幸せな夢をみるということ

“幸福”という呼び名は
人間だけの概念であり
動物や植物にはないとはいえ

暖かい毛布にくるって
気持ちよさそうに眠っている飼い猫は
やはり幸福そうにみえる

だがまさにここに
人間が名ばかりで見失っている
本当の幸福とはなんであるか
示されているわけで

つまり「幸せになりたい」と願っていながら
「幸せ」がなんであるのかを
実はわかっていないがために
高級な暮らしや結婚生活をはじめても
不幸なままの人が大勢いるということだ

もちろん
「幸せはお金では買えない」というのは
昔からの決まり文句だけども
それは正解であり間違いでもある

なぜなら高級な暮らしを得たことで
幸せをつかんだ人もいるわけで

だがそれは
たとえ簡素な暮らしになったとしても
幸せがなんであるのかを
なおもその人が「知っている」のであれば

ひと周りして
「お金があってもなくても幸せには関係がない」
ということだからにある

つまりそこに”真に気づけるかどうか”が焦点なんだ

 

苦しみが”幸せの仮面”をかぶってる

では幸福とはなんだろうか

まずわかるのは
人間が作った概念でありながら
心地よさそうに安らぐ猫も
幸福にみえるのだから

またお金持ちになっても簡素になっても
幸せな人はそのままであるわけだから

つまり幸福とは
観念や概念ではないということだ

逆にいえば
人間の世界(観念世界)における幸福は
“優越”の意味に近い

他のなにかとの比較において
アドバンテージをみているにすぎないわけだね

当然それは他との連関によって
常に変動する

最新型のメルセデスベンツも
瞬く間に型落ちであり
もし最新型に乗っていること自体に
“幸福”をみているならば
たちまち奈落へ落ちることになる

また家庭も同じく
よそとの比較でいまの基準を保とうとすれば
それは幸せを維持しているのではなく
苦しみを維持している努力でしかない

なんでもそうだけども
一度作られた基準というのは
下げることは難しい

それは“自分”アイデンティティを失うことであるからだ

だがそうして”自分”を失えるからこそ
幻想のなかで苦しんでいたことを知る

幸せの仮面を”不幸が被っていた”のだとね

 

仮面のない”素顔の幸せ”

しかし毛布にくるまる猫をみるとき
たしかに寒い外で暮らす猫との比較でみれば
それは優越的な幸福にある

だが猫自体は
そんな比較の世界などみていない

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