エゴの存在ってなんのためにあるんだろう
    で、なんでこんな強烈なんでしょうか。

    オドオドした自分を演じるのは良くない。
    と騒ぎ立ててます笑

  4. 匿名 より:

    ごめんなさい。
    なんかエゴ大暴れで本当に辛い
    同一視→疲れてやめる→うまくいく→こうやればうまくいく→コントロールやればうまくいかない→同一視以下ループ

    こんなのを知識を詰め込み過ぎてずっとずっと1年以上続けてます

    世界が優しいだなんて絶対信じない
    得るためには何かをしないといけない
    だからやらないといけない
    私は上がり下がりがないのはつまらないから嫌だ
    私がやる
    私が変える

    強烈な観念です。
    私が〜私の〜

    常に私。私。私。で頭の中は私でいっぱい
    唯一落ち着けるのはエゴが落ち着いている時

    策が尽きた感じです。私の人生を諦めたほうがいいのかな。
    スタートから間違えてたのかな。
    ずっとずっと同一視してしまって、気づいても乗っ取られてしまう

    もう疲れました。

    • 自分 -涅槃- より:

      >>匿名さん
      釈迦は「不可思議」という言葉を使っていた
      どういう意味がわかるかね?

      思議とは「考える」ということ
      不可は「できない」だ
      つまりノーマインド

      あなたが何も考えずに
      ただ「起こり」のままに身を任せること

      あなたの話はすべて
      あなたの考え方から来ているのだから
      単に考えなければいいということになる

      しかしなかなかできないだろう
      なぜならばマインドがマインドを制したところで
      その枠内に収まる回答しか返ってこないからだ

      つまり
      考えないということを実行するようになる
      堂々巡りの結果になる

      だからね、ひとつ視点を上昇させなさい
      例えば今日という1日の中で起こす行動
      そのひとつひとつに目を向けるのではなく
      全体を見るのだよ

      あなたが仕事をしていて思い悩んでいるならば
      その仕事が行われている街全体を意識してみる
      あなたの仕事とは街の循環作用のひとつだ
      あなたの日々とは
      そこに組み込まれた流れであることがわかる

      そのように視点を変えてみると
      あなたの感情などは何の意味もないことがわかる

      あなたのいう「私」など
      一体どういう理由があるのだろう?

      世界に参加しなさい
      あなたは参加していないから迷うのだよ

  5. 匿名 より:

    今外です
    それも出来たらいいのに、参加出来たらいいのに、みんなが言うこと実践出来たらいいのに、わたしが余りに大きすぎて何かしたらもう大暴れなんです。

    もう嫌なんです。
    視点が動かせるのが弱った時なんです
    ずっとそうなんです
    理解力はあるけど実感はない。理解出来ても適応したくない
    精神病なんでしょうか。
    頭がおかしいんでしょうか、

    お金はちょっと前よりあります
    でも本当ですね。幸せや不幸は心の状態
    あってもなくてもマインドに強烈に付き合わされると、不幸
    気づきがあっても絶妙な罠をかけてきてご丁寧に引っ掛かってるんです。あっても不幸です。それを餌にしなかっただけ

    もう嫌だ。本当に嫌になってきました

    • 自分 -涅槃- より:

      >>匿名さん
      あなたは「わたし」が全ての制限を生んでいる
      「わたし」のいない世界をイメージしてみなさい
      そうして少しずつ「向き」を変えていけばいい

      窓から見える山は消し去ることができるのだよ
      あなたは色々な策を練りだすが
      山はあなたの中で消えるのだ

  6. soynic55 より:

    初めまして。

    匿名さんと同じような状態です。

    わたしは、自己啓発本を経てある本に出会い
    潜在意識を信じようとし始めてから
    それを十年以上も続けています。
    あまりにエゴマインドが厚かったようです
    まず書かれた内容について強い疑い、
    絶望や意志の力を経てその力を信じ始めても
    「私が、私が…。」
    すぐ『実践』に移ろうというエゴマインド
    なんでもかんでも結びつけたがる
    すぐに疑い、『他力』になれない

    他人には依存しましたが…(結果はどうあれ、
    また自分を苦します現実になった回数が数える程、以上にある)

    自らを苛む波や嵐がとてつもなく苦しいです。
    内面や現実から払拭しようとしても

    今日も人に頼ろうとして失敗しました
    また、理想から離れた結果に苦しむ結果を想って苦しみますが誰も頼る人がおりません
    いえ、心を閉じているのではなくて手を伸ばして助けを求めますがやはり誰も私の事なんてそう構ってはいられないのです

    いくつかの願望はエゴマインドのこじつけもあるだろうけど
    いくつかは純粋な喜びを伴ってた理屈抜きの願望
    湧き出たもの

    それを思考が曇らせていつまでたっても叶わなくしてしまった
    複雑にしてしまった、
    遠くへ押しやってしまった

    実現するやいなや芽を収穫するなり手をかけすぎたり心配しすぎたりするなどしてかき消してしまった

    それは叶うでしょうか

    苦しみ、つらさが半端ありません

    また、対処をしようとして足掻き
    現実的に理想をかき消すような事をやってしまっていても
    それを幻想だと見抜き視点を変えて二度と戻って来れない事はできるでしょうか

    質問を投げてもそれだけでは大して何も変わらない・自分含め誰も喜ばないのでポジティブ(?)な情報を併記しておきます

    それでも、本当に(自慢できるくらい!笑)
    厚かったエゴの層が変わりました
    だからずっと、どう望んでも絶望しても出来なかった下記のことを少しずつやっています
    (以前は砂漠が水一滴を飲み込むように何をしても出来ずやる気にならなかったのが、
    今はコップに水一滴、一滴でも『認める』手応えを見つけることが出来てきましたので)

    ◼︎自愛をやっています
    ◼︎思考が一気に不足に向いてもその中で存在はあるちゃんとアプリシエイト出来るものにフォーカスしています
    ◼︎苦しみながらも自分の声を聞いています
    ⬆︎⬆︎⬆︎
    私が私、そしてこれだけが世界だと認識しているもの(現実)から「こんな事して何になる」の声だけには従わず極力距離を置いて。

    ◼︎自分さんの溶けることを実践し始めました。

    返事いただけるまでに何らかの変化がある可能性は大いに作っている。

    • 涅槃の書-自分 より:

      soynic55さん

      やあ初めまして。

      素直なコメントをありがとう。ただ、いまのあなたの様子からすると、私がこの限られたスペースで何を伝えてもまだ理解できないと思うから、まずは手記をひたすら読んでいくといいだろう。

      大事なのは読み進めていくうちに、あなたのなかの理解が変化していくこと、それを「許す」ことだ。最初はまったくの意味不明か、疑念にしかならないだろう。それでも何か新しいものがあなたのなかで開き始めたら、それを信じてみるといい。

      この「理解」というものがあなたの人生を苦しめているものである。

      たとえば私が「赤色」と書いたらあなたは当然赤色をイメージする。だが私はあなたの知るところの「緑色」のことを言っている。つまり私が赤色というときは、それは緑色のことなのだ。

      ゆえにあなたのなかで赤が緑に置き替わらなければならない。これは幸せと不幸など現実上のあらゆる原理そのものといえる。

      よく例に出す話だけども、難しい本を再び読み返したときに、一度目とは違う理解が開くことがあるかもしれない。読み返したとき、自分が知っていたのとはまったく違う内容が記されていたのだとわかる。それは本の内容が変化したのではなく、あなたが変容したのだ。

      そうしてわかってくるはずだ。

      私たちは「人間」というその瞬間にある総合的な形式を生きているのであって、つまりそれは時代や風潮に常に左右されるもの、その時々の常識、環境に無意識的に従わされているということにある。

      ではあなたは「何者」であらなければならないのか。どうすればあなたはその「無関係」な苦悩から解放されるのか。

      それはあなたが他者や社会の意識に取り込まれるのではなく、まず個人的な意識を活動の場にすること、決して、意欲させられ、判断させられ、好きにならされたりするのではなく、自ら意欲し、判断し、好きになっていくことにある。

      するとこれまでのあなたと社会や他者とのあり方がが逆転する。つまり「人間の世界」という多彩な「可能性」が豊富に提供されているということを知る。

      あなたが自由であるからこそ、それを自由に使うことができるのだ。

      私の言う赤色は「緑色」だと手記を通じて受け入れることで、それは赤色でも緑色でもどちらでも良いのだという境地に達するのである。よってあなた自身で「好きな色」を自由に創造していくようになる。同時に社会や他者には何の罪もなかったことを知るだろう。

      だがいまはあなたが自由でないから、その不安定さに揺らがされ続けているのである。「人間」とはあくまで関係性のことであり、あなた自身ではない。時代ごとに変化するカテゴリーでしかない。ゆえに「人”類”」というのだ。

      あなたは”類”ではない。そんなデータの枠におさめられるような存在ではない。

      まずは個人意識のうちに「自由」を開いていくことだ。やがてその自由が全体の流れと手を取りはじめる。そのとき、人”類”を超えた「真の流れ」に乗り込むことができる。

      ※あとコメントとは関係ないが、絵文字が文中に含まれるとシステムエラーとなってうまく表示されないようだ。

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