自己管理の法(8)

あなたがスムーズに人生を進めていくには
スピリチュアルという精神世界
リアリティという現実
そのバランスが取れている必要がある

つまり仏教で言うところの空観と仮観
どちらに傾いてもだめだ
そのどちらも含めた中観という
取って付けたような言葉があるが
双方を制するという意味ではなく
それらを観念つけていることから
「離れよ」ということだ

そこに老子のタオがあり
リラックスがある

いくら仮初めの現実であるといえど
あなたの生きている世界だ
目を背けたところで
そこは変わらない
悟りとかいうあなたの新しい趣味も
それがいずれ「達成」したときに
あなたはまた現実の蟻地獄に引き摺り込まれる
月夜に絶頂の雄叫びをあげたところで
明日はまた同じ朝が来るのだよ

なにが悟りなのか

あなたがどれだけ神秘的かつ
マジカルな話を聞いたところで
それは「あなたの現実」を超えることはできない
あくまで「あなたの聞いた話」に過ぎないのだ
悟りもしかり
タオもしかりだ

そんな目的地はありはしない
そこに向かうこと自体が「悟り」で「タオ」なのだ
バンドのメジャーデビューを目指していたキッズが
その夢を挫折したとき
練習の日々こそがすべてだったのだと
酒場で働いている40年後の晩年に気が付く
だから常にゴールであり
あなたは常に悟って「いた」といえる

「私がすでに悟っているですって?
ならなんでこんなに不幸なのでしょうか?」

あなたはそのように言うかもしれない
だが不幸に次ぐ不幸、そしてまた猛烈な不幸が
あなたの人生に襲い掛かってくる
これは本当のことだ
すでに予定されている

愕然してそれらに観念し
心の底から降伏の白旗をあげたとき
あることに気が付くようになる

あなたが不幸とするから
その不幸が現実となっているのだよ
それを不幸としなければ
あなたは不幸ではないということ
つまりいつも願いは叶っていて
あなたの思うがままの世界がそこにある

そこで気が付けばいいが
気が付かなければ何度も苦悩がループする

何かをしようとしていたが
ずっとその準備に追われて
結局何もできずにその一生を終えるとき
あなたは「準備」が人生のすべてだったのだと悟るのだ

未来ばかりを見て「いま」にいたときが一度もない
そして「何もない人生だった」とあなたは思う
周りはそうは思っていなくてもね

他人はこうなのに自分はこうだと比較していれば
そりゃいつまで経っても抜けられない

「いかにその現実で気楽にやっていくか」
それに尽きるのだよ

老子のタオとは、究極の気楽道
すなわちイージーモードのことだ

道をつくると人生が楽になる

さて自由である為には制限が必要だと
以前に書いたことがある
大事なところだから
少しおさらいをしよう

道(みち)とは何かね?

道とは空間の中で
ある範囲を区切った幅のことだ
つまり規範のことだ

荒野に道が一本延びていれば
あなたは進む方向がわかる
考えるまでもなく
そこが「歩むべき方向」なのだと
あなたはわかる

しかし道がなければ
あなたは不安になる
360度、どの方向を向けばいいのか
最初の一歩が賭けものになる

これをあなたの人生に置き換えてみなさい
道とはアウトライン
つまり枠だ

枠があれば
あなたは自由になれる
水槽があるから
自由に泳ぎ回れるのだよ

途方にくれた人々を導いた
モーセの海割りの伝説は
この「道」を示している

これはあなたが現実をリラックスして生きる為の
大前提となる

先が見えると人は安心するものだ
逆に言えば先が見えない限りあなたは不安しかない

だから道、つまり「プロジェクト」を
作り続ける必要がある

後述するが、あなたは「作り出すこと」ができる
それが人間の特権なのだが
それをしないことは
あなたは自ら制限の檻に入り込むということになる
つまりクリエイティブであることが
人生の幸福の条件なのだよ
作り続けるのだ

いいかい
人生をデザインするということだよ
絵画やら物作りをやれということではない

道を作れば「先」が見える
つまり照らしてしまえば
あとはそこを辿るだけでいい

あなたは可能性の存在なのだ
だからいつも何かを企てては
事を起こし続けなさい
常に可能性で在り続けることで
最高の人生に運んでくれるようになる

あなたは闇夜でさまよう魂

あなたがなぜ人生に不安なのか
それはありもしない明日に
色々な妄想を描くからなのだよ
照らそうともせずいつも暗闇の中にいる

そりゃ怖い

方向が合っているのか
そもそも自分がどこへ行きたいのかも
わからない

照らせばそれが美しい花だったとわかるのに
暗闇でそれに足を引っかけてケガをする
花にすら恐怖している
誰かの差し伸べる手が
幽霊の腕に見える
歩みは遅いから
あっという間に人生が過ぎていく

だから枠を作るのだよ
「この範囲内で私は進む」
そう決める
決めたらもう考えない
考える必要などないだろう
あなたは先を照らしたのだ

いつも伝えている通り
その世界はあなたが作り出している
あなたの心の投影だ
つまりあなたが照らしたものだけが
その道に現れる

だけどもあなたは
何か想定外なことが起こるんじゃないか、と
歩いているにも関わらず
また照らすことをやめてしまう

進むべき方向がわかっていれば
何も考える必要もないのだよ

思考とは暗闇のこと
あなたが色々考えているとき
必ず「いま」にいない

思考と行動は分けなさい

あなたは行動しながらあれこれ考える
だから手が止まる
いましている事が落ち着かない
迷いだす
何も進まない
そして疲れていく
それがいままでのあなた

どうすれば気軽に生きていける?
単純なことだよ
何も考えなければいいのだ

ノーマインド
無我の境地

言葉にすれば格好が良いが
単に何も考えてないだけだ

「先のことを考えていたら不安になってきた」
そんな経験があるだろう
つまり考えなければ不安はなかったのだ

じゃあどうすれば
この考えさせられるばかりの現実で
考えずにやっていけるのだろうか

老子は自らの書で
「私はバカに見えているだろう」と残している
当然深い意味がある

彼の書に於いての「バカではない人」とは
あなたのことだ
色々なことを解釈して、判断して、計算する
体を動かしながらもあれこれと予測して
いつ思考が休まるのかそんな様子もない
眠っていても
もしかしたら死んだ後も
考え続けているかもしれない

「人生には乗り越えなければならないものが
たくさんある」

そんなホットなポリシーのあなたからは
脳天気な老子はバカに見える

あなたからバカに見える人ほど
彼らが気楽に見えるのがわかるかね
さほど苦労をしていないように見える
それが許せない
だからあなたは彼らをバカだとする

人間であるということ

では無鉄砲に生きろというのかといえば違う
それでは動物だ
動物たちはマインドに翻弄されず
あるがままに生を生きる
時間を超越した「いま」に在る
あなたのように概念を持つことすらできない
思考という重りを降ろしたいあなたにとって
それは素晴らしいことに聞こえるかもしれない

だがあなたは天と地の狭間に生まれた

動物が動物という生を全うするだけに対し
あなたは神の領域にも触れている
楽しさ、喜び、悲しみ、
その人生に何かを生み出す力を備えて
そこに存在している

前述した通り
人間は作り出すために生まれてきた
あなたにできること
それは波を起こすことだ
つまり「コトを起こす」ということ
ドミノの最初のコマを倒すということだ
いままで躊躇して踏み込めなかったこと
それがなぜ「躊躇して踏み込めないのか」を
よく考えてごらん

あなたの中で
それだけ「大きな概念」だということなのだよ
あなたがそのコマを倒すとき
世界がさらに大きくあなた向けに
カスタマイズされることを意味する

「だけどもそれはハードルを乗り越えることだよね」

確かにそうだ
あなたにとっての大きな敵
それを倒すこと
そんな大役はできれば辞退したい

だがその敵は本当に大きいのだろうか
あなたが大きく見ているだけじゃないのだろうか?

少し話を変えよう

あらゆる文明の発展は
すでに存在しているものの組み合わせで起こる
紙も料理もそう
斬新なニュービジネスもそうだ
ゼロから作られたものなど何もない

すでにそこにあったもの
それを組み合わせることで
新しい時代が切り開かれてきたのだ

それができるのは唯一人間だけ
つまりあなたは
いくらでも新しい人生を切り開くことができる

周りをよく見渡しなさい
ポジティブに感じるもの
ネガティブに感じるもの
それらを組み合わせてごらん
物質が原子構造であるように
出来事も日々も
あなたの人生そのものも
単なる組み合わせパターンでできている

ただ、ネガティブを避ける傾向にあるから
画一化したような構成ばかりになってしまう
真っ新に生きたければあるもの全部を使うのだよ

人生の自動化

すでにあるもの──

つまり「いま」の自分の状況を知ることだ
「知ること」と「照らすこと」で
あなたはどんな人生も歩めるようになる

だが現実はそうじゃないだろう
なぜ人生がうまくいかないのか?
運命や環境かね?
そうじゃないよ

あなたの人生に全力で歯止めをかけてくるのは
他の誰でも社会勢力でも先祖の呪いでもなく
あなたの思考だ

それは思考の使い方を間違っているからだ
そのように使うものじゃない
火は調理や明かりに使うものだ
頭を洗うためのものじゃない

思考を使うタイミングが「いつ」かわかれば
それが「うまい使い方」だ

いいかい
計画と行動は別だよ
完全に分けなさい
計画には思考を使う
そこで決めたら
ただ行動するだけだ

プログラマーという職業がある
思想自体は難しいものじゃない

彼らは
あることと、あることを
結びつけていく
そして実行キーだ

つまり自動化させる
ゼロから何かを作っているんじゃない

この世のすべては
モノや物事の組み合わせでできている
その最小単位
それが「タスク」だ
どんなものであれ
エネルギー循環の幻影だから
すべて動きを持っている

固体も徐々に風化していく
あなたがその固体を見ている「思い」も
いつも違うものだ
だから森羅万象の最小単位は
いつも動的なもの
移りゆくもの
諸行無常ともいう
つまりタスクのことだ

あなたは何と何でできているのか
つまり、あなたの置かれたその現状は
どういう「小さな現実」の組み合わせで
そうなっているのか
それを知るのだ
そうすると仕事とプライベート
恋愛と趣味、さらには幸福と不幸
そういった境界線が消えていく
カテゴライズが崩壊する
そんなもの最初からなかったのだよ

人生の自動化
だが本当のところ
あなたですら循環という流れである
つまりあなたが自動化をさせなくても
すべて最初から自動的に流れているのだ
逆にあなたがその流れを止めようとしていた
それが苦悩なのだよ
つまり人生の自動化とは
あなたが流れを止めないようにする
そういうことだ

片手で大木を持ち上げる

どんなに大掛かりなプロジェクトでも
細かく砕いていけば
何かをしているという感覚すらないほどの
タスクとなる

料理をプロジェクトとするならば
肉や野菜をカットするなり煮込むなり
そういう工程があるが
例えば「肉を持つ」「鍋に入れる」
そこまで分割してしまえば
もはや料理をしていることすら忘れてしまう

あなたが複数のプロジェクトを持ち
それらを同時進行で
少しずつ、
本当に少しずつタスクを進めていると
ある日、驚くだろう

「あれ?いつの間にか全部終わっていた」

これはセルフマネジメントの分野の話だが
ビジネスだけに生かすものではない

あなたが暮らしてみたい理想の世界
恋愛や結婚
お金儲け
夢や趣味など
あらゆるライフスタイルに適応できるものだ

なぜならばあなたのその人生、そのいま、
どうやってそこに辿り着いたのかね
小さな出来事の連続が今日に導いたのだよ
それまでのどんな小さな事柄も
今日のあなたに繋がるタスクだったのだ

このタスクという概念は
前回に記した「お金の正体」での記事の通り
大きな概念を構成している小さなもののことだ
巨体を相手にするのではなく
そこに照準を合わせる

だからどんな過酷な問題事も
片手で大木を持ち上げる老人の如く
易々とクリアできるのだ

大切なのはすべての物事は
あなたが作り上げた妄想であるということだ
小さな何かと小さな何か
それらが組み合わさって
あなたの世界だけの「デカいそれ」になる
それを老子のタオは教えてくれるのだ

タオを現代流に消化させたものが
この自己管理の法となる

空間にスペースをつくる

また長くなってきたね
今回の話を実践的にまとめよう

まず暮らしがシステマティックになることだ
整然としたライフスタイル
その余裕あるスペースから
いわゆる「ワクワクした感情」がうまれる
これは動物にはないものだ
あなたの人生が開花する力の源

それを生み出すには

ライフルーチン
キャッシュフロー
プロジェクト

まずこの3つがシステム化されなきゃならない

今日やることは、これとこれで
今月の支払いはいくらで、これだけ稼げばよくて
どこに向かって生きているのかわかっており
そしてそれら計画は順調に進んでいる

そういったことをノーマインドで
タスク化していること
つまりすべてを「知っている」こと
日用品の補充や金銭管理などで
脳のリソースを埋め尽くさないということだ
「いまどうなっているか」
それだけのことを知っていればいい
記憶に置いておくのではなく
紙やツールに任せておけばいいのだよ

今月の支払いに不足があるならば
プロジェクトを立てなさい

お金は人を通じて流れてくる
つまり人と関わることだ
方法はなんでもいい

「もらう」も「借りる」も「売る」も
同じことだ

だが一度にやろうとするから
あなたのマインドは破綻するのだよ
いらないことばかり妄想して
動きすら止めてしまう

例えば求人に電話をするなら
1時間に2件だけにすると決める
それ以上はやらない

電話をするときには
必要なものがそこに置いてある

そのように時間と心にスペースを作りなさい
それがあなたにモチベーションを生み出す
つまり余裕なのだよ

2件がだめだったとしても
また次の1時間がある
2件だけど決めているから
空いている時間に他のことができる
せっかくだからジョギングでもしてきたらどうかね

もっと気楽に生きていける

「仕事のできる人」というのがいるが
彼らは時間の使い方がうまい

「彼は私より頭が良いんだ」
「見えないところで努力しているはず」

あなたはそのように考えるが
事実はまったく逆だ
思考を活動させる時間を制限させているのだ
つまりあなたほど何も考えていない
だから効率的であり疲れてもいない

「片手で大木を〜」だね

あなたが残業してまで日々クタクタの中を
彼は同僚と談笑しながら軽やかにビジネスをこなし
定時には帰社している

これが「自由と制限」のよい例だ
現実という立ちはだかる巨敵が襲ってこようとも
「で?」とスルーして
最小のタスクを相手にする

勇気を持って世界へ戦いを挑む?
そんなことしていたら
あなたの世界は障壁だらけになる

そうじゃない

勇気どころか
何の考えもなく挑むのだよ
考えるのはその3日前の3分間でいい
頭を使うのは期待や不安に溢れたプランニングではなく
ただのタスクリスト、
行動の順番を考えるだけだ

恋人探しでも同じで
一度にやってしまわない
少しずつだ
少しずつ進める
常に「最小」を相手することを意識しなさい

美容院に予約してみよう
スキンケアもやってみよう
アボカドを使った料理もトライしよう

ヘアスタイルを参考にする雑誌を買い
アボカドをカゴにいれる
それが恋人探しプロジェクトだ

いきなり友人に紹介を求めるのではなく
相談所に行くのでもなく
もっとステップを細かくしなさい

そうして「道」を歩いていると
あなたがなぜ恋人が欲しいのか
その本当の理由が
「恋人」が見つかる前にわかるようになる
そしてそれは達成される
何と恋人が見つかる前にね

その後、あなたは最愛の人と出会うことになる
愛を知ったからだ
それが何なのか
あなたが知ったから現実に起こる

だからいつもスペースを作っておきなさい
それが「必死に取り組む」ということ以上に
よい結果となる

その為に部屋は片付いており
余計なマインドが発生する所有物は
限りなくゼロが望ましい

何かを始めるときに最初にすることは
部屋を片付けることだ

部屋とはあなたのマインドの中だと思いなさい
必要最低限のものだけを置く
ペン立てにはペン一本だけ
予備などは見えないところに仕舞う

あなたはいつも真実をヴィジョンとして
見ているということ
それを忘れないようにしなさい
いまそこに広がる空間が
あなたそのものなのだよ
乱雑と感じるのであれば、
それがあなた自身だ

冒頭に書いた道(みち)の話
空間の中で
ある範囲を区切った幅のこと─

空間はいつもスペースを空けるようにする
それが道となる
そして実行しているとき、
つまり「歩いているとき」は
何も考えない

計画したものは何かに写しておく
それを見るだけだ
それが地図だ

道を作り地図を見ながら歩いていくだけだよ
見通しの良い道をね

少し行ったら川があって
それを渡った先に草原が見える
遠くの方で雨が降っているのもわかる
予測しなくていいから
いま歩いている道や景色を楽しむことができる

そうして「現実」の視点からも
リラックスを掴めることを学びなさい
座り続ける瞑想がすべてではない

宇宙の摂理を掴む

すべては循環している
それがルーチン

日課や作業
太陽の昇り沈み
キャッシュフロー
食事と排泄

完全なるルーチン
いつもルーチンの中にいる
循環の中にいる
それをいつも綺麗に流していくようにする

それら循環が「いま」であり
あなたの一歩がタスク
その道の見通し、それがプロジェクト

このように全部繋がるのだよ

現状を知り
向かいたい方向を照らす
そして気楽に歩いて行く

ただそれだけだ
それがタオだ
何かをしているという実感もない
それなのに抱えていた面倒事などが
次々とDoneしていく

やってみればわかるが
あなたの人生観は180度変わる
行動にマインドを持ち込まないことで
金持ちになるだろうし
異性にモテるようになる
そういうプロジェクトを組もうとしている時点から
すでに同じ豊かさに包まれているようになる
つまり現実という視点で
幸せになる

反スピリチュアル的だとでも
なんとでも言うがいい
スピリチュアルすら
あなたの現実の幻想なのだよ

ならば現実を最高のものにしてはどうかね
それが釈迦のいう中観だ

無我の境地を持続させる

私は現代的なデバイスを使って
暮らしをシステム化している
無論、便利だからだよ

次回はそういったツールなどを紹介していこう

いかにして「ノーマインド」であり続け
そして「いま」関わっていることに
没頭(サマーディ)できるか

生という爆発
エキサイティングな体験
それは思考を捨てたときに
そこにあるものだ

私の頭脳はいつもスペースがある
そこに楽しいことがあれば
完全に楽しい
怒るときは
完全に怒る

だがいつかの
感情に振り回されていた頃の私ではなく
そこに起こっているのは光景だ

とても愉快な光景だよ

起こるものは起こるだけのこと
いずれあなたも自らの肉体、思考すらも
単なる「出来事の起こり」として
ただ見つめるようになる

すべての起こりが
私の思い通りなのか
それとも起こっている事実に
私が同化しているのか
なんにしろ
私はこの世界そのものになっている
この文章を書いているときは違うがね

無我の境地こそが
至福であり
最高だ
そこに私はいない
贅沢でハッピーな人生に感謝しているよ
肉体を離れても
また楽しむために戻ってくるだろう

そうして世界の鍵を開いていこう
さあもう少しだ


Notes, タオ, マインドハック

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