「最も恐れていること」は決して起きない

「潜在意識が願いを叶える」「潜在意識が不幸を起こす」そんな感じでスピリチュアルでは潜在意識がキーワードになっている。

ところで潜在意識という”語句自体”は精神分析や心理学など特定の分野で「心の深い部分」を示すために表された概念や表現にすぎないから、別の分野(たとえば宗教、脳科学など)ではまた別の言葉が用いられる。(神、阿頼耶識、グローバルワークスペース、etc..)

だから示しているものはその分野での範囲や限定はあるけども、根本的に同じ方向にあるものを指しているのであり、言いかえれば、語句の表現自体に振り回されてはならないということだ。

月をさす指はいろいろあれども、月自体は同じということだね。

特に「潜在意識」という語句は、あらゆる認識や表象を包括する概念でもあり、このことにはより注意深くアプローチしなければならない。

たとえばよく話すように、脳科学者は脳を研究すればするほど、自らのしている研究の足場が崩れていくというパラドクスにはまる。

なぜなら脳の構造や原理を研究している己の脳も同時にその研究の対象に曝されているからであり、研究している脳が何かを認識している構造を知ると同時に、己もまた”目の前の脳を認識している”のだと気づいてしまう。

だが人間の”現実世界”には「脳」というものがあり、脳を研究している社会的な機関に己は属している。だがこれはどういうことなのだろう?

つまり、”人間”は何らかの「暗黙の前提」が敷かれた上でその活動や目的を生きてるのではないか、と気づいてしまうわけだ。

もうそうなるとすべてが芝居じみたものになる。

暗黙の前提の上で、己は「脳」という概念を作り出し、その幻想をひたすら研究しているだけであって、本当は「脳」なんてものはなく、同様にこれまで暗黙の前提の上に生み出されてきた無数の幻想の蓄積のなかで、”己”はこの人間の世界で暮らしている「ふり」をしているにすぎないことを知ってしまう。

もはや「己」すらもない。己もまたその前提の上に出現している幻であるからだ。

そして潜在意識を探究するというのは、この脳科学者のパラドクスを外側から眺めることに等しいといえる。

なぜならあなたが知るあらゆるすべて、他者や自然や出来事など、人生で経験したあらゆる一切は、あなたの意識のなかで認識されているものであるからだ。いまこうしてこの話を読んでいることもそうだね。

そのように捉えてみれば、私たち人間が日頃いかに表面的な説明や語句の是非ばかりを議論しあっているかがわかる。

前にコメント欄でも話したものだけども、

──

たとえば子どもからみている親の夫婦喧嘩のようなものだ。

夫婦は相手と真反対のことを言い合っているつもりでいるが、子どもからすれば彼らが同じことを言ってるのを見抜いている。

──

もちろんこうして「私たち人間が・・」と語られるとき、この人間の様相は”あなたのなか”にあることを忘れてはない。私たちは”あなた”のなかにある。それは言いかえれば、”私たち”はそもそもひとつの実体だということだ。

つまり富士山の比喩をよくするけども、個々の魂とは同じ富士を様々な方向から眺めている各々の視点にすぎない。”見え方”は当然違うが目指しているのは同じもの、だがそうして富士を見つめているのは、富士自身なんだ。

というわけで今回は「心の深い部分」が人生を変える鍵を握っているということについて進めていこう。

 

“毎日”の変化

潜在意識が現実を変える、つまり潜在意識に何らかの変化を与えなければ、同じ現実や同じ苦しみが繰り返されることになるのだけども、じゃあ己はどのような潜在意識を抱えているのか、となるね。

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