天の川

地元の神社の手伝いによくいくのだけども
先日は七夕の短冊の焚き上げや掃除を
みんなでやっていた

ひとつひとつの願いを天に届けるのが
焚き上げの象徴するところだが

短冊には子どもから老人まで
また将来の夢から切実な思いまで
いろんな願いが書かれている

私も七夕に短冊を書いた
一緒に暮らす動物たちの分も書いてあげた

もちろん私は”長年の経験”から
具体的な望みであるほど
短冊に書いた程度では
実現しないことを知っている

むしろ愛や幸せのように
具体的ではない望みは
それを叶えようとするよりも
すでに叶っていることに気づくために
書いているということも知っている

そしてもうひとつ大事なことは
たとえば動物たちの代筆をしてやるとき
私はもちろんその願いを叶えてあげたいわけで

すると叶わないようなことではなく
叶えてあげられるものを書くことになる

だがそうして
願いを叶えてやれる”私”は何者なのか

人生に打ちのめされていた頃
具体的な望みの実現を神に期待し続けていた
けれども何一つ叶えてもらえなかった

それゆえいつも絶望していた
神も愛も信じることなんてできなかった

ところがいつからか

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