人生はドミノ倒し

あなたは何かを行動しようとする
焦りから?
恐れから?
不安から?
安堵や幸福のような香りを求めて?

とにかくあなたは何かをしようとする
「そこにないものを生み出そうとする」

だがそれが苦なんだ

あなたは「自分が切り開く」ということに
美徳を感じているかもしれない

だがそれはそこに起こっている出来事を
受け入れない、認めない、
ただそれだけのことをしているに過ぎない

「だって今の人生は自分の成果ですよ」
そういったところで
あなたは一連の出来事に流れてきただけ

出来事は起こる
あなたがやることとは、
出来事を「止めよう」とすることだけだ

それしかできない

あなたに与えられた唯一の自由な意思とは
「抵抗」だ
もはや自由でもなんでもない
あなたのコマンドは「抵抗」のみ
だから苦しかない

何かを生み出そうとするというのは
そこに起こっている出来事を受け入れず
反逆、つまり戦いを挑んでいるのだ
あなたの「やること」それは
出来事を受け入れず
起こっている出来事を
全力で阻止することに他ならない

あなたは常に「その逆」を選ぼうとする
その選ぼうする行為が「やる」だ

退屈なら刺激を探そうとする
不安なら安心を探そうとする

何かをする、それは起こる出来事を
力尽くで阻止しようとしていること
だから苦なのだ

出来事を起こるがままに
あなたが流していくときそこに苦はない

何もしていないからだ
何もしていないが出来事は流れていく
無我の境地
行為者はいないが
行為がある

いいかい
頭に新しいイメージが「起こる」

なんでもいい
例えば「新しい職に就こう」が起こった
そういうときは「何かをしよう」などと
思わないことだ

そうではなく「出来事を起こらせる」だ

出来事を起こらせればいい
あなたが「やる」んじゃない

あなたが何かをしようとするのではなく
出来事を起こらせるのだ
この違いがわかるかね?

つまり「出来事の側(がわ)」に立つ
あなたが答えを探すんじゃなく
答えにあなたを見つけさせる

出来事を起こらせる方法は簡単だ
あなたが何もしなければいい

あなたがすることは
出来事を止めることしかないのだから
つまり何もしなければいい
起こる出来事に意思を介入しない
目の前でケンカする2人に
いちいち口を挟まない
どちらかの肩を持つことになる
またはどちらからも攻撃される
ただ眺めるだけでいい

「出来事が起こる」という
起こった出来事を見ている
後はそれに流れるだけでいい

街で気になる異性がいれば
話しかければいい
何かを求めるわけでもなく
出来事を起こらせればいい
話かけたという出来事を
眺めていればいい
後は勝手に流れていく

出来事があなたに声をかけさせた

そこにあなたはいない
ただ流れがあっただけ

商売をやりたかったら
出来事を起こらせるだけだ
「起こらせた」という出来事を
眺めているだけでいい
計画したり不安になったりなど
渋る必要はない
渋るとは、
その出来事を力尽くで阻止しようと
していることだ

つまりあなたは
「出来事を起こらせないこと」をしている
あなたが「やること」はすべて苦だ

どんなことでも
それがポジティブでも焦りでも
すべて「あなたのやること」は苦である

何も起こっていないなら
それは「何も起こっていないこと」が起こっている
あなたの頭に浮かんだことすら
それは「起こった出来事」だ

「こういうことをやりたいけど、自分にはできない」
そりゃそうだ
あなたにはできない

一流のプロ野球選手は
その立場を本人が掴んだのではない
ただ出来事が起こったのだ
そこに身を委ねただけ
だからいまそうなのだ
あなたもそう
だからいまそうなのだよ

あなたがやるのではない
あなたができることとは
「阻止すること」
それしかできない

ドミノのひとつを倒せば
あなたが何を念じようが
駒はどんどん倒れていく

ひとつめを倒したのはあなたの意思ではなく
そういう出来事がただ起こったのだ

さあどうすれば
ごく自然に、
ごく当たり前に、
あなたが普段意識すらしないことのように
ドミノのひとつめを倒すことができる?

そこに「あなた」が入り込めば
大きな労力を課せられるだろう
「あなた」が入り込まずにドミノのひとつめを倒す

ここがラインだ

このラインを意識的に理解する必要がある
これだけを理解すれば
もうあなたはその人生で何もしなくていい
何もしなくてよくなる
ただ延々と倒れていくドミノを
眺めているだけとなる

あなたはごく自然に
ごく当たり前のように
ドミノのひとつを倒した

いや、すでに倒していた、だ
それを知りなさい
それを知らない限り
あなたは全力でドミノのひとつめを
倒そうとする
辛く苦しいだろう
だが実は「すでに倒していた」のだ
そういうことを悟るとき
あなたは何の努力もなく
すべてを得ていた
すでにそこにいたのだ

「いま」はすでに過ぎたもの、
つまり世界の結果を
見ているに過ぎない

「ひとつめのドミノは倒れていた」

これが美しい

 

 

 


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  1. あき より:

    自分さんこんにちは
    うまく言えないのですが
    私が「やること」としては抵抗しかできないということは
    「行為」としての「抵抗」は無い
    つまり「流れに逆らった出来事」というのは存在しないということでしょうか
    頭の中で喚いたり、この質問のように出来事を分析しようとしているだけで
    出来事=流れ、ということですか?

    • 自分 -涅槃- より:

      あきさん

      あなたのその話は
      よく寄せられる
      「自由意志はあるのか?」という質問と同じ

      そのあなたの質問ですら
      そこで起きたものだ

      つまり思考=考えるとは
      連続的で無段階な「考える」という動きが
      あるのではない
      固定された図柄のようなもの

      あなたに唯一できるのは選択だ
      そして選択はエゴに支配されることも
      覚えておきなさい

      アルコールのせいで
      成人病になった人がいう

      「これは運命だった」

      確かにそうだ
      アルコールを飲み続けたから
      そうなった

      だが因果の法ではなく
      時間を超えた話となる

      彼は病気の現時点で
      アルコール依存の記憶を持っている
      それを選択した

      だからいま、病気なのだ

      それをやめれば
      彼の現在は違うものになる
      だが彼はそれに気が付くことはない
      なぜならば記憶がすべて変わるからだ

      少し高度だが
      大事なのは選択

      それを覚えておきなさい
      あなたはどの瞬間においても
      選択ができる

      幸せであるか
      ネガティブを選ぶか

      いつものモヤモヤした感情を選ぶのか
      毎回違う新しい自分を選ぶのか

      そうして連鎖の編み目は変わる
      つまり別のタイミングが起こる

    • あき より:

      ありがとうございます。

      そうですか
      選択するには思考から離れる必要がありそうですね
      ちょっと練習してみます
      選択の位置に立ったなら
      なにが起きようが「問題」はなくなりますね
      罪悪感も将来の不安も
      その感情、考え方は一つしか選択肢がないように思えるのは
      無意識にそれを選択していたということですね

    • 自分 -涅槃- より:

      あきさん

      良いね
      わかってきたようだ

  2. komatta より:

    必ず良い方向に向かってくれるのですか。
    ギリシア神話の神は優しい神ばかりでない。
    大神ゼウスは人口増加に人の3分の2を滅ぼすことを決意した。ヤヌスは二つの相反する顔。明も陰もどちらも神である。温暖化も砂漠化も脳をコンピュータに移植という世界が加速してるのも。止めることが唯一、個人的には全く牛れしくないですが、不安や痛いのが嫌、大嫌いの私の得意分野が「止める」くらいが利点になるなら。とか今回の「私の世界」に向き合うと…。成るようにしかならんだろの半面、踏み込めない。
    アクセルを踏み込みながらブレーキをかける。この状態だけど。究極の視点の方、釈迦でさえ滅びを肯定していた。創造と破壊と再生。形あるものは必ず崩れ滅び去る。エゴの視点ではとてもとても受け入れがたいこと。
    それが真理だと気づいてはいたとしても。

  3. 匿名 より:

    え~っと。
    もうひとつ “それ”の創造 をやってみようと思います。
    この前のは、「私」の創造 だったので。
    “それ”の創造は、世界から起こります。

      “それ”の創造

    私は空気を介して世界と繋がっています。
    私と世界は同じものです。

    しかし、「私が何かやろう」とした時点で、「私」(エゴ)が浮かび上がって、
    世界から切り離された「個」となります。

    先ほど、プリンターを買おうとしました。
    そこそこのモノで安いのを買おうとしました。

    この時点で、「私」が、「そこそこのモノで安いのを買おう」の“枠”と成って「個」となりました。
    これで「私」は、世界から切り離されました。
    「私」(エゴ)は世界に対峙しています。

    そして、そのまま「世界に対して」いろいろと調べるのを「やって」いました。
    しかしそのうちに、どんどんと違和感が出てきて、固まりすぎていたのが解かりました。

    とても気持ち悪くなってきたので「やる」を辞めました。

    その間、どれくらい経っていたのか覚えていないのですが、
    調べるのを辞めていたのに、「目の前に良さそうなプリンターが現れて」いました。
    思っていたものとは違う、今までノータッチものでしたが、「おー これ良い」と納得してしまいました。
    で、それを購入することになりました。

    今思い返してみてもどうして「目の前に現れた」のか覚えていません。
    なのに、そこに「良さげなもの」現れていたのです。

    私が「やった」のではなく、「世界からこれでどうだ」と起こったとしか思えませんでした。

       “ドミノのひとつめを倒せば
        あなたが何を念じようが
        駒はどんどん倒れていく
       
        ひとつめを倒したのはあなたの意思ではなく
        そういう出来事がただ起こったのだ
       
        「あなた」が入り込まずにドミノのひとつめを倒す
         ここがラインだ
       
        あなたはごく自然にドミノのひとつめを倒した
         いや、すでに倒していただ。
         それを知りなさい”

    「私がやらず」に「ドミノのひとつめを倒す」ライン。

    「私」が世界に溶けたときは、「何かしよう」とは思いません。
    RPGも、「目の前にあるものだけをやっている状態」なので、「何かしよう」とは思いません。

    でも「“ここ”でそうなれば、世界はそうなる」はずなのです。
    わたしが世界だから。

    だから、「私」が“それ”に入る瞬間か、出る瞬間がこのラインだと思います。

    ------
     
        “ひとつめを倒したのはあなたの意思ではなく
         そういう出来事がただ起こったのだ”

    「考え方」ではなく、「普段の心持ち」を豊かに保っていることで、
    「意識を内にキープ出来ている状態」に成っていると思います。

    「心持ちを豊かに保つ」だけでも良いのではないかと思いました。
    すると放っておいても「私」は出てしまうので、その瞬間は豊かな「私の意図」があるはずなのです。

    ところが、

      “なぜ素晴らしいのかというと、あなたが素晴らしいからなのだ” 

    この前のこのアドバイス、キョーレツです。
    そうです“それ”が素晴らしいから、素晴らしいがあるのでした。
    この単純さ。

    “それ”はエネルギーのスパークだったのでした。
    スパークの一瞬は何も無いのです。

    解なし。

    • 爽やか世界 より:

      すみません、駄文をのせてしまいまして。
      最後のあたり、解りやすく訂正します。

      そして、
        “なぜ素晴らしいのかというと、あなたが素晴らしいからなのだ” 

      そうです“わたし”が素晴らしいから、素晴らしいのでした。
      これは、どの場所にも掛かっています。

      「ワンネス」も、「RPG」も、受けとる側の「私」にも掛かっています。
      それはひとつだからです。

      それは“素晴らしいのひとつのスパーク”だったのです。

      だから素晴らしいがよければ”素晴らしい”でいれば良い。
      豊がいいなら“豊か”でいれば良い。

      ってことでした。

    • -自分- 涅槃 より:

      爽やか世界さん

      よろしい。「RPG」それだけでいい。

      外を歩いているとき「中央」に入りなさい。あなたを軸にして世界を広がっていることを実感しなさい。

      すべてはあなたのために起きている。あなたが活動するために社会や人々は動いている。あなたが眠れば世界は眠る。あなたが死ねば、世界も死ぬ。

      あなたがドミノの先頭なのだ。常にそこに在りなさい。

  4. 爽やか世界 より:

    先ほどの匿名は私です。

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