甘えたい、抱き合いたい

あなたがなぜいつも落ち着かないか
それはどんなときも
探すことをやめないからだ

安心したのもつかの間
まるで安心を許さないかのように
あなたは不足をこしらえていく

見つけようと外に出て行く限り
あなたの家は暗闇となる
意識の不在というやつだ
心ここにあらず、ともいう

何かをするのは良いことだ
「何かをすること」が
あなたの正体なのだから

だがね
外側を追い続けるのではなく
自分を見つめながらそれをやりなさい

仕事をするならば
自分を置いてけぼりにはせず
いつも自分の方を見ていなさい
内側に意識を向けていなさい

それが”自分と向き合う”ということだよ

世界に追われていたら
自分と向き合うヒマもない
気が付いたら
こんなに月日が流れている

一番大事なものを忘れていたからだ
すぐに自分に向ければいい
すると月日の流れは終わる
なぜなら
あなたが流れになるからだ

甘えたい
脱ぎたい
抱き合いたい

恋人がほしい人なら
理想の相手と

仕事の人なら
お金と

結構なことだ

だが世界はひとつの形を留めることはしない
そのスピードについていけるかね?
あなたはいつも追い続けるしかない
辿り着くときはいつも残骸、亡骸、

いいかい
戯れたいなら自分に意識を向けなさい
あなたの欲しいものは
そのハートの中にある
どうしてその欲求が生まれたのかね?
どこからそれが”起こった”のかね?

気まぐれな女に振り回されることもない
安い香水をつけることもない

常にリアルタイムでありなさい
自分に意識を向けたなら
あなたがスピードそのものとなる
そのとき世界は手中に落ちる

 


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  1. ワモノ より:

    最近、頭の声に気付いたらそれをやめてただ行為を眺める、今にあるということをやっています。
    すると昨日、今自分の望んでいる全てがあるという感覚というか気分に一瞬なりました。
    今にいるときはなんかこう体にぐわーと流れ込んでくる感じです。今にいるときはただ歩いているときでさえ世界をガンガン進んでいる感じです。
    まだ気付いたら頭の中で議論が始まってしまうのですが、自分さんがおっしゃっている波に乗るや宇宙を駆け抜ける彗星がほんの少し体感できた気がします。

    • -自分- 涅槃 より:

      ワモノさん

      よろしい
      そう、常に時計の針先にいなさい
      そこは未来や過去の煩いがなく
      ただ「コトの起こり」がある

      いわばジェットコースターの中だ
      周囲が過ぎていくのではなく
      あなたがその中を過ぎていく
      ただ眺めているだけ

      人のマインドはいつも未来か過去にある
      そのときは
      あなたの周囲が過ぎていく
      つまり時間の中で取り残される

      この違いは大きい
      まさに天国と地獄の違いがある

      そのまま続けていくと
      より定着していくだろう

  2. old friend より:

    自分さん、はじめまして

    いつも楽しく拝見しています

    今の自分にピッタリな手記だったので

    思わずコメントしてみました

    内を見ながら外を見る

    最初は難しく感じましたが

    おかげさまで 少しずつできるようになりました

    気づいたら戻る を繰り返しながら

    意識して続けてみます

    自分さん、いつもありがとう

  3. -自分- 涅槃 より:

    old friendさん

    はじめまして
    最初のうちは忘れてしまう

    意識の向きとは癖のようなもので
    人はいつの頃からか外側を捉えることばかりに
    向くようになってしまった

    内側に向けるだけでいいのだ
    外側に向いてしまう”癖”を正すだけ

    「癖」だと刻みなさい

    ただの癖なのだ
    あらゆる不幸な思い、
    惨めさや劣等感、恐怖や焦りは
    すべて癖から起きている

    それをやめれば光明が起こる

    癖を治すだけ
    それは可能だ

  4. kouiti より:

    自分さん、くだらない質問ですいませんがどうしても
    わからないことがありまして敢えて恥ずかしながら投稿しました。夜、家の監視カメラ(防犯用)に人魂らしきものが写ってました。幽霊とはどのように解釈したらよいのでしょう。見たという人もいますし、その反対に見たことないという人もいます。

    • -自分- 涅槃 より:

      kouitiさん

      例えばそこで周囲を見渡しなさい
      部屋にいるならば机や椅子があるかもしれない
      外ならば建物や樹木、アスファルトなど

      なぜそれらがあるかといえば
      あなたが見たからだ

      そこにあるものを見たのではなく
      あなたの解釈でそれが見えている

      つまりあなたの知っているものは
      すべて見ることができる

      もしあなたの知らないもの
      「X△○2DE■」を私が知っていても
      あなたは想起することができない
      つまりあなたの現実には出現しない

      間違えてはいけないのは
      見たこともない知的生命体がいたとしても
      それは「見たこともない」という知識から来ている
      それは「知っていること」となる

      そうではなく
      あなたが想像もできないようなもの
      それは登場しない

      ただここでひとつポイントがある

      あなたが何を観ようとも
      すべてあなたの見解であるということ、
      想像が起こしているものが現実ということだ

      だから幽霊でもケーキでも
      中身は同じだよ

      「中身のもの」は言い表せないものだ
      それは幻想ではない

      そこに盲目の人がいるとして
      ケーキや幽霊は説明ができるだろう?
      だが赤色を言葉で説明してみなさい

      色とは見解ではなく光のものだから
      言葉で説明することはできない
      つまりあなたの本性に限りなく近いものだ

      幽霊は言い表せる
      だからそれは幻想となる
      言葉で表現できるものは
      すべてあなたの想像のものということだよ

      その世界にあるものは2つだ
      ひとつはあなたの想像により見えているもの
      もうひとつは見えてはいるが
      それが何なのか説明できないもの、色など

      だから幽霊とは
      あなたの作り出したヴィジョン、となる

    • kouiti より:

      早速の回答有難うございます。
      自分のなかのビジョン、そして自分で生み出しているということですね。とすれば怖いことはないし、驚くこともないですね。自分さんが常に言われているようにそれに執着せず「流して」いればよいのですね。

    • -自分- 涅槃 より:

      kouitiさん

      「瞑想」という新しいシリーズがスタートした
      そちらも読んでみると良いだろう

      なるべくシンプルに書いていくよ

  5. より:

    人間関係が全くうまくいかない。

    この先も、うまくいかないし、失敗ばかりだろうが、それでも、事は起きた。
    失敗しないように生きるよりは、実際に失敗や破局が起きた方がましか。
    これが私が望んでいる事なんだろうか。
    だとしたら、随分自虐的だ。

  6. より:

    自分で生み出していることだとすると破局も自作自演?
    自分がそれを欲していた?
    自分が一番いやがることが一番嫌がる形で起きた。
    でも、自作自演と思っているから意外と冷静。

    • -自分- 涅槃 より:

      鯤さん

      対象や物事に意識が向いていると
      あなたのような見解になる

      それは誰でもそうだ
      どんな偉人でも覚者でも
      内に光が灯っていないとき
      己は不在となる

      それはすぐに解決できる
      自分を生きればいいのだよ

      そのときこれまでと
      まったく同じ出来事の中にありながら
      あなたの世界は激変するだろう

  7. old friend より:

    自分さん、先日はお返事ありがとうございました。
    「癖を正すだけ」この言葉が響きました。
    なんだか、力んでたものが解けた気持ちです。
    とてもシンプルだったんですね。
    定着できるまで続けます。ありがとうございます。

    • -自分- 涅槃 より:

      old friendさん

      意識の向きについては
      誰もが悪癖を持っている
      イエスの放蕩息子の話があるが
      それも「癖なおし」の話となる

      悪癖を知っているから
      真実へと向かうことができるのだ

      不幸さえも癖だ
      どこかからやってくるものでも
      何かに影響を受けるものでもない

      その癖があれば
      いますぐそこで不幸になれる
      つまり癖をなおせば
      不幸になることはないということだ

      あなたがいかに
      自分の意識を正せるか、
      それが今世での修行となる

    • ONEPOINT より:

      返信ありがとうございます。
      自分に合った瞑想を心がけたいと思います。

      このコメントに対して質問させていただきます。
      私も内側に意識を灯す要領はつかめてきて
      後は悪癖を直すだけになってきているのですが
      どんなに要領が掴めてきたと思っても
      苦手な人の前に出るとどうしても身体が強張ってしまうのです。
      それもだいぶ対処ができるようになってきたのですが
      何十年も自らを抑圧していたと思えばすぐには改善されないのでしょうか?

      スピリチュアルマスターの
      「何もする必要がない」「難しいというのは思い込み」
      という言葉を聞くたび戸惑っています。

    • -自分- 涅槃 より:

      ONEPOINTさん

      帰宅して部屋に入ると
      目の前に殺人鬼がいる
      出刃包丁を持って
      あなたに襲いかかってきた

      最初の攻撃を間一髪でかわす

      椅子を盾に
      あなたは殺人鬼の出方を見ている

      全身に脈打つ鼓動
      噴き出る汗
      喉はカラカラ
      激しい呼吸音だけ

      このようにその苦手な人と
      真っ正面から立ち向かいなさい
      目を逸らしてはならない

      苦手な人を避ける心があるから
      あなたは「いま」から外れるのだよ

      ゆえに「苦手な人」がそこにいる

      あなたが彼をストレートに認めるとき
      容易に彼を超えるだろう

      あなたは彼に何かをしたわけでもない
      彼を乗り越えようと
      何かを磨いたわけでもない

      ただあなたが
      その通りに見るだけでいい
      見えたものを見ただけだ

      何をする必要もない

      彼の存在を認めないから
      彼の幻想に支配されるのだよ

      戦いなさい
      それは勝つためではなく

      そこに自分が存在するためだ
      自分自身の存在を失ってはならない

      相手が誰だろうとどうでもよいのだよ

  8. ONEPOINT より:

    ありがとうございます。

    やはり無意識に避けているのですね。
    そしてそれは私自身の見たくない部分でもある。

    きちんと向き合っているつもりですがまだまだのようです。

    • -自分- 涅槃 より:

      ONEPOINTさん

      あなたが状況とひとつになるとき
      ただそれだけがそこにある

      苦手な人を「苦手」と解釈している時点で
      あなたはその人の中にいる
      その場合、どれだけ葛藤しても
      あなたは彼の域を抜け出ることはない

      そうではなく
      意識をあなたに向けるのだ
      あなたが彼を克服するときは
      彼がそこにいようがいまいが
      どちらでもよい話となっているのだよ

      「あれ?そういや苦手だったんだっけ?」
      となる

      あなたの世界に
      「あの人は堂々としてるなあ」
      「なんか自分を持ってるなあ」
      そういう人がいるなら観察してみなさい

      どんな相手が来ても怯まず
      どんな要求にもバンバン応えている
      そんな人がいるならば

      彼は明らかに
      自分が存在することにしか興味がない
      相手や対象などに意識が向いていない

      その結果、多くの人を取り込むのだ
      人々の大半は外側に意識が向いているからね
      彼に吸い込まれてしまう

      だからあなたはその「苦手な人」に
      取り込まれているということ

      力の差ではないよ
      そんなものは幻想だ

      単に彼はあなたに対しては余裕なのだよ
      自分のペースを保っている
      だからあなたは太刀打ちできない
      だが彼にも苦手な相手がいる

      だから相手に打ち勝とうとするのではなく
      自分自身を存在させることだ

      その為には状況とひとつになりなさい
      意識を内側に向けなさい

      それでゼロとなる

  9. より:

    自分自身を存在させる
    状況と一つになる
    意識を内側に向ける

    これらは、例えば、「四肢になる瞑想」の実践のうちに達成されるものでしょうか。

    • -自分- 涅槃 より:

      鯤さん

      四肢になる瞑想から
      気付くことができるのは

      あなたのそういった質問が
      消えるということだ

      マインドが脇へ置かれることで
      本来そこにある存在性に
      還ることができる

      要点を逃してはならない

      ・自分自身を存在させる
      それはどこに?

      ・状況とひとつになる
      その状況とは?

      意識を内側に向けるとき
      投手の変化球に苦闘していた
      バッターボックスでの葛藤が消え
      野球というゲーム自体になる

      つまりヒットを打たなければ
      その存在が危ぶまれるという認識から
      あなた自体が
      ヒットやアウトそのものになる

      自分自身を存在させるとき
      自分自身が消えるということだ

      状況とひとつになるとき
      状況そのものとなり
      「状況が消える」ということを意味する

      四肢になるとき
      その獣は世界そのものになる

      虫は自分が虫であることを知らない
      木は自分が木であることを知らない

      だがあなたは
      自分があなたであることにしている
      それをやめない限り
      あなたは永久に世界から孤立する

      バッターボックスでにらみ合う人生が続く

      だから、因果により
      何かが達成されるのではなく
      バッターがそこで
      ゲームに変容するということだよ

  10. サボ より:

    自分さん こんにちは

    何回読んでもよくわかりません
    結局のところ「自分に意識を向ける」とはどういうことなのでしょうか?

    • -自分- 涅槃 より:

      サボさん

      あなたの毎日とは
      意識が外に向いているか
      内側に向いているかの
      どちらかなのだよ

      つまり食べ物を食べたり
      人と関わったり、といった
      「食べ物」や「人」という対象は
      何の力も持っておらず
      ただあなたが意識を向けているだけなのだ

      ここでいわゆる「苦」が起こる

      あなたが誰かに苦悩しているとき
      それはその誰かがあなたに影響を
      与えているのではなく
      あなたの意識が外側に
      掴まれたままだということを意味する

      それを切り離さない限り
      あなたはずっと不幸となる

      あなたは対象が実在すると思ってるから
      その誰かのせいにする
      その誰かの行為に支配され
      その反応でしか身動きができなくなる
      いわば操り人形の状態というわけだ

      だが実際は
      あなたが意識を外に向けているだけ
      その糸を切れば支配が終わる

      では逆に意識が内側に向くとは何か

      それはあなたが
      自分自身を生きているということだ
      つまり「私は在る」という、
      絶対的なエネルギーが起きている状態のこと

      人は自分は生きてますよというが
      まったく生きていない
      先のように、他者や出来事の反応、
      つまり操り人形の状態で
      生かされている状態となる

      あなたが朝何時に起きて
      どんな服を着て
      どこかへ向かう
      それらは外的なものへの反応だ
      人はその状態しか知らないから
      人生は努力でつかみ取るもの、
      達成するもの、そう思い込んでいる

      だが「私は在る」という境地で生きるとき
      そこにいる時点ですでに完結となる
      人生とは、未来に望む道ではなく
      自分の後ろに出来た獣道、
      そのような理解となる

      では対象が力を持たないとするならば
      あなたにとっての恋愛とはなんだろう?
      あなたにとっての夢や目標とはなんだろう?

      それらは自分の中から
      生み出されるものということだ

      誰かに恋い焦がれるのではない
      あなたが恋しているのだ

      以前も書いたが
      誰かに綺麗と思ってもらうのではなく
      あなたが綺麗になるのだよ

      支払いのために生きるのではなく
      生きるために支払っているのだ

      こうした言葉の置き換えでも
      観念は変えることができる

      意識を内側に向けることが
      あなたが現実という幻想から抜け出る
      たったひとつの法なのだよ

  11. サボ より:

    自分さん ありがとうございます。
    大変難解ですね。

    >それはあなたが
    自分自身を生きているということだ
    つまり「私は在る」という、
    絶対的なエネルギーが起きている状態のこと

    私は上記の言葉はよく理解できませんが、ある種の状態のように思えます。
    このような状態に意図的になれるものなのでしょうか?
    つまり何らかのスキルや行為、心構えといった行動規範という物を通してという意味です。
    それともまったく別物なのでしょうか?
    早い話が「どうすれば」ということです。

    • -自分- 涅槃 より:

      サボさん

      そう、状態のことだ
      表現はいろいろあるがね、
      最近流行の言葉なら「フロー」など言う

      例えばいまそこで
      「私には両手両足がある、これを使おう」
      そのように自覚すると
      あなたの中で両手両足が自由になる
      今までもちろん手足は使っていたが
      それまでとは質の違う何かが起こる

      起こらなければ
      思考で捉えているということになる

      つまり意識を内側に向けることで
      あなたは自分自身のあらゆるロックを
      解除できるようになる

      >「どうすれば」ということです。

      最初は鍛錬が必要だ
      ヨガなどやってみはどうかね?

      テクニックはいらない

      好きに身体を動かしながら
      その身体の動きに意識を向けるだけだよ
      あなたには特におすすめする

  12. ushi より:

    彼女と別れた僕は
    マッチングアプリに手を出した
    また愛を求めて
    僕は精一杯着飾る
    僕の画角これだけか
    愛をどこに求めよう
    僕は自分の愚かさに泣き出したくなる
    自分さん
    僕に救いの手を差し伸べてはくれないか

    • 涅槃の書-自分 より:

      ushiさん

      あなたはちゃんと自分を見つめている。それでいんだ。その眼差しが「自分」を救ってくれる。

      少し話をいれておくよ。

      最近は個人主義がより深く浸透して、誰もが自分の幸せばかりを求めているようになった。

      そういえば先日、イギリスのチャリティー機関が調査した「人助け」のランキングで、日本は世界125カ国でなんと最下位の125位だった。

      具体的には3項目あるなかの「助けを必要とする見知らぬ人を助けたか」が最下位であり、「寄付したか」「ボランティア活動に参加したか」は中位にある。だから総合では107位となった。昨今のネットやニュースで伝えられるように弱者に寛容でない日本社会の姿が明るみになってきている。

      もちろん集計方法には賛否ある。

      たとえば困っている人の数がそもそも他国と比較して少ないとか、行政の管理が他国よりも行き届いている(あくまで比較として)など、そうした要因はあるとしても、この結果に「ああそうかもしれない」という潜在的な不穏さは感じられるのではないかな。それは他人の冷酷な姿ではなく、自分のことをみているからだ。

      日本は議会制民主主義(”みんなの意見”を代表者である政治家が代弁して、国の運営に反映しているスタイル)であるゆえ常に波乱はあるのだけども、特に日本の場合は、政治家が「自分は選挙で選ばれたのだから、自分が望む通りにやって構わない」というやり方にある。いわゆる白紙委任の状態にあるといえる。

      国民が他国の人々のように”自分ひとり”で声を上げられない(というより声をあげても無駄というシニカルな態度にある)わけだが、それでもトップの横暴が許されていたのは、憲法というルールがあったからだ。

      しかしそれもいまは改憲案によって崩されようとしている。

      野球で互いが睨み合ったり罵り合ったり、力をぶつけあえるのは、野球というルールがあるからだけども、そのルールが都合のいいように変えられてしまうと、単に憎悪が満ちているだけ、もう野球ではなくなるように、そうなるとそれまでの日本人という国民性そのものが仇となってしまうわけだ。

      とはいえ、こうした流れには長い時間をかけて向かいつつあった。

      たとえば憲法には誰でも知ってる「基本的人権の尊重」というのがある(11条〜13条)。ところが、昨今のブラック企業にしても、富裕層を優遇した政策にしても、とても人権が尊重されているとは思えない。

      そしてそうした社会にあるゆえに、民衆の意識も変わっていく。

      これが同じ立憲国家であるドイツならば、程度の差はあれ、国民がちゃんと憲法を信じている、というよりそれで当たり前と思っているが、日本の場合は誰も信じていない様子(つまり”これで当たり前”と思っている)にあり、いわゆる自己責任論、お金をたくさん稼ぐことや、生まれながらに恵まれていることが「勝ち組」であり、そして「そうでなければならない」という意識が浸透している。

      そのため、他人の幸せを喜べないどころか、逆に他人の幸せを知ることが憎しみに変わる人たちが増えているわけだ。

      それはつまり無意識のうちに、人々の潜在意識の書き換えがされているということでもある。

      もちろんあなたがその彼女を憎んでいると言っているわけではない。ただ、彼女が自分なりの道を歩んでいったことに、もしあなたがそれを祝福できるならば、あなた自身、悲しみではなく喜びに変えることができるということだ。

      いつの間にか私たちは「”自分が”幸せでなければならない」という観念に支配されてしまっている。

      だが自分の人生を振り返ってみれば、不思議なことに気づく。

      それはたくさんの人たちとの出会いがあるけども、そのすべての人々は、自分の”なか”に現れて、そして消えていくということだ。

      この「事実」は自分が現実のなかに囚われているとみえてこない。そうではなく、”自分のなか”に現実をみるときにはじめてみえてくる。

      これが何を意味しているのか心を澄ませて考えてみるといいだろう。

      なぜ彼女が去ったことの「穴埋め」をしなければならないと焦ってしまうのか。その強制された「与えられた理由」に自分がコントロールされていることにうっすら気づいているからこそ、あなたは自分の愚かさがみえているのだ。それは良いことなんだ。

      だからあなたが彼女との出会いを、そしてあなたの人生に現れた彼女という存在を「真に認めたい」のであれば、まず人間が規定の法則に支配されていること、さも当たり前のように「Aが起きたらBをしなければならない」というルートを走らされていることに気づくこと、そうして人間そのものを学ぶことだ。

      「人間」を知るほど、あなたは失恋の傷を癒し、自分を癒すことができる。心の痛みは幻想であり、幻想に包まれていたのは「大事なこと」を見失っていたからだとわかるからだ。

      そしてまた、すべての出会いや別れを「祝福」できるようになる。己の”なか”に世界をみているからだ。それは人生が常に出会いで満ちていることに気づくということでもある。

      むしろそうして心をオープンにしているからこそ、新しい出会いが次々と飛び込んでくるようになるのだよ。あなたはそれを”ただ受け容れるだけ”でいい。

      だからいまは、彼女の幸せを祈っていることだ。それこそが”あなたの幸せ”なのだから。

      というより、彼女と一緒にいてもいなくても、彼女の幸せを望まずして、他にどんな幸せを望むというのかね?

    • 涅槃の書-自分 より:

      ushiさん

      私たちの現実を超えた流れが存在している。むしろその流れによって、各々の現実世界は動いている。時計と電源のようなものだね。

      だからあなたが彼女との別れを嘆いて、その苦しみを埋めるための「現実的な行為」は、時計の次元であり、つまり表面的な整合性に支配されたものだ。

      現実は機械そのものであり、心が機械に組み込まれているかぎり、設計されたその構造を逸脱することはできない。たとえば秒針だけが逆転することは許されない。この「強制」こそが、私たちが無意識に従っている現実原則となる。

      あなたが嘆きをやめて、彼女の幸せを祈るとき、もちろんあなたは不条理を感じるだろう。そんなことをしても己自身は満たされない=機械構造としての心が働くからだ。

      だがその不条理を受け容れるゆえに、あなたは時計盤から離脱できるのであり、すべてを満たせる電源の流れとひとつになる。それはあなたと彼女が本当は離れていないことに気づくということだ。

      そしてなにより「当たり前と信じている現実的な心の強制」を打ち破るたびに、新しい現実構造が組み合わさるようになる。

      シンプルな時計だった現実が、クロノグラフになったり、時計ではないもっと奥深い構造の機械となる。

      つまりあなたが変わることで、あなたを構造の部分としていた現実すべてが変わりはじめる。たとえばそれまで見過ごされていた出会いに気づくようになったり、人間関係の捉え方や選択肢が増えたりすることで、これまでと違う体験が開いていく。

      あなたの思考や感情のバリエーションが広がることで、亀裂していた関係が”無理なく”修復されたり、それまで思いつかなかった行動を選べるようになる。現実もあなたに応じた答えを返してくる。

      だが本当のところは、現実はあなたと”同時に”変容しているのだ。なぜなら「あなたがこの現実」だからだ。

      だからあなたが実際的な行動をしなくても、世界のほうから新しい風を吹き込んでくれるようになる。あとはそれをあなたが受け取るだけでいいのだよ。”ひとつ”であることだ。

      そうしてこの世の原理をつかんでいくうちに、所有せずとも、すべて手にしていたことに気づくようになる。

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