「不幸な幸せ」と「幸せな幸せ」

幸せには二種類あってね

ところがそのうちの片方の
幸せを掴むほど人生は不幸になるという
パラドクスにはまる

たとえば虫歯や体の病気で苦しんでいて
それから解放されたとき
とても幸せな気分になるだろう

そうした回復は良いことなんだけども

しかしいろんな欲望を求めて
それが満たされない苦しみと
そうした病の苦痛はよく似てるんだ

物欲や支配欲
見栄や自己顕示欲
お酒や甘いものなど
嗜好品への依存もそうだね

それらが満たされていないとき
まさに己は欠乏しているわけで
虫歯や体の病気になってるのと同じ様子にある

そして欲望が満たされるというのは
病いが治癒されるのと同じ

 

不幸な幸せ

ここでよく考えてみてほしいが
その満たされた状態というのは
本来の健康な様子に戻っただけであって

言いかえれば
欲望に囚われているというのは

わざわざ自らを虫歯や体を病気にさせて
そこから回復することに
喜びを求めているということだ

だからあなたもよく知るように
欲望は満たされてしまえば
すぐに退屈になってしまう

また満たされたいと思うわけだが
それは自分で穴を掘って
そこに自ら飛び込んでもう一度
なんでもない場所に登ろうとしているんだね

 

結局なにも得ていない

いろんなことを犠牲にして
またたくさんの人を裏切って
あなたは欲望を満たせてきたかもしれない

だけどもその人生は結局のところ
まったく割の合わないものだったんだ

なぜなら繰り返すように
元の状態に戻っただけだからだね

ところが歯医者のありがたみが
虫歯にならないとわからなかったり
なんでもない健康が
あなたにはつまらないものでしかなかった

つまり喜びや刺激やを感じるには
不健康になってこそであり
いわば幸せのために不幸にならねばならないわけだ

それは人生を不幸にし続けているのと
なにが違うのだろうか

 

幸せな幸せ

ならばもうひとつの幸せとはなんだろう?

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