人間であることの疲れを解消する
自分らしく生きたいけども
そうして自分を主張すれば
周囲とうまくいかなくなる
いったいどうすればいいのか
そんな相談がいくつかきているので
手記にしておくよ
この解決には
人間世界がどのような仕組みにあるのかを
知っておくだけでいいのだ
むしろ私たち人間が
そもそも何者であるのかを知らないからこそ
“自分らしさ”の意味を取り違えてしまい
それゆえにうまくいかないのである
たとえば毎日いろんなことで
疲れているだろうけども
疲れには2種類ある
ひとつは楽しい時間を
過ごしたあとの至福感がそうで
それは至ってポジティブなものだ
たとえば友達とスポーツで盛り上がった後や
恋人と密な時間を過ごしたり
情熱的に仕事に没頭したり
美味しいものを食べたあとの満足感や
見るものすべてが新鮮で刺激的な
海外旅行で歩き回ったあとのスパの時間など
そうした楽しんだ後で感じられる体の保養感
キラキラしたものが
全身の筋肉を癒してくれているような感じは
覚えがあるはずだ
それは言ってみれば
大いなる自然と触れ合っていることであり
つまり体そのものの疲れとは
決してネガティブなものではない
自然の循環そのものであり
動物や植物も同じく
活動と癒しのサイクル
満たされたエネルギーのなかで
すべてが生を開花している
そして一番大事なところだが
この解放された在りかたとは
己という存在が
過去から未来に渡っての”同一の何か”ではなく
一瞬一瞬としてそこに現れているということだ
その瞬間の自然とひとつになっていること
それによってエネルギーは常に満たされるのである
1
ところがもうひとつの疲労感はそうではない
人間というのは
無駄な動きで疲れるものだ
無駄な動きをしてしまうのは
どんなときでも
他人の目を気にしているからにある
だがこれは人間であることの定めであり
たとえそこに他人がいなくとも
客観的な目で己自身を縛り付けている
たしかに自然や動物のように
その場その場に溶け合っているだけなら
すべてが肯定的となるが
嫌だから逃げるとか
欲しいから奪うといったようなことを
肯定してしまうと
社会では生きていけなくなる
言いかえれば
自分を過去にむけて反省をさせ
そしていましている行為が
未来にどのように影響を与えるのかを
考慮させることが社会の参加要項となるわけだ
たとえば目の前で
知人が辛い思いをしているとき
私たちは同調してやらなければならない
知り合いの葬儀では
悲しい顔をしていなければならない
確かにそんなことをしたところで
何にもならない
だが「やるだけ無駄だ」という態度でいると
社会から追い出されることになるだろう
こうして私たちは
常にお芝居をしなければならないわけだが
それは社会で暮らす私たち人間が
法的な存在であるからに他ならない
つまり私たち人間とはルールの中でのみ
その存在や生存が許されているのである
2
あまり堅苦しくならないように進めるが
よく法は個人を守ってくれるものという
誤解をしている人がいるがそうではない
そうではなく法によって
私たちは存在しているのであり
言いかえれば、法がなければ私たちは
人間にすらなれないのである
つまりここでいう法とは
一般的な法律に限るものではなく
それを含めて私たちが
ごく当然としている社会的規範のことだ
たとえば”良心”はその現れであり
「これはやっちゃいけないな」とか
「ここで手を貸してやるべきだろう」とか
人間として存在している以上
たとえそれが条文で定められていなくても
そうあるべきだという見えないルールのことだ
詳しくは以前の手記でも話している
(リンク先の5章以降参照)
ゆえに「法からはずれた者」とは
人間の営みをもたない自然存在であり
私たちからすればその存在は
恐怖と不安そのものとして映ることになる
金属パイプを振り回している
若者の集団が現れたときを想像してみれば
当然あなたは身構えるわけだが
それは彼らが法を逸脱している可能性を
感じるからである
つまり彼らそのものが恐怖なのではなく
法を超えたその得体の知れなさが恐怖なのだが
それはあなたが法的な個人だからだ
だから法に個人が守られているのではなく
法に”縛られる”ことにより
「人間が可能である」ということになる
それゆえに
知らずのうちに自分が罪人とされ
罪を裁かれるという人は後を絶たない
まったく自分とは無関係のところで
自分の罪状が審議され裁かれる
彼らは自分が罪人であることを
“あとで教えられて”知るのである
現にあなたの周囲の人間関係も
まさにこの通りのはずだ
芸能界なんかでもそうだね
動いているのは法(ルール)のほうなのだ
3
私たちが「人間であること」が可能なために
役所の書類に記載され管理され
クレジットカードの使用や
最近では店のポイントカードにいたるまで
自分がどこでなにをしていたのかが
しっかりと記録されている
つまり法の管理下にある=人間である
こうして役所の戸棚で管理され
社会的なアイデンティティ持つとき
“私”は過去から未来に渡って
「同一の存在である」と承認していることになる
自分という名の重い十字架を背負いながら
遠い過去からの道のりを
遥か未来の果てまで
歩き続けていかなければならない
社会的な存在になるとは
その契約をしたということだ
つまり「自分」は
ずっと出現し続けているのであって
一瞬一瞬ごとの解放された存在ではないのである
この意味で社会への参加が
許可されない人たちの
「本当の理由」がみえてくる
Notes あなたの世界, あるがまま, いまここ, 充実感, 幸せになる, 幻想, 心, 生き方, 自分, 苦悩
関連記事
- PREV
- 起きた結果ではなく原因のレベルで現実を変える
- NEXT
- 物事に線を引くことで精神的に自由になる
コメント投稿の注意事項
以下をかならずお読みください。
・公序良俗に反する内容、品性に欠いた文章、その他、閲覧者に不快感を与えると判断された投稿は掲載不可の対象となりますのでご留意ください。コメント欄は常時多くの方が閲覧しておりますことをご理解の上投稿してください。
・会員記事のコメントはログインしないと表示されません。
・会員の方はユーザー名が入ってしまうので別名をこちらで申請してください。必須。
・追記などを投稿する時は自分の最初のコメントに返信してください。
・記事に無関係な投稿は禁止です。良識範囲でお願いします。
・ハンドル名が変わっても固有idに基づき本人の同一性が保たれます。
・対応の状況によりすべてのコメントに作者が返信できるものではありません。
・規定の文字数に満たない短文、英文のみは表示できません。また半角記号(スペースやクエスチョンマークなどの感嘆符)は文字化けなどのエラーになりますので使用しないでください。使われる場合は全角文字でご使用ください。
・他の利用者を勧誘や扇動する行為、誤解を与える表現、卑猥な表現、犯罪行為を正当化するコメントなどは禁止です。また全体の文脈の意図を汲み取らず言葉の端や表現に用いられた構成部分だけを抜き出してその箇所のみへの質疑や意見する投稿も当事者にも他の閲覧者にとっても無益となりますので禁止です。それら意図がなくても事務局でそのように判断された場合はその箇所を修正削除させて頂いたり、または掲載不可となりますので予めご了承ください。
・同一者の投稿は1日1〜2件程度(例外を除く)に制限させていただいております。連投分は削除させていただきます(コメント欄が同一者で埋まり独占的な利用になってしまうのを防止するためであり日を跨いだ投稿も調整させていただく場合があります)
・個人情報保護法により個人情報や会員情報に関する箇所が含まれている場合は該当箇所を削除させていただきます。
・投稿内容に敏感な方も多くいらっしゃいますので、暴力的な表現など他の利用者様へ影響を与えそうな文面はお控えください。
・意図的であるなしに関わらず、文章が途中で途絶えているものは掲載不可となります。もし誤って送信された場合は早めに追記として再投稿してください。
・マナーを守らない場合は規約違反となります。また他のユーザーや当事業部、作者への中傷や毀損と思われる言動は会員規約に則り強制退会および法的措置となりますのでご注意ください。
・投稿者による有料記事の大部分に渡る引用は禁止しております。
・スパム広告対策にセキュリティを設定しております。投稿後に承認待ちと表示される場合がありますがしばらくすると表示されます。また短時間の連続投稿はスパム投稿とみなされるため承認されません。時間をおいてください。
・コメントシステムはWordpressを利用しておりますので他でWordpressアカウント(Gravatar)を設定されている場合、アイコン画像がコメント欄に表示されます。会員登録されたメールアドレスで紐づきますので、もしアイコンを表示させたくない場合はお手数ですがこちらより涅槃の書の登録メールアドレスを変更してください。