この世の秘密を知る

本当に集中できているときは
自分が集中してることさえ
気づいていないわけでね

たとえば趣味の何かに熱中していたり
仕事や読書にしてもそう

むしろ集中の糸が切れたときに
没頭していた己に気づくことになる

だがその己はその何かと溶け合って
ひとつになっていたのであって

つまりその何かと分け隔てられた自分は
“この世”に存在していなかったんだ

 

1

もちろん集中していたとはいえ
その糸が途切れそうになったり
それを掴んだりの繰り返しだろう

つまり完全にそれから切り離されて
あれこれ思惟する自分の姿が克明に現れたとき
再び集中の糸を掴むのが難しくなるわけで

むしろそれは
自分の姿を消し去ることの難しさにある

なぜならその糸を
また掴もうとするのは自分だけども
しかしその糸を掴むというのは
そのような自分がいないという
パラドクスにあるからだ

 

2

このことは
私たちが幸せを感じているときも同じ

幸せとは

全文をお読みいただくにはご入会後にログインしてください。数千本の記事を自由にご覧いただけます。→ . またご入会や入会の詳しい内容はこちらから確認できます→ ご入会はこちらから


Notes , , , , , , , , , ,

コメント・質疑応答

  関連記事

-->