遺品整理

お盆の時期なのでね
こんな話をいれておくよ

人はもちろん
動物やその他の生き物にしても
そうしてたくさんの生きる命と
私は親密に関わる人生を過ごしてきたが

それは同時に
その死をその分だけ経験する
ということでもある

こないだまで一緒に笑い合っていた人
いつも通りの朝をともに迎えて
「おはよう」と声をかけていたメダカもそう

そんな彼らの”遺品”を整理しながら
かつて私の世界にいたその存在が
もういないのだと改めて知るとき

彼らの生きた時間とは結局のところ
私の生きた時間だったのだとわかる

すなわち私の生きてきた時間は
彼らが生きていた時間だった

だから別れで胸が苦しくなるのは
その人と馬鹿を言いあった時間も
メダカに声をかけた毎朝の風景も
その魂の消滅とともに
私の生にもう二度と現れることができないからだが

毎日なにげなくやっていた世話や
行為のすべてに重大な意味があったわけだ

つまりそんなときに私たちは
なにか大切なものが
これまでずっとそばにあったんだと
ようやく気づくのだけども

私もそんな後悔と
その失ったものの大きさに
長いあいだ苛まれていた

 

彼らは自分のみている世界を
私に語っていた

人であれ動物であれ
その生きる姿そのものが
彼らのみている世界を表現しているからだ

なによりそうやって語ってくれているのは
“私のこの世界”においてにあるゆえ

だから私は可能なだけ
彼らが素晴らしい世界に満足できるようにと
努力をする

それは”私にしか”できないからだ

たとえば”縁”としてうちにやってきた生き物を
ただエサをあげるだけの鑑賞物などにはしない

一緒に朝の光や匂いを感じれるように移動したり
また私なりにその生命の十全な環境やあり方を
時間をかけて学んでいく

よく話題になるのは
「自分が死ぬ時に後悔するリスト」
みたいなものだが

つまりなぜもっと素直に生きなかったのだろうとか
細かいことばかり気にせず
もっとこうしておけばよかったとか
そんな具合だけども

しかし親しい仲だった存在の死を経験するたびに
深い後悔と
そしてその死から
大切なことに気づかされてきた私としては

「他者が死ぬときに後悔するリスト」のほうが
遥かに大きなものとしてある

親しい仲だった存在の死に直面したとき
どうしてもっと好きにさせてやれなかったのだろうと
思うからだ

もちろんできることはやってきた
それでもまだまだできたんじゃないかという無力さを
毎回感じてしまうからね
このことはあとで続けよう

多くの場合において
私たちは自分の時間を惜しんで
他人のことを疎ましく思う傾向にあるだろう

あれこれ悩みごとを抱えているのに
関心のないテレビドラマの話を延々話してくる家族に
あなたはどこかへ行ってくれと願う

だが話しているように
他者の生きた時間は
己の生きた時間そのものにある

つまり他者の死を前にして
胸が張り裂けそうになるのは

その存在を大切にしなかったことは
己自身の人生を大切にしていなかったのだと
気づかされるからであり

すなわち自分の都合にかまけて生きていたのは
リアルタイムな「いま」から
常に外れていたということだ

それは生を十全に生きていたのではない
その人との触れ合えた時間
その人の声や伸びた腕の美しさ
なにもみていなかった

それはその人を大切にしていなかったと同時に
己自身のこの掛け替えのない奇跡の連続に
気づいてなかったということでもある

その取り返しのつかない悔いに
「もう同じことをするなよ」と
先に立っていった存在たちは教えてくれている

その命を大事に、とね

もちろん「自分が死ぬ時に後悔するリスト」にも
他者に対してしてやれなかった後悔も
含まれているだろうが
つまりみているところが少し違うということだ

 

本能の反応

ところで”別れ”が目前にあるとき
いつも不思議なことがある

人は言葉を話せるが
しかし犬や猫といった共生の長い動物だけでなく
先のメダカにしろ
弱っていて一時的に保護していたアゲハ蝶にしても

そうした親密な関係にあった存在が死を迎えるとき
まるでありがとうと伝えてくれているかのような
そんな行動やそぶりを見せるからだ

もちろん人間以外の生き物に
「意思や感情の疎通がある」なんて話は
人間側の都合のよい解釈であり
擬人化しているにすぎない

つまりそのようにみえるのは
その生き物の本能の単純な反応というのが
科学的な見解にある

たしかにそうなのだろう

だがその
“本能の単純な反応”とはなんだろうか

たとえばメダカからすれば
大きな動く影がみえたら
おいしいエサが降ってくるし
なにやら水中がガサゴソと騒がしくなったら
綺麗な水に入れ替わったりする

そうして本能が安心するスイッチが
条件反射でオンになっているだけであって
別にあなたを親しいパートナーとして
喜んだり感謝しているわけではない

それと同じく
あなたの無知や過ちで水質が悪化したり
病気になってしまったとしても
それでもメダカはあなたを恨むことはないだろう

彼にとってはただそうなったのであり
ただ苦しみがやってきているだけにある

だけどもそんなとき
大きな動く影がみえたら

その大きな動く影によって
苦しみから抜け出せると信じているがゆえに
あなたのほうへ寄ってくるかもしれない

そう、それは”ただの本能”だ

だがそのあなたとメダカの関係とはなんだろうか

無知だったあなたの失敗で
ひどい苦しみにメダカは見舞われているが
しかし恨むことも疑うこともなくそのことを受け入れ
いまだあなたを信じている

メダカにとってあなたとは自然そのものであり
生命は自然との協調のなかで歩まれていく
それは”ひとつの流れ”そのものだ

つまり単純な本能の反応とは
そういうことじゃないのかな

猫がひなたぼっこをしたいからと
ドアを開けてくれと催促するのも
本当はそこにドアなどあってはならないのであって

全文をお読みいただくにはご入会後にログインしてください。数千本の記事を自由にご覧いただけます。→ . またご入会や入会の詳しい内容はこちらから確認できます→ ご入会はこちらから


Notes , , , , , , , , , , , ,

コメント・質疑応答

  関連記事

-->