肉体は常に「いまここ」にいる

ただ見る
ただ聞く
ただ話す

ただ歩く
ただ向かう
ただ話す

ただ食べる
ただ笑う

これがリアルだ
すべて肉体的である
肉体的であることが
「いまの境地」である

だが
悩む、渇望する、期待、妄想など
肉体を伴わないもの
すなわち思考の罠に陥るものは
「いま」にない
過去やら未来にワープしている

あなたが食べるとき
肉体行為のままに食べればよいのだ
食べながら他の思いに耽ることが
あなたに苦しみを生んでいる

だから肉体がキーワードとなる
肉体が感じられるものとは
常にリアルタイムだ
肉体を通じて
「いまここ」に入りなさい

 

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コメント・質疑応答

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  1. より:

    屁理屈みたいなこといいますが、過去も未来も、いまここでいることには変わりないのでは?今、ここにある空想。

    • 自分 -涅槃- より:

      >>鯤さん
      それはどちらの意味だろう?

      過去も未来も、いまここで想起されているとすればその通りだ
      つまり過去や未来などなく
      永遠の「いま」が常にここにある

      地球は自転しているが
      それがまさに「いまここ」を示している
      朝や夜がやってくるのではなく
      常にいまが進行しているのだよ

  2. より:

    なるほど。朝が来た夜になったと認識している我々はいかに観念の世界を生きているか気が付きもしないですね。

    ところで、因縁生起と言う言葉をこの書では特殊な意味で使っていますか?
    因縁生起をネットでサクッと調べると、物事は因と縁から生じる(因縁実在説か?)と言うこととありますが、自分さんは因も縁もあくまで、今、ここに生じる仮設に過ぎない(因縁非実在説)と言う意味で用いられているように思われるのですが?

コメント・質疑応答

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