無限の可能性とは何であるかを知る

まず結果だけを追いかけて、ほら現実はこうだ、と自分のなかで決定していることに気づくことだ。そんなことをやっているから固定された現実に縛られてしまう。今後もそれが続く。

科学はずっとそうやって実証主義を貫いてきた。実験結果がすべてというありかただ。ゆえにもうどうにもならないところにきてしまった。つまりAのやり方ではAという結果になり、Bのやり方ではBとなるというものだ。

結果がすべてあるから、今度はその「AであるかBであるか」を実験するはめになる。だがその実験でさえも「実験者が結果をみる」ことになる。

たとえばそれが素粒子の実験であるなら、様々な電子器具を使うわけだけども、それら器具でさえも素粒子でできている。つまり実験される者が実験をしているのだ。そこで一体何を知るというのだろうか。

シュレンディンガーの猫の実験やパラレルワールドなどの解釈があるけども、それらを「そういう内容のものだ」と定義している時点でその本質を理解できない。なぜならいまいる世界がすでにそのひとつであることに、なんの意味も感じられないからだ。こうして「結果主義」としての考え方が災いする。ただ虚しいだけの人生となる。

つまり「この世は無限の可能性で満ちている」とか「無限の豊かさで溢れている」といった真理を知ったところで、「じゃあ自分はその豊かさをどれだけ確保できたか」「どれだけ確保できるだろうか」ということに目を向けている以上、真理を完全に逃している。

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