一日限りのプレゼント

昔からある人生教訓で
いろんなバリエーションがあるのだけども

それはたとえば現代風にしてみるなら
「10億円を受け取る代わりに明日かならず死ぬ」
というものだ

しかし10億円なんてのは
そもそも1日で使い切れないわけでね

だから受け取ったとして
はじめは欲望を満たそうと考えていても
結局は気が変わって
困っている人やどこかの施設に
寄付したりするようになる

それはこれまでとは違う
“別種の利己心”が芽生えるからなんだけども
つまりこういうことだ

一時的に満足するような欲望よりも
明日で終わってしまう儚い人生に
せめてなんらかの意義を残したい

誰かの役に立てたと思いたい

それはなにより
永遠に満足できることかもしれない

なぜなら誰かを幸せにできた実感を胸にしながら
時間のない世界へ旅出せると思えるからであって

だから自らの死を前にしたとき
そうした利己心の内容の変化
すなわち人生観の変化が現れたりするからにある

 

1

「いやいや、死ぬまで自分の欲望のために使います」
と最初はそう思うだろうがね

しかし欲望というのは満たしてしまうと
もうそれは欲しくなくなるわけで
すると「求めないあなた」がそこに取り残される

そのあなたは何を思うのかということだ

たしかに成金なんかは顕著だが
そうして何も求めることがない=満たされているのに
むしろその状態が虚しいと思える人が大勢いる

だからさらに欲しいものや
興味の湧くものを探しては
再び自らを枯渇させることに精を尽くすけども

つまり彼らが気づかねばならないのは
その虚しい活動こそが
自らの虚しさの根源だということにある

ところが彼らも否応なしに
そのことに気づくときがくる

それこそが”死”という行き止まりであり
これまで当たり前に続いていた道が
そこからぱったりとなくなるとき
繰り返してきた虚しい活動は
もう彼らを満たすことができなくなるからだ

言いかえれば
虚しい気持ちのまま死んでいくことになるわけで
むしろそうなってしまう予感こそが
死を恐れさせていたのであって
それゆえ優越感のための所有や
他者に対する不寛容な主張をしてきた

だがそうした一切で身を固めたところで
死の恐怖を乗り越えることはできない

それらは砂のように散っていくゆえ
ただ恐ろしいままに終焉に飲まれていくことになる

それゆえ先の気づきのように
永遠の満足を胸に抱いて旅出したいという願いは
これまでにない新しい希望であり
つまり自分以外の他者を幸せにするという
その新しい”利己心”が
これまでの虚しい輪廻を抜け出す契機となるわけだ

それは死の恐怖を克服するばかりか
死という終焉ゆえに
その希望はより光を放つことになる

だからこの人生訓は
いろんなバリエーションがあると言ったけども
10億円のような法外なプレゼントと同時に
どうすることもできない法外な問題も
かならずセットされる

いわば究極の問題として突きつけられるわけだが
それはまさに先の成金のような人生の虚しさを
繰り返させないところにその意図がある

実際、宗教的な物語や寓話には
こうした究極の選択において
大悪党も改心する描写があったりするけども

そうならざるを得ない境地に立たせて
人生の真の意義に気づかせることが
この教訓の意図にあるわけだ

それゆえこの教えの逆説的な真意がみえてくる

それは「永遠の満足」を得るためには
10億円を受け取る必要はなかったということだね

とはいってもそれは
「死が怖いから10億円などいらない」とか
「どうせ使いきれないから断る」という段階で
話を終わらせてはみえてこないもので

実際に10億円を受け取ったあと
己はそれからどうしているのかを想像して
そしてその想像をいまの己に重ね合わせたときに
ようやくみえてくるものにある

それがみえたなら
10億円を受け取らないときこそ
本当の意味で10億円を受け取れているといえる

つまり「法外なプレゼント」の価値に等しい人生を
あなたは生きはじめたからだ

 

2

誰もが人生の目標を立てて
いつかそれを実現したいと夢みたり
幸せになりたいと願ったりするけども

それは私たちが心の奥底で
自らが無意味な存在だと思っているからにある

ちっぽけな自分が意識されるときもあるだろうが
大体それは無意識的にずっと握られ続けている

つまり「お前は何の値打ちもない」ということを
死は突きつけてくるが
それは他人に無視されたり
誰かに手を差し伸べてもらえなかったときや
なんらかで将来の安心が失われたときなどに
感じる”冷酷さ”と同じものだ

だから私たちは自らの死を遠ざけようとする
むしろそれが死への恐怖の正体にある

それゆえ人は常に
脅迫的な観念に背中を押されている様子にある

そう、誰もが人生の目標を立てて
いつかそれを実現したいと夢みたり
幸せになりたいと願ったりするが
それは裏を返してみれば

なんのために生まれてきたのか
他人や物事から自分の身を守るばかりで
本当に幸せになったことなど一度もない

このままなにも見出せずに
儚く消え去っていくのか

それは嫌だ

だから本当の満足をしたい
人生の深い意味を感じたい

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