変化するキューブ

毎朝洗面台に立ったときや、お風呂のなかでふと気づいたりする。「またこの風景か。昨日も同じことを考えていた。あれからまた1日が過ぎてしまったのか」

この避けることのできない絶望感をあなたはどれだけ味わってきただろうか。

だからせめて何か新しいことをはじめたいとか、そのためには、やり残していることを片付けたり、抱えている問題を解消したりしようとか、悪い習慣を断とうとか、そうして背中を押される気持ちになってきた。

だが大体はその暴力的ともいえるような、無慈悲な毎日の経過に打ち勝つこともできず、いつか来るはずの終わりの予感に「見て見ぬふり」をしながらやり過ごしてしまう。

それはもちろん本望なことではない。だけどもずるずるといつもと同じ怠惰に流れてしまうわけである。

そうして毎日は処理しきれない物事がさらに積み重なっていき、ますます身動きが取れなくなっていく。

1.

しかしあなたがいくら見ぬふりをしていようとも、その「やり過ごしている」という罪責感は深層意識ではしっかりと握られている。だから表ではニコニコしているつもりでも、心は常に張り詰めている。

他人にとやかく言われたくないという気持ちが己のなかで常に勃発しているゆえに、いつも他人の目を気にしている。

「うるさく言われたくない=変に思われたらどうしよう」は同じ原因を掴んでいるということだ。

そんなわけだからいつも後ろめたさに満ちており、人生の冒険なんてとても踏み込めず、結果的にこれまでと同じような欲望や快楽を求め、大した満足もない日々に甘んじることになる。

現代人の精神状態を一語で表現するならば、間違いなく「苦渋」だろう。物質的な不足はないのに、いつも何かが不足している。だがそれを満たすことは心の抵抗ゆえできない。

2.

さてまずあなたが知っておかなければならないのは、繰り返される毎日のなかで、己自身が不安や焦りに追われたり、希望を求めたりして葛藤しているのではなく、己とは繰り返される毎日そのものであるということだ。

つまりあなたが出来事に遭遇しているのではなく、遭遇している出来事自体があなた自身であるということ、それが己の姿であるということにある。

他人との諍いも、今日の天候も、テレビのニュースも、食べ物の味も、あなたがそれらを体験しているのではなく、体験そのものがあなたという現れなのである。

この図地反転の見方を備えなければならない。言ってみればそれが現実からの脱出となる。

3.

図地反転とは、

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