二重の世界

私たちは二重の構造を生きている。ひとつは「永遠の円環」である。それは時間の進行もなく、生も死もない、増えることも失われることもない。ただ漠然と充実した自然と一体に循環する、身体(ボディ)のレベルだ。

二重構造のもうひとつは「時代」となる。頭のなかの世界、つまり概念の世界である。たとえばあなたがいま「興味を持っていること」や「到底受け容れられないこと」などそうしたすべてはその時々の時代性に基準があり、つまり500年前に生まれていたならば、あなたはまったく別の「幸・不幸」を世界にみているといえる。

もちろんいまこうした話について考察している時点で、これ自体がすでに現時代の価値観であるといえる。つまり個人の人生とは「時代の人生」なのである。あなたも私も時代の反映なのだ。

全体主義(全体性ではない)のこの社会で息苦しさを覚えるから、宗教やスピリチュアルに酸素を求めるわけであり、その行為そのものからは「悪しき社会」も「善き宗教」も同一のものでしかない。以前も書いたが、正義である限り悪は無限増殖するのであり、つまり正義と悪は同じひとつのコインなのである。

だから悪を打ち砕こうとする正義そのものを打ち砕かない限り悪は消滅しない。同様に光を求めることそのものが闇であると見抜かなければ、いつまでも闇に包まれたままなのだ。理性は理性を解決することはできない。ある程度は感触のあるポイントまでは到達するが、最後のハードルを超えることは決してできない。右足で右足は踏めないのだ。

つまり人生というドラマに振り回されて右往左往している己が何者であるのかを悟らない限り、現実を乗り越えることは不可能となる。

どれだけ大金持ちになっても、どれだけ成功しても、どれだけ俗世間から離れて熱心に神を信仰しても、どのような手段をとったところでそのプレイヤーが「己」である限り、「己という制限」のなかで泳いでいるだけでしかないのである。

1.

つまり生物(自然における生体の循環)としては同じところをくるくる回っているのに「人間という種として生まれてきた」ことで、頭の中だけが時代ごとにカラフルに移り変わっている様子にある。

いまあなたが「様々な人間的な観点(思考、感情、計画、不安、期待、etc..)」を備えているように、その「観点そのもの」が「人間」なのであり、人間という個体のあなたが自然界に存在しているわけではないのだ。すべてイメージ上の幻想にすぎず、時代という枠組みが人間という「頭のなかの存在世界」を形成しているのみである。

よって「人間という種として生まれてきた」は誤りであり「時代という思考」を私たちは持っているから、私たちは自らを人間として見ているだけなのである。

また「頭の中だけが時代ごとに移り変わる」というのも「時代という思考」からみた捉え方となる。たとえば先に「500年前に生まれていたら別の幸・不幸をみていた」と書いたが、「500年前」というのも人間世界の物差しで表現されたものだ。

つまり500年前と500年後の現在が「500年の時を経た」のではなく、いまここで私たちが500年前を想定しているにすぎないということだ。ゆえに私たちは宇宙初の人間であり、そして人類最後の存在なのである。これは「常に」そうなる。1分後のあなたも宇宙初の人間であり、最後の人間であるのだ。

2.

このようにいくら思考で多彩な幻想世界を生み出しても、やはり根底にあるのは「永遠の円環」であるから、その自然法則から外れることはできない。

永遠の円環は「流れている」と人間的な感覚として形容できるけども、それは連続しているゆえにそのように表現を当てはめているだけで、時間の経過があるわけではない。時間は現在との比較によって生ずるものであり、常に相対的なもの、人間の幻想以外のなにものでもないからだ。

たとえば海面が蒸発して雲になり、雲が雨として降り、それが川の流れになって海へ還る。このサイクルはどこが始まりでも終わりでもない。川だけをみてもそうだ。あるときは橋の下を流れ、あるときは河口を流れ、あるときは早瀬に流れているが、川は至るところで同時に存在している。川には過去も未来もない。どこを切り取っても常に「いま」であり、常に同時にすべてがある。

この話はすべてを現象させている宇宙に帰着する。つまり宇宙はビッグバンも、その後の膨張から現在に至るまで同時にすべてが起きており、そのすべてをいまここで同時にみているのである。「人間の頭のなか」だけが直線的な時間の幻想を持つが、観察する自然から得られる回答とは「すべては同時にここにある」という不動不変の円環なのだ。

つまりこうした一連の「流れ」を捉えているとき「何も流れてなどいない」ことを悟ることができる。まして一体何が「雲」で、一体何が「川」だというのだろうか。それは雲でも川でも海でもないのだ。

このように人間の観点での「区切り」が取っ払われるとき、意味を持たない円環が「ただ在るだけ」となる。それが永遠の円環との限りなく近い接近であるといえるわけだ。

つまり正義や悪、幸福や不幸、それらの表裏が合わさり、コインは真空に漂っているだけとなる。

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