私たちは何者なのか(2)
現代の私たちが歴史を考えるとき、紀元前と紀元後を無意識に基準としてしまうが、それは西暦という考え方が定着しているから、すなわち西洋的な価値観が植えついているからである。つまりもうその時点で時代的な思考にはまっているわけだ。私たちは自分で何かを判断したり考えたりしているのではなく、時代が私たちを通じて物事を判断しているにすぎない。私たちは無意識に生きているかぎり、時代に翻弄されている「操り人形」でしかないのである。実際「紀元前」とか聞いたら原始的で野蛮なイメージが浮かんでしまうのではないかな。まるで紀元後の私たちが「完成された人間」であるかのようにね。
この西洋の価値観というのは、ローマ帝国以後の西洋人による世界支配という歴史が基礎にある。現代の私たちが「人生」に限られた可能性しか見えないのは、それは本来の生を生きているからではなく、西洋という価値観の枠組みのなかで泳がされていること、そしてそれに気づいていないからである。だから「人生」から連想されるその閉塞的な印象やうんざりした重さ、それらゆえに「夢や希望をみたりする」のは、完全に西洋の水槽のなかに浸かり込んでいるからに他ならない。
あなたは生まれながらにすでにその中にいるのだ。育ててくれた親もその価値観の成員であり、街も学校もテレビも政治も、すべてがそのルールに従って動いている。だからその「外側がある」なんて気づけない。いくらそのようなことを伝えている書物があったとしても、読み手が己に植え付いた価値観のなかでそれを理解しようするから、常に分厚いフィルターがかかってしまう。それはまるで引力のある地表で「高くジャンプしよう」としているようなものだ。そのすぐに引き戻されるだけの「行為」を「外側のこと」なのだと取り違えてしまう。瞑想は単に心地よくなるためのものではないということだ。
用意された幸せと引き換えに奪われたもの
本当の意味での「外側」というのは、引力という信念が破壊された領域であり、ジャンプすれば制約なくどこまでも上昇し続けることを意味するものである。それは目的に向かうための行為ではなく、永続に行為し続けるということ、すなわち過去と未来が破棄された「永遠のいま」にあり続けるということだ。
過去と未来がないということは「不幸」とそして「己が不幸ゆえに求める幸福」が存在しないということにある。いまこれを読んで「幸福はない」という言葉に絶望を感じるならば、それはあなたが時代の価値観に染まった目でこれを理解しようとしているからである。
不幸や幸福は存在しない。そのどちらも西洋が生み出した観念でしかない。西洋はそれを生み出すことで民衆を統治したのだ。つまり「目的のある人生」というレールを設定し、人類をそのレールのうえで走らせることに成功した。そこに立っている限り、常に勝ち負け(幸・不幸)に巻き込まれる。勝ち続けなければ安心できないし、たとえ「もう諦めた」と反発しても不安に襲われ続けることになる。
だけども生本来の「真なる至福」の領域は、そうした観念的な幸せや不幸を超えた次元にある。それが「永遠のいまに在る」ということ、それに目を覚ますことであるのだけども、現代の「目的主義」の社会ではそれを見出すことはかなりの困難となってしまっている。
西洋支配の時代
このように西洋の歴史とは支配の歴史であるといえる。西洋人が15世紀にはじめてアメリカ大陸に到達したとき、そこにいた先住民族にまずキリスト教への改宗を強制した。ローマがヨーロッパ全土を統治できたのは、キリスト教を巧みに利用してきたからであり、統治される側の価値観や生活の習慣が同一になれば支配が容易となるからである。
現代の私たちが常識として信じていることや、考えるまでもなく「当たり前なこと」として受け取っていることのすべては、そうしたローマ的なキリスト教支配に染められたものとなる。たとえば「ある出来事があってイライラする」とか「ある出来事があって嬉しかった」ということでさえも、時代の思惑にまんまと乗せられているのである。
日頃あなたは「理由を見つけて」感動していないかね。「これは、これこれこうだから、ここは泣くところだ」といった具合に涙を流して「熱い想いがこみ上げてきた」なんて言っていないかな。街のなかで「整列した人たち」とは異なる言動をする人をみたとき、その途端に苛立ったりしていないかな。
つまりあなたの日頃の喜怒哀楽は、あなたの純粋な感情ではないのだ。個人の主体性とは時代や権力において構築されたものでしかない。だから「ひとつの時代」のなかにおいて、人々は同じ思想や感情を持っているといえる。みんな同じなのだ。外を歩いてごらん。そこにいるのがAさんではなくBさんだったところで、何の驚きがあるというのだろう?
この民衆の均質性ゆえに衣食住や娯楽といったビジネスが成立するわけであり、まったく価値観の違う者、たとえば太古の人に現代の流行を見せても何もときめかないだろう。よって社会を回転させていくには、社会を「単体の存在」と見なさなければならない。そのときに葬られるのは、人間それぞれの個人性なのだ。
なぜこの世に息苦しさを感じているのか、だんだん見えてきたかな。いまあなたの目の前で話している愛する人でさえも、時代に操られた言葉を発しているのだ。
完璧な支配
どうやってそのように「心の中」にまで支配が根付いてしまっているのかといえば、前述のとおり、日常的に関わっている生活のすべてがそれに染まりきっているからだ。
映画もテレビドラマも漫画も黄金の法則があるだろう。パターンは決まっている。問題が起こりそれについて切磋琢磨して、最後はハッピーエンドへ向かう。すべてのストーリーは単にその「組み合わせ方」か、それらを「裏返すか」でしかない。だから働くことや人間関係、恋愛など人々にとって「生きていくこと」とは「努力をして解決をしていくもの」という認識が自明的なものとしてあるわけだ。
だけどもその「問題」や「切磋」や「ハッピー」という単位の時点で「本来の生」とはかけ離れているのである。私たちはそれらをいかに組み直すか、捉え直すかに注視してしまうが、そうではなく、それらの「部品」自体がすでに幻想なのだ。
それら「ありもしないもの」をさも「絶対的にあるもの」とし、その卓上のうえで民衆をコントロールすることが支配の根本原理となる。つまり従おうが反抗しようが何を目論んでも、そのゲームの上に立ってしまっているということだ。学校に反発して不登校になったところで、自由を獲得したとはいえない。つまり学校に服従してもしなくとも、どちらにしても社会の奴隷なのである。
ここは本当に豊かな世界なのか?
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