釈迦とヘロイン

釈迦はこの世のすべては苦であると説いた
つまり五感、五蘊そのものが苦なのだ
すべては「痛み」でしかない
フィジカルに解釈すれば
喜怒哀楽も含め
すべては神経への電気信号だ
神経の刺激に対する脳内の解釈となる

五蘊についてはいずれまた詳しい話をするが
人間的な察知メカニズムを
5ステップにフロー化したもので
釈迦が2500年前に提唱した

対象となる「それ」を察知してから
個人的な認識に至るまでの
人間特有の機構のことだ

「物」は五蘊により識別される
つまり物とはその対象ではなく
「五蘊」そのもののことだ

あなたが「それ」を「椅子」とする
もうその時点で
あなただけの世界が確立されてしまう

そこに椅子などない
それを定義することがそれを生んでいるのだ

定義にはあなたの肉体的な仕組み
そしてあなたの蓄積された記憶
さらにあなたの個人的な感情が加わる

それらを経て
「これは私にとって命より大事な椅子だ!」
となる

話が逸れたが釈迦のいう
「すべては苦」とはこうだ

幸福などない、あるのは苦悩だけ
その苦悩が和らいだときにふと心が軽くなる
それをあなたは幸福としている

何でもそう

愛は最初は美しい
だが徐々に苦しみに変わる
美味い食べ物もいずれ飽きてくる
新しいものが入り込む最初の段階で、
それまで抱えている苦悩が和らぐから
あなたは
「これは自分に幸福をもたらせた」とする

だがそうじゃない
実際は新しい苦痛を仕入れてきただけのことだ
黒いドロドロしたところに
少しグレーのドロドロが混じっただけのこと
いずれグレーのドロドロで満たされる
輝かしいホワイトやゴールドのドロドロも
存在するかもしれない
だがそれも重苦しい状態で充満していく

唯一とても純粋なものが現れるのは
一切のドロドロが消えたとき、
つまりその絵の具が洗い流された後の
パレットが見えたときだ

だから釈迦は一切の苦を流しなさいと説いた
すべては苦であるから
正しい物事の見方をして
一切に囚われるな、そういうことだ

この世の一切はドラッグだ
その瞬間は心地良いのだろう
愛であろうが神話であろうが
猫でもスピリチュアルでも同じことだ

だがもうあなたにその薬は効かない
もっと量がほしい
もっと強烈なやつがほしい

五蘊をフェーズ5まで機能させること
つまり識別そのものが「対象」を生み出す
実際はそこに対象物は存在しないのだ
これが空の思想
五蘊を俯瞰することが自己観照となる

もしいまあなたが苦しいのならば
新しいドラッグで誤魔化さないよう注意しなさい
永久に苦しみから抜け出せない

だけども空は色であり、
色は空であることが「世」だ

どちらかを選ぶことはできない
だから人間である以上、
人間的な認識はあなたが超越者になろうがついてまわる

だから人間としての解釈を持ち込まない
つまり五蘊に決定権を渡さない
初めて地球に降り立った異星人のように、

目に映るものがいつも強烈で新鮮!
知らないことだらけで驚きの連続!
だから何の主張もなければただ感動している!
そんな生き方をしなさい

本来の生き方はそうなのだ
決して「そういうフリをしろ」というわけじゃない
もともとそうなのだよ

人生の本当の姿とは
いつも新鮮さと驚異に満ちあふれた
冒険活劇なのだよ

だがあなたは五蘊に持ち込む
だからすべてが飽き飽きして苦悩で不安で
とても息苦しい世界を生きているのだ

あなたがどれだけ強烈なドラッグを注ぎ込もうが
そこに快楽を求めていなければ
ドラッグは悪夢を連れてこない

たったいま地球にやってきた異星人がヘロインだ
そのように人生をぶっ飛びなさい

 


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  1. ONEPOINT より:

    休み中はいい機会だったので徹底的に自分と向き合っていたのですが
    身体に激痛が走ったり涙が出たりしました。
    まさにドロドロとしたものが体に充満しておりそれがデトックスされていくようでした。

    そしてこの手記にあるように今まで自分が好きだと思っていたものも
    自分の中の不満を埋めるためのものだと気付いてびっくりしました。
    「欲」というものもそれが本当に自分が求めているものなのか
    不満の裏返しなのか見極めなければなりませんね。

    • -自分- 涅槃 より:

      ONEPOINTさん

      以前どこかで書いたが
      真実に近づくほど
      出来事はあるがままに
      受け取るようになる

      つまりそれまで
      マインドという判断や解釈にて
      映し出されていた事象が
      真なる姿(つまり自分自身だったとなる)で
      そこに現れるとき

      マインドが猛烈なダメージを受けてしまう

      なぜならばマインドは勘違いから
      それ自体が発生しているからだ

      そのフィルターが外されながらも
      解釈という機能だけが残ってしまう

      それがあなたに痛みをもたらす

      もしそこで
      痛みから逃れようと
      利己的な思いや
      憎しみ、怒り、理不尽などに転化すると
      真実からはまた遠くなってしまう
      マインドがまたフィルターを
      張り巡らせたということだ

      だが痛みを痛みのまま感じているのは
      あまりよくない

      だから意識を内側に向けるのだ
      すべては記憶だと悟るのだ
      自分がどこから観ている何者かを
      掴むのだよ

      そのとき
      痛みはハッピーへと昇華する

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