世界に見守られていることに気付く瞑想

まずそこにある何かを見てほしい

何かを見るとき
あなたの意識はその対象に向かう
まずその状態を認識しよう

「私は○○を見ている」

いいね、
じゃあそれをひっくり返してみよう

あなたが見ているとき
その対象もあなたを見ていると
感じてみなさい

「○○は私を見ている」

するとあちらから
何かがあなたに向かってくる
瞬時に視界がクリアになる
それが「意識の向き」となる

怖がることはない
その世界は全部あなたの創作物だ

あなたの「見る」と
あちらの「見る」が
ぶつかるポイントがある
そこが瞑想の入り口となる

ヒント
例えば椅子を対象をしているとき
視界にはあるが「椅子」という認識は消える

そのとき眼球は固定されている
いわゆる「目が釘付け」と同じ状態

目の動きは思考と連動するから
釘付けのときは
思考が止まっていることを意味している

サマーディ(三昧)などもそうで
あなたと対象が消え去り
「見ること」だけが起きている状態となる

そのときの心の様子はどんなものかね?

  • いつもと違う空間にいる感じ
  • 包まれている感じ
  • 優しい感じ
  • 自分自身を感じる

そうした穏やかな状態=リラックスが
起きていればあなたは「いま」にいる

不幸が消える唯一の方法

眼球が固定されたまま周囲を見てみよう
目に映るものたちが次々とあなたを見てくる

そこで気が付くはずだ
いつも包まれていたことを実感するだろう
あなたはひとりじゃないのだよ

この瞑想を日常の中で続けなさい
確実にあなたは変わる

さて、最後に話をひとつ

瞑想はその場しのぎのリラックスではない
瞑想したから問題が解決するとか
願いが叶うとか、そういうものでもない

そんなくだらない次元から
離れるためのものだ

つまりあなたがいつも瞑想的であれば
問題は問題として成立しないということ
すべて単なる出来事となる
あなたはありのままを生き
そして一切の不幸は消滅していく

瞑想は正しい在り方に戻るための
世界に残された唯一の手段となる

 

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コメント・質疑応答

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  1. まちぞー より:

    いわゆる「覚醒」は不思議体験や超状現状(光に包まれたみたいな)ことが
    きっかけに起こるのですか?

    • -自分- 涅槃 より:

      まちぞーさん

      多くの場合は
      「これ以上もうなにもできない」という
      自己放棄から起こる
      私もそうだった

      “そうならないように”ずっと戦ってきていたが
      それは物事を認めていなかったからだ

      きっかけや手段がどうであれ
      あなたが正しく物事を捉えることができるとき
      物事自体が消滅する

      なぜならば
      物事は自分の心が作っていたからだ

      それは確かにそこにあるが
      何の力も持たなくなる
      あなたに何の影響も与えなくなる

      ネガティブな意味での「諦め」は
      まだ自己が残っている
      それすらも捨て去ることだ

      問題事そのものと溶け合えば
      単なる出来事となる
      出来事という解釈すら持たなくなる

      創造性だけが光輝くようになる

    • ONEPOINT より:

      このコメントに関連して質問させていただきます。
      このコメントのように多くの覚者は
      「もう何もすることができない」と
      諦め切ったときに覚醒が訪れたと言います。

      しかし今の私は内側に意識を向けるたびに重りが取れて、どんどん自信が満ちてくるのです。
      自己放棄とは逆の方向に向かっているような気がするのですが
      自信が満ちてくるというのはマインドが見せている錯覚なのでしょうか。

    • -自分- 涅槃 より:

      ONEPOINTさん

      自己放棄とは
      エゴを捨て去るということだよ

      だからあなたの体感は
      まさに正しい状態にある

      内側に意識を灯しているとき
      あなたは世界とひとつになっている
      行為だけがあり
      行為者は消えている

      心配や不安になる者がおらず
      あなたの通り自信に満ちてくる
      それが本来の状態であり
      マインドに囚われているときは
      不安に満ちているだけなのだ
      それが消える

      そのままでいい
      それでいい

      宇宙の中心で
      強烈に存在しなさい

    • まちぞー より:

      ご丁寧なお返事ありがとうございます。

      ということは、逆にいえば「これ以上もうなにもできない」という
      状況にならないと「覚醒」は難しいということでしょうか?

      もしそうなら私は死ぬ瞬間まで目覚めないかもしれません。
      まぁ、ある意味「これ以上もうなにもできない」ところまで
      追い詰められていないということは、今は幸せなのだと言えますし、
      エゴに苦しめられることがあっても、目覚めずともそれと折り合いをつけて
      付き合ってつけていくことを学んでいけばいいということでしょうか…。
      まぁ、そこまで追い詰められてのもイヤだなぁという気も正直しますw

      ホントはなぜ「覚醒」したいのかといえば、「覚醒」という選民意識を得たい
      エゴに遊ばれているだけかもしれません。

    • -自分- 涅槃 より:

      まちぞーさん

      >「これ以上もうなにもできない」という
      状況にならないと「覚醒」は難しい

      そうではない
      あなたの特質による

      何か得意なものはあるかね?
      いまスッとできるようなもの
      あなたにとって取るに足らないもの

      だが他との比較での評価は除外しなさい

      たとえば
      一流のプレイヤーには足下にも及ばないが
      なんとなく気分的なものを
      ギターでジャラジャラ弾くことが好きだとか

      あなたにとって呼吸レベルの
      なんの無理もなく
      スッとできるようなもの

      べらべらと友人と長時間会話することでもいい
      無意味なことを紙に書くことでもいい

      その技で何かを狙うとか
      そんな意思は微塵もないような
      ごくごく当たり前のこと
      あなたが「こんなのくだらないこと」と
      思えるほどのものがいい

      いいかい

      それに携わるあなたにはエゴがない
      いとも簡単にそれをやっているとき
      あなたは世界の循環にいる

      何かの技術で成功する人々がいる
      彼らが何をしているかといえば
      呼吸なのだよ

      努力もなく
      目標を達成しようとすることもなく

      気が付いたらそうなっていた

      だが彼らが
      誰かの仕事を引き受ける立場になるとき
      2つの道が現れる

      1つはそれまでと同じく
      呼吸をしているだけ
      何らかの行為をしようとするのではなく
      行為が目の前で流れているのを観ている
      仕事が成功しようが失敗に終わろうが
      そんな「内容」はどうでもいい
      目の前の創造性に満たされているだけだ

      もう1つは
      緊張と努力の道だ
      そして彼は破綻する
      クライアントを満足させるため
      自分にない自分を目指そうと
      エゴが肥大化していく
      社会的な見解での成功を収めたとしても
      彼の精神は疲れ果て
      ひび割れていくハートを
      補修するだけの人生となる

      あなたはどちらの道も選べるが
      その前にまず
      自分の特質を探ることだ

      技を磨いてはならない
      磨いているうちには苦悩しかない

      それは人生も同じ
      あなたが人生はただ流れるもの
      その境地に立つとき
      すべてを手にしている

      師匠は何もしないのだよ
      弟子の視点からは
      師匠は助けてくれているように見える
      だが彼は、引き受けていないのだ

      物事の「内容」に囚われないためには
      しばらく修練が必要となる
      何もしない、という修練がね

      だからあなたの特質を探りなさい
      それがあなたを導いてくれる

  2. 名前のない男 より:

    自分さん こんにちは

    最近そんなに情けなくないので名前変えました。

    以前、内側に意識を置いていれば老いないという手記がありましたが、最近本当に若く見られる様になりました。

    内側に意識のベクトルを向けることで出来事を眺めるということも解ってきました。

    内側に意識を変えると同じ風景が違って観えます。眼球は固定されて風景が迫ってくる感覚です。

    全ては勝手に動いていますね。行動も勝手に起きています。行為者は何処にもいません。行為者のいる世界がトータルで現れているだけでした。

    最近の手記に綴られていることが釈尊の「諸行無常」だと思いました。

    マインドは流れを塞き止めず様とします。
    まだ願望や恐怖もありますが、勝手に起こったものですから眺めています。

    ありがとうございます。拝

    • -自分- 涅槃 より:

      名前のない男さん

      うむ、素晴らしいネーミングだ

      新しい手記と被ってしまうが
      瞑想にあるとき
      世界の循環を知ることになる
      あなたが体感している通りだ

      人類はずっと勘違いをしてきた

      自らの肉体ですら
      自然のままにあったのだ
      インスピレーションや感情なども
      雨や風と同じく流れくるもの

      いずれあなたは
      マインドを俯瞰するだろう

      そうなれば必要なものだけを
      選ぶことができるようになる
      いまは無差別に選んでいるのだ
      だから混沌としているだけ

      光明を灯し続けなさい

    • 名前のない男 より:

      光明を照らし続けます。拝

  3. 名前のない男 より:

    ある覚者が「待つ。何もなく只、待つ」ということを説かれていて、私はそれが解りませんでした。

    今、少し解りました。

    出来事は勝手に起きる。出来事に対し私は必要なら勝手に行動を起こすでしょう。

    行動を起こすというより行動は勝手に起きると思います。

    待つとは眺めること。「何の期待も思惑もなく眺める。」ということを覚者は説いたのかも知れません。

    私はまだ願望や思惑がありますが、眺めていることしか出来ません。それについて何かきっかけがあれば行動は勝手に起こるでしょう。それを眺めています。

    内側に意識を置くと人とのコミュニケーションも上手く行っている様に思えます。

    内側に意識のベクトルを向ける。
    それを眺めている。

    で少し解ってきました。生きる負担が減りました。

    全部自分でやっていると思ったら途方もない苦労がありますが、全部自動で行われていると解ったら楽です。

    眺めていることしか出来なくなります。拝

    • -自分- 涅槃 より:

      名前のない男さん

      光明が灯されるとき
      コミュニケーションそのものを超越する

      つまりあなたは
      「何も引き受けていない」状態となる
      背負っていた荷物が降ろされる

      もはや他者は実在しない

  4. maychan より:

    自分さん、こんばんは。
    最近、ふと、私は世界一愛されてるじゃないか!と思いました。
    私のまわりに存在する全てが私見てるし、私を、いつもいつも気にかけてくれて、愛してくれる存在がすぐそばにいる。

    その存在は、黙って側にいて私が思うよりずっと私を愛してくれていた。私だけを愛してくれてたのに、気が付かなかった。

    • -自分- 涅槃 より:

      maychanさん

      なぜ見えるものが見え
      聞こえるものが聞こえるのだろう?

      あなたはあなたに包まれているのだよ
      そこには愛だけがある

      軽々と表現されるものではなく
      何がどうであろうと
      どこまで行こうと
      常にあなたの中なのだよ

      あなたは自分に気が付いた
      もう境界はない

    • maychan より:

      いつもありがとうございます。
      その存在は、いつも私の首の付け根辺りから私を見ています。
      時々どこかへ行ってしまうときもありますが、常に意識していようと思います。

      大嫌いだった人の言動は、ほんとは私がその人にそうしたかったんだ!
      と思いました。

      私のまわりの物言わぬ物たちは、なんて優しい目で私を見ているんだろう♪
      と思えてきます。

    • -自分- 涅槃 より:

      maychanさん

      体験がそこにあり
      体験が自身を楽しんでいる

      この神の世界で
      「私」が勘違いをしてきた
      それが罪だった

      あなたはいま気付いている
      人類の犯している罪に気が付いた

      宇宙の循環に委ねなさい
      循環そのもので在りなさい

  5. wing より:

    はじめまして。自分さん。

    しばらく前から『見られている』を意識し、色々なところで行ってきました。本日も街中に繰り出し一日中歩き回り、その温かい感覚を楽しんでいると奇妙な事に気付きました。
    私はこの人たちのこと何も知らないのに知ってるんです。通り過ぎる人たち,
    風景含め全て知ってるんです。
    全て自分ということが完全に腑に落ち感動と共に驚きを隠せない状態です。

    あの人は美人だとかあのひとは太っているだとか、そのように人々を見ていた時には気付きませんでした。

    自分さん本当にありがとうございました。

    • -自分- 涅槃 より:

      wingさん

      はじめまして
      >私はこの人たちのこと何も知らないのに知ってるんです。
      通り過ぎる人たち,
      風景含め全て知ってるんです。

      素晴らしい表現だ
      その通り世界はあなたなのだ
      どこにでもあなたはいる

      自分の見ているものが自分でなくて
      一体なんだというのだろう?
      つまり世界そのものが「自分」なのだよ

      ありがとう

コメント・質疑応答

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