あなたの霊性を開く
世界があなた
つまり他者はあなただということだ
スピリチュアリティを開くために
少し問答をしよう
言葉が溶けやすいように「俺」とした
無論、女性は「わたし」なり「名前」にして
読み替えなさい
では真実を述べる
- 俺以外が俺である
- 他人とは俺のことだ
- 「自覚」があるのは唯一、俺のみ
- 俺以外が俺だが、俺以外を自覚するのは俺
- つまり俺は俺に包まれている
- そしてこの世には俺しかいない
よいかな
すべてはあなたの認識によって
世界は想起している
だがこの見解も観念だ
「想起している」と
思い込んでいることが想起
つまり最終的には「思い込む」に行き当たる
夢の中がリアルに感じる
目が覚めて初めて「夢だった」と知る
あなたが瞑想なり何らかの技法で
この世が夢であることに
触れることができれば
すべてあなたの「思い込み」だったことが
明らかとなる
古来から現代まで
覚者のいっていることはすべて方便だ
単なる比喩、つまりヒントなのだ
事実に向かう為の「計算式」じゃない
それらの言葉から
答えに繋がるものではない
その言葉を受けていること自体が
すべてなのだよ
誰かがヒントをくれる
「赤くて紙を食べる四角いものなあに?」
あなたは郵便ポストと
結びつけるかもしれない
それがあなたの想起だ
これはこういうもの、これはこうだ
瞬時に印象を作ってしまう
どうすればその輪廻から
脱することができる?
この文章を見た時点ですでに
想起なのだよ
だからあまりに夢見に寝ぼけてしまって
そこで不幸やら絶望やら
しているものだから
誰かが
「おい、火事だ!!逃げろ」というしかない
あなたはビックリしてそこから逃げる
実際は火など起こってもない
だけどもあなたは家を飛び出す
そうして夢の外側を知る
なぜ「外」を「外」と伝えられないのか
それは「外」とした時点で
あなたの中で想起ができあがるからだよ
外という観念が起こる
あなたは外を目指すようになる
それじゃだめだ
外はそこにはない
あなたが余計なものを捨てたとき
それが「外」だ
だからね、
あなたの見ているもの聞いているもの
それらすべてはあなたの思いこみで
作られている
目の前で笑う旦那さんも彼女も
そこにその人がいるという気配
その人の仕草、表情、
その何もかもが
いつもそこにあるエネルギーを
あなたが「五感」という観念生成機で
映し出しているに過ぎない
先の問答で大切なのは
「俺以外が俺だが、俺以外を自覚するのは俺
つまり俺は俺に包まれている」の節だ
どこを見渡しても
あなたの知る通りの世界しかない
知らないことすら
“知らない”というあなたの知っている観念だ
本当の未知は「知らない」すら超えた先にある
つまり想像すらできないのだ
「そしてこの世には俺しかいない──」
ある境地に至るまでに2つの道がある
世界は自分しかいなかった、というものと
自分は世界にはいなかった、というものだ
どちらも行き着く先は同じ
この2つで、くだらない論争がよく起こる
彼らは「その論争」が
ただそこにあることに目を向けない
討論から自己の主張
討論から答えを探そうとする
違うよ
あなたの世界に、ただ討論が起こる
つまりそこにあるエネルギーを「討論」として
想起したのだ
あなたはあなたに包まれている
それは「あなたしかいない」
ということであり
そして「あなたはいない」
ということである
エゴを超えた自覚
自覚すら自覚できない状態
そう、すべては「状態」なのだ
そのあるがままの状態
状態は変化していく
ただ状態の瞬間を切り取れば
それが「それ」だ
つまり「いま」がある
あなたが夢見癖な人間性を捨て
本来備える霊性(スピリチュアリティ)
を開くとき
世界はあなただけの「遊び場」となる
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私の目に映る景色の中に、登場人物が増えてきました。
登場人物たちは、私の目辺りを覗き込み、ベラベラと話をします。
家庭の話、晩御飯の話、子供の話、お金の話などです。
マインドがうまく、受け答えをし、登場人物たちは笑います。
悲しいかな、わたしはここにいないのです。
その一連の流れを、スッと見ているだけです。
あぁ、私は冷たい人間のような気がする。
マインドがいいます。
全て何もなく、全てがあった。
無意味なのに、愛がある、しかしそれすらもない。
わたしがいないのだから。
意味をつけない人生なんて、味気ない。
マインドがいいます。
生きるって、意味がない。
なのに生きてる。
存在するのに、何もない。
悲しくなってきました。
no nameさん
>生きるって、意味がない。
>なのに生きてる。
>存在するのに、何もない。
>悲しくなってきました。
それはまだマインドから離れられていないからだよ。その思考を自分のものとしないことだ。そもそもそれは「あなた」から発せられたものではない。あなたの中に棲みついている「他者」が話している。
ひとつ理解を広げておこう。
いいかい、本当の「あなた」は考えることも、話すこともできない。だから思考しているときや、誰かと話をしているときというのは、あなたがやっているのではなく、あなたの中に蓄積された記憶がそれをやっているのだ。自分がやっていると思い込んでいるだけに過ぎない。
あなたはそれらが起こる空間、つまり「起こり」そのものである。だから「流す」という言葉がスピリチュアルではよく用いられる。受容やら赦しやら、それらは同じことを指している。あなたは生まれてもいないし死ぬこともない。あなたの中に人々や知識、物事など多くのものが通過していくだけだ。
その本来の「本質」を掴みなさい。この真実を悟るとき、あなたは一歩も動いたこともなく、何かをしたことなど一度もなかったことに気が付くだろう。そこには個的な悲しみも幸福もない。全体としての実存をただ喜びの中に知るのみである。
Aslanさん
どこにも着地できない、宙ぶらりん、、
それでいいんですよね。きっと。
ありのままで過ごしてみます。
ありがとうございます。
>それはまだマインドから離れられていないからだよ。その思考を自分のものとし>ないことだ。そもそもそれは「あなた」から発せられたものではない。あなたの>中に棲みついている「他者」が話している。
>ひとつ理解を広げておこう。
>いいかい、本当の「あなた」は考えることも、話すこともできない。だから思考し>ているときや、誰かと話をしているときというのは、あなたがやっているのではな>く、あなたの中に蓄積された記憶がそれをやっているのだ。
そういわれたら、もう、何も言えないですな(笑)
諸行無常を感じて、少し寂しい気分になっていたのですが、その気分も、「私」ではなく、他者だとすると、もはや悲しむことすらできない。
だからと言って、実存を掴んでいる訳でもない。
どこにも着地できない、宙ぶらりんですね。
自分さん、ありがとうございます。
思考が戻ってきて、どうすればあの瞬間に戻れるのかばかりを考えていました。
これも思考だ、と思考しながら。
自分が自分でなかったと思い込んでいただけだったのかもしれない。
食器を洗いながら、動く手を見ているだけだった瞬間。
確かにあった。
これも、思考ですね。
また手記を拝見します。
自分さん、ありがとうございます。
no nameさん
Aslanさん
今日は多くの人々に同じような返答になってしまっているが、「自分」をよく探ってみることだ。関わる人々、着ている服、暮らし、やるべきこと、現状、それら体験は確かにある。
だが肝心の「自分」はどこにあるのだろう?一体どこにある?体験という要素はその都度やってくるが、あなたはどこにあるのだろう?
だからいいかい、沢山の要素が「あなた」という空間(シーン)を形成しているのだ。「部屋」というものを差し出すことはできないが、壁や床、天井を指さすことはできる。
つまりあなたはどこにもいないが、すべてがあなたなのだよ。目の前を通る美男美女も、苦悩もあなたではない。だがそれらがあなたという空間を形成しているのだ。部屋は壁ではない。部屋は床でもない。だが壁や床が部屋を生み出している。壁がひび割れていても、それは部屋がひび割れているのではない。
だからあなたが気付くべきこととは、要素があるがままに流れていくように、見守ることだけだ。あなたが要素に関わろうとする限り、あなたは壁のヒビとなってしまうのだよ。それは修復しなければならなくなる。
あなたが壁をそのままにしておくとき、壁は勝手に崩壊するだろう。あなたの「見ている前」で崩壊するだろう。あなたは自分が崩壊すると思っていたが、それは目の前で勝手に崩壊しただけであり、あなたには何の影響もなかったことを悟るのだ。
例えるなら、私とは「料理」と言う概念であり、目の前のラーメンではないと言うことですよね。
ラーメンは消えるが、料理は次々に現れる。
或は、「長嶋茂雄は今日引退しますが、巨人軍は永遠に不滅です。」
失礼しました。匿名コメントになってしまいました。
「私は私以外の全て」
忘れないようにちょっと書いておきますね。
Aslanさん
そう、そして料理を料理であるとしているのは、それを体験している背景だ。つまり有を浮かべている無となる。
無とは何かわかるかね? 私たちは心にすべてを通過させている。心とは思考のことだ。つまり「考える世界」に暮らしている。無とは思考から離れた境地、当然「それをそれだと定義しない」という様子となる。
思い出そうとして困り果てるような「記憶喪失」とは違い、そもそもそれらに意味を与えない、意味を与えるという発想がない、そんな状態だ。
つまり思考が有なのだ。思考=制限、生=思考、無思考=死。死とは観念世界の鎖が落ちた状態のことであり、それは解放であり、究極の自由となる。マハルシは実際に肉体的な死の間際に至って光明を得た。
つまり「私は死んでいる」として過ごしていると「なぜこれがラーメン屋なのか」「ラーメンとはなにか?」「食べるとは? なぜ一体そんなことをやるのか?」 すべてが概念の集まりであることがわかる。
世界はイマジネーションなのだよ。
何かの参考になるかもしれないので、書きますと、昨夜、物凄いネガティブに襲われたのですが、「物凄いネガティブ」を「これは物凄いネガティブだな」と、物質を観察するように、眺めていたら、今朝くらいに霧が晴れるようにネガティブが消えて、ワクワクするようなインスピレーションがビンビン降りてきて、抱えていた懸案が問題ナッシングになってしまいました。
多分、マインドにも、多少の正義があって、自分のやろうとしていることのネガティブな側面を教えてくれる便利な機能なのかもしれない。
心のアラームみたいなもので、その報告を一通り聴くと、アラームは止まって、霧が晴れたように問題が解決するが、無視したり、執着したりすると、永遠に鳴り続ける。「シートベルトを閉めてください」と言い続ける、車の音声ガイドみたいなものかもしれません。
別にシートベルトをしなくても事故にはならないかもしれないが、アラームの存在を認識しない限り、アラームを止めることも出来ないのでアラームは鳴り続ける。
マインドの内容を観察すると、別にネガティブと言うわけでもなく、それなりに理にかなった判断をしており、自我がかってにネガティブと判断しているだけだったりする。要は有能な軍師が心の中にいて、聞き分けの無い君主からすると、その助言がネガティブに聴こえるだけと言う。
マインドの判断を一通り聴くと、軍師をも納得させられる総合判断が、インスピレーションとして現れると言う、そう言う構造になっているような気もしますね。
長文失礼しました。
Aslanさん
素晴らしい体験をありがとう。あなたは内なる錬金術を達成したのだ。それは非常に大きな一歩となる。
どんなネガティブなものであったとしても、体験できるものとは「己から放たれた意識」だ。ゆえに意識が融合するとき猛烈な至福が起こる。バラバラだったパーツが復元されるわけだからね。だがマインドがそうはさせない。「これは誰々の嫌がらせだ」「理不尽だ」「不安だ」とカテゴライズをしたあげくに、心の隅の方へ勝手に仕舞ってしまう。
意識の本質であるワンネスやらポジティブやらは「集合」という性質を帯びている。ゆえに追いやられた意識は本来あるべき場所に戻ろうとするがマインドがそれを心のざわめきと捉えてしまう。これが俗にいう潜在意識だ。
潜在意識はすでに体験したものの蓄積であり、それがそこに記憶として残るから、私たちは現実という夢を見るのだ。つまり古い世界を何度も何度も見続けているということだ。
いつも書いていることだが私たちは一歩も動いてもいないし、何かに触れたこともない。記憶の再生をずっと見ている。つまり潜在意識が融合しゼロとなるとき、未消化だった古い夢物語は終わる。
夢、つまり記憶頼りの古い世界が終わると、新しい世界が舞い込んでくる。それはこれまでの観念のないまったく新しいものだ。なりたい自分がいつも表現され、誰も何もあなたを制限することはない。
以前に瞑想法で書いたこともあるが、心を突き刺しているトゲに踏み入らなければ、あなたのように至福への転換が難しい。”モノ”にもよるがそれは非常に勇気のいる行為だ。小枝を掴んでいる手を放して、崖の底へ落ちることと同じだからね。
だが一度向き合うことを覚えれば、後は簡単。なぜならすべては幻想だったとあなたは知ったからだよ。
昨夜は凄まじい罪悪感に悩まされました。今もまだ折り合いがついてませんが。この記事のコメントを振り返ると、罪悪感に向き合うことが出来ないから苦しむと。
Aslanさん
あなたしか世界に存在していないとき罪悪感は生まれない。何をするにしても、何を考えるにしても、すべてはあなたの為にあるからだ。
龍樹という人がいてね、釈迦の教えをうまくまとめ上げた博士なんだが、彼が良い表現をしている。「自分があるとき世界(幻想)は消え、世界(幻想)があるとき自分は消える」
幻想に掴まれないことだよ。「見ている私」でありなさい。
見る経験、寒いと感じる経験、足の裏が床に触れて立って歩く経験。上着を見つけ、取り、着る経験。
見るということをやめられないし、寒いと感じることもやめられない。
勝手に起きています。
なにかしら、なんかある。
経験だけ見つめてみます。
ありがとう。
no nameさん
よろしい。また瞑想法として書こうと思うが、目の前に広がっている透明な空間を見つけなさい。それを見ているとき、あなたはスピリットの位置にいる。
>>夢見癖な人間性を捨て
これは物凄く実は難関に…。何故ならばネガティブや恐れだけに対して手放すのではないからです。
それゆえに、世界が神の巧妙さで5感以外、直観でしか真実や世界が自分と気付けないとしても実は一人がとても寂しい、知りたくなかったと感じる人が多いのも恋人や家族、ペットなど
他者との幸せゲームを楽しみたい、感じたいという人が少なくないからではないかと…。
涅槃まで辿り着けて神の視点で物事を見られ全体性の幸福感に包まれるほどに極めた方は、そのような感覚を味わったことが無いので解りませんが…。
中途で気付いたくらいが、いろいろと葛藤するのかと。頭は考えても悩んでないのですが胸が理由も解らずモヤモヤするのです…。
komattaさん
己の周囲にあるもの、ペットや最愛の人、ライフスタイル。それらを「体験している」のがあなたではないのだよ。「現時点ではそれらがあなた」なのだ。
別の方にしたコメントだがね、自分の手を眺めて「これは誰の手だろう?」と自問してみなさい。「自分の手」だとあなたは言う。だが手はそこにあれど、「自分」とはどこにあるのだろう?
手を見る度に、この自問を思い出すと良いだろう。手はあるが、自分はどこかね?
私の世界が私のマトリックスなら脚本が「MATRIX」なら私はNEO役以外ありえない。
私の世界がサザエさんなら私はサザエさん役しか出来ないのでしょうね。それは他の人達もおなじ。一人ワン宇宙。映画のマトリックスはSFコンピュータネタだけど、実はまんま聖書。モルベウス「夢の神」に導かれネオは真実の世界を知る薬を飲む。緑の数字の羅列が落ちていくのは事象の変化を表し(記号:コード)三位一体。機械との戦争の果てに、ネオがトリニティ(三位一体)愛を選ぶか選択を迫られる。
「汝、自身を知れ」はじめて世界が自分ひとりしかいないと感じた時。あまりにもシンクロが大すぎた。同じような事に悩む人が、似たような境遇が、そして誰かが芸能人の悲劇でダウン症の話題をだすと弟が仕事で帰ってきた一言目が芸能人のダウン症の話題をラジオで聞いただった。
ソクラテスの格言の深みを知り、全ての宗教の神が落ち着くデルポイ。そこに神託として記され。映画マトリックスにも使用された。
子供の頃、よくみたヒーローアニメ。敵は神やら超古代文明やら宇宙人やら。今、NASAやJAXAが注目してる火星のテラフォーミング。何故か勧善懲悪の30年近く前の時代からあったネタ。
ガンダムの字音軍はシオン。ネタは環境汚染から機械が主導権を握り人類と闘うと。皆、同じようなネタ。神の粒子、ヒックス粒子発見騒がれる前日、物理は難しそうという苦手意識しかなかったのにⅯという座標をとる不思議な夢をみた。Ⅿ理論と繋がった時、ゾッとした。
超新星発見やらヒミコというなの天体発見やらAI人工知能やら環境汚染やら宗教戦争やら。時空を超えたようにSF的な事にもつながる。
私の真我は一体、な~にを考えとるのか。
タイミングの神、トト神の気まぐれなのか。時の操作さえタイミングを調節出来る次元を超えた力も壮大なIBMのようなコンピュータ発展から「宇宙の秘密」すら解れそうな超自然的存在的壮大SFなストーリーを描けるほど神様な真我なのに、私は自分の体重コントロールさえ出来ません。
学校で電子回路がさっぱりついていけず、解んないから失業保険の為、割り切ってやればいいや。
まあ縁がなかったということで。そんな仕事つかないだろうな。と思っていれば前期、後期の入れ替わりで今回入ってきた私の隣になった後期の若い男性が、とても理数系に強く賢くものすごく丁寧に教えてくれるので理解しやすくなりました。先生を生み出してくれた神様には正直に感謝できるけど…。
私は自分の貯金を1.1倍にすることも難しい。10キロ太り5キロ減らすことさえ難しい。
時間の操作ができるほど、いろんな姿をおって教師もしてくれるのに個が持つ恐怖から抜け出すのも難しい。今回は結構、不思議の連続からだから現象世界を変えることにこだわって考えてしまいます。。。。
komattaさん
そうじゃない。「私の世界がマトリックスなら」ではなく、「私の世界にマトリックスがあるなら」となる。あなたは何に置き換わるものでもない。つまりNEOではなく、NEOを観ている者だ。
その世界に同化するから苦悩が起こるのだよ。それがハッピーな物語であろうと、SF映画であろうと、ストーリーに入り込むことが「制限」そのものとなるのだ。
ゆえに、「私の真我は一体なにを考えているのか」という疑問もありえない。真我は意図しない。その疑問ですら思考の見解なのだ。つまり「真我」と指し示す先に「真我」はおらず、それは空に浮かんだ巨大な鏡に映る自分の思考を観ているに過ぎない。
すべてはあなたの観ているもの。あなたが観えているものだ。目の前に透明な空間があることを悟りなさい。単にそこに、あなたの思考世界が映っているだけなのだよ。
焦りがあれば焦りの世界、不安があれば不安の世界がある。じゃあ焦りや不安を落とすにはどうすればいいか。焦りの世界の中でそれを解決する? いいやそうじゃない。焦りを捨てるだけでいいのだよ。するとチャンネルは変わる。
ありがとうございます。では私の前は無色透明な空で
直観でしか観えなくとも回りは巨大な私の思考を映す鏡として…。私に教えてくるもの。導くものはなんですか。子供の頃はSFやホラーアニメが好きだったけど大人になればそれほどだった。
オームの法則は理科で習ったがゲオルク・ジーモン・オームという人も知らなかったし興味も関心もなかった。子供の頃、家が禅宗から般若心経を意味も解らず唱えていただけで仏門に入ろうとしたこともなければ家が寺だったわけでもない。
祖父、父と鉄工所で自営してたから誰かがもらってきた蛇の絵を小さな工場で祀ってたり、まだ中流家庭で祖父母、父母、家族で夕食団欒とれていた、どちらかといえばマトリックスよりサザエさん敵な幸せストーリーの中、毎年、小さな工場にシマヘビがでて商売繁盛と有難がり不思議なことに関心の強かった爬虫類も大好きだった変わった子であった数年以外は、バブル時代も経験したせいか世俗的、金銭的な事にしか魅力と現実感を感じてきておりません。歴史も知らない。聖書の中身もよくしらない。イエス様が優しい方、神様に近い人以外はそれほど関心もなかった。ユダヤ人なんて興味も関心も、最初のうちなど陰謀論などがでるころ何の妄想を、馬鹿馬鹿しいと思ったぐらい。
会社でコストだ、利益だ、友人知り合いから聞く話で投資だ投機だ外車だ家だと聞いてきた中でどうして、私の世界は、それも望みませんが「ミナミの帝王」のようなVシネマでないわけですか。
焦りを作ったのは私の自我じゃなく、小学生の時、動作が遅い、のろいと言われてきたことを克服しようとしたからです。会社で時間制限内に何本かのノルマを果たさないとと言われ続けたからです。自分自身も焦りたくはない、のんびりいきたいと思っても。焦りは私の自我が望んだことでもない。少なくとも幸福な環境にあった幼い頃に無駄な焦りはなかった。
自我であるこの書いてる私から、どうできるというのでしょう。焦りや不安を鎮めるため、瞑想も心掛けていたのに。インスプレーションが空を気付かせてくれるまで、ただ祈りながら待つだけ。
komattaさん
ほお、禅宗なのかね。素晴らしいことだが、あなたはそこが基点となっているから世間に迷うのだよ。禅は常に矛盾の中にある。だがそれが真実なのだ。世間はあなたと逆のルートを辿っている。秩序から混沌に向かう形となる。
森の様子を見に行くといい。朽ち木やら落ち葉やら、あらゆるものが絡み合ってる。だがそれが森だ。マインドは混沌を超えられない。つまり「森」を見つけられない。だが実存は森を見る。
森と同様に現実はあらゆる要素で絡み合っている。そこに意味を見つけないことだ。あなたが禅定のまま「それ」を見るとき、何の迷いもない。
探していたものがみえてきた
真弓さん
そう探すべきものは、あなたの内側にある。つまり、決して外側を探してはならないということだよ。
人との出会いは、その人やそのタイミングがあなたにもたらせたものではない。あなたが体験していることなのだ。この文章を涅槃の書の作者があなたに向けて書いているのではない。あなたがこれを読んでいるのだよ。
あなたが読んでいるから、私はこれを書いたのだ。すべては逆方法にある。
「赤くて紙を食べる四角いものなあに」が「赤くて神を食べる死角にいるものなあに」って感じに見えたのも単なる思い込みと思うのですが、思い込みというより字は見たまんまですが解釈、雰囲気、感じがそう見せてしまった。
不安が強い時はそういう間違いするから微妙…。
急に強い眠気がきたり…。いまは頭痛い。あったまいて…という感じです。
日常はとくに変わりないけれど。シャレならない感じがあって抽象的で具体的でない話につい反発してしまいます。
昨日の夜7時前後は滝のような雨、台風の影響だったのか。まるで雨が生きてるようにうねるように。ゲリラ雨だったんでしょう。1時間ほどしてから嘘のように雲一つない穏やかな空だった。いつも「赤い星」が目につく。
大きく二つ、距離おいて輝いてますね。
おうし座のアルデバランかオリオン座のベテルギウスかさそり座のアンタレスかよくわからないけど冬に近づくほど星が綺麗で空よく見上げますね。く私はアルファでありオメガであるが、ふとした時よぎる。なんだか気持ち悪い。
イギリスの国旗
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%81%AE%E5%9B%BD%E6%97%97
こんなのね、歴史を勉強してる人やら詳しい人らは当然、御存知だろうし、パソコンの特性でwikiリンクで繋がっても全然、不思議ではないのだけれど。
歴史にも何も関心ない学のないおバカさんで、ピン!と来たもの一つ調べたら繋がりすぎるから。こういうのが気持ち悪いし。嫌な予感も昔ほど気にしないがしにくいのです。だから抽象的表現が誤魔化されたような気になってイラってきてしまう時もあり…。ドラゴン、ライオン、ビーストとかも知らなかったしですね。
ウェールズの旗
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%82%BA%E3%81%AE%E6%97%97
白い龍と赤い龍が戦った時は赤い龍が勝ったのですね。
高校生がダジャレいったとの赤い絆が繋がる繋がる~とか気になりすぎて。
日常はあくまで普通で肘にまだ軽い痛みはあるからその不快以上は気にしてはませんが…。おかしいですもの。会社やスーパーはある意味、普段の日常に戻してくれて有り難い反面、たまにある?????に「逃げちゃだめだ逃げちゃだめだ」と碇シンジ君みたいに恐怖に震える時ある。
昨日、ワルキューレの予告また見てて、大昔の、ビートたけしさんの真似して笑いにいこうと「ジョーダンじゃないよ」と首かくかくとかさせてたんだけど、その後、自動で流れた予告が
映画『英国王のスピーチ』予告編
ttps://www.youtube.com/watch?v=uS3SWKfQZh0
みって~ん。全然、関係ないやん。次、コメディだしwと。なんかよく予告繋がりとかでパソコンの特性??とも疑問もってましたから。
だけど最後まで予告みたら「…」となりました。
赤い竜 (ウェールズの伝承)
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B5%A4%E3%81%84%E7%AB%9C_(%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%82%BA%E3%81%AE%E4%BC%9D%E6%89%BF)
竜の国民として
ドラゴン=ハート(精神)の国
精神病にならないためにはドラゴンハードでも持ちなさいってことかいなとか。
私は自我だから、びっくり驚きで何も生み出せませんよ。
生み出してるなら内部か外部か知らんけどお星様ではないですか。
ペテルギウス
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%86%E3%83%AB%E3%82%AE%E3%82%A6%E3%82%B9
元々、前提知識がいろいろあった人ならともかく…。
科学方面はアホでも学生時代から理科やらなんやら漫画やアニメでも「慣れ親しみ」があったから拒絶反応すくないですが…てかんじです。
コメンテーターの意味がもうひとつ解れません。まず5感覚、とくに痛みの恐怖には妄想っていってもとことん弱い。何度、深呼吸することやら。
サムネイル?がエグイんですよね。頭の中で恐怖に怯えてるだけなのに、youtube見てたら漫画の広告が生贄投票「今週の生贄」この投票で選ばれたものは?とか。以前は名提督となって攻略しようと戦略ゲームの広告とか「英雄」テーマのゲーム広告とか。生贄とかの広告でると、「ふっざけるな!」と腹の底から理不尽感感じて。