リラックスするには

リラックスをする

多くの人はよくわかっていないが
リラックスとは
荒ぶった精神を抑え込むことではない

あなたの意識世界
それらすべてを立ち上げている
「無」のスペースを感じるということだ
それがリラックスである

荒れた精神をも立ち上げている空間そのもの
そこを察知するとき
あなたは精神から離れられる
つまり瞑想とはリラックスのことだ
行き着く場所は同じなのだよ

ではどのように
リラックスをすれば良いのだろう
これにはコツがある

いわゆる「手放し」だが
あなたは手放しをしようとするから
まったく手放せていない

あなたがいま感じている感情
巡り巡る思考、体の重さ、辛さ、不安
そういうものを「手放したい」とき
決して手放してはいけない

コツは「手放さない」ことだ
手放さないと意識したとき
その時点であなたは別のエリアにいる
感情や思考を目の前に浮かばせている
それが手放しだよ

別のコツならこういものもある

あなたは完全に失敗している
常にそう思い出すことだ
あなたはいつも完全に失敗するために
そこにいる
失敗するために
あなたは生まれてきたのだ

あなたは何をやったところで
それは達成されない
つまり出来事とは努力により起こるものではない
あなたとはまったく無関係のところから
その出来事は起こりだす
だからあなたの人生そのもの
あなたのやることなすことのすべては
すでに失敗なのだよ
あなたが何をしようとも
決してその通りにはならない
それを悟ることだ

諦めなさい
そのとき
あなたはあなたを離れる
手放しというより
「見捨てる」という感覚だね
同じことだ

そこに到達すると
もうコトが起こるのを
ただ眺めるしかなくなる

必要に応じて
あなたに行動が起こりだす
それに乗るしかない

実にパーフェクトだ

まったく同じ環境で暮らしていても
片方は楽しい日々で
片方は苦しい日々だ

この3行だけで
この世のシステムがわかる
あなたは何が辛いのだろう
何が苦しいのだろうか

諦めなさい
途端に苦を超えるだろう

この世は
何かを得て行くのではなく
何かを捨てていくことが
至福へのセオリーとなっている

リラックスをするということ
それは

「背負っているものを下ろす」

ただそれだけのことだ
なぜそれができないのか
なぜあなたは自ら縛り付けているのか
何が失われるのが怖いのか

ルールを捨ててしまいなさい

 


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  1. zerozero より:

    そう、全ては失敗だった。
    もう随分戦ってきたけれどもういいか…。
    ぶら下がってる責任、状況は私が放棄する事を許さないだろう……。でも、もう良い。どうしようとする策も力も全部世界にはじかれてしまった。最初から終わっていたのだ。気がついたというより分かっていた。
    もう全部下ろしたい。

    • 涅槃の書-自分 より:

      zerozeroさん

      状況を変えようとしてきたから、いまそうなっているのだよ。状況を変えようとするのではなく、状況の捉え方を変えることだ。

      ならばあなたの動き方が変わる。そして状況は解決されずに「別の状況」へと移動する。

      見えている現実というのは「あなたが見ているもの」なのだ。それを理解することだ。あなたの見方を変えればすべてが変わるのだよ。

    • zerozero より:

      返信ありがとうございます。

      (状況の捉え方を変える)とは物事のポジティブ面を見ると言う事ではないですよね?最悪だと思っている事を好意的に変換、ポジティブな面に光を当てよ、なんて自己啓発本なんかでは書いてありますが、それは不可能だ。

      目の前の景色はすでに黒に見えている。すでに存在している黒を白にする事は叶わない。それはその「存在」を認めていない、現実を見ていない。

      全ては「黒」でも「白」でもなく、(私)というフィルターでふるいにかけられて現れる。

      >見えている現実というのは「あなたが見ているもの」なのだ。
      そうです、これは私が見ている現実です。
      しかし本当にこの、とても重くて硬くて例外を認めない現実が(別の状況)に変わるのでしょうか?
      まだ途方もない事に思えます。

      私は全てを失ってもまだ気が付かないのかもしれない。
      否、まだ全てを失っていないから向き合う覚悟ができないのだろうか?
      私は甘いのでしょうか?

    • 涅槃の書-自分 より:

      zerozeroさん

      生きている中で「何が正しくて、何が間違っているのか」ということにこだわってははならない。

      それが人間関係であれ、科学や数学といった学問であれ、歴史や政治であれ、どんなことも「現時点」で正しいのかそうでないのかでしかない。

      つまり正解を外の世界に見ている限り、永久に振り回され続けることになる。

      だから自分自身だけを信じていればいいのだよ。どんな重い状況がそこにあろうとも、あなたが自分を信じている以上、状況はあなたを支配することはできないのだから。

      そうしてあなたが己の内側から踏み出すようになるとき、現実はあなたに従うようになる。やってみればわかる。

      >私は全てを失ってもまだ気が付かないのかもしれない。

      確かにそのままでは全てを失ってもまだ食われ続けるだろう。

      状況のなかで生きてはならない。そのなかには正解も解決もない。正解とはそれを探しているあなたのことなのだ。あなたが「解決」なのだ。

      だから動き方を変えることだ。

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