2つの大通り、どちらを歩もうか
以前の記述で解脱に至る道は2つと書いた
1つは世界が己であるというもの
もう1つは世界の中心に己があるというものだ
その2つが行き着く先は同じ
だが過去の聖者たちは
どちらかの道を歩んでいたため
あなたが知る文献には矛盾が満ちているだろう
確かに2つある
完全な1人称の視点
「あなたの為だけに全てはある」という世界と
完全な客観視点
「あなたは実在しない、
その後に残るものが真の世界」だ
どちらにせよエゴが残っていれば
心地よさがあるだろう
それじゃだめだ
何も見えない
あなたが自我を捨てて
その世界を優先するとき
「あなたのいない世界」がただ起り出していく
またはあなたがその生を隅々まで意識的に生きて
まるで森を這う虫のように
身体が地面に根を張っているような
そのような感覚で生きるとき
「あなたしかいない世界」がただ起こり出していく
どちらを選ぶかはあなたの性質による
辿り着く先は同じだよ
もしかすると
2つを融合しても辿り着くかもしれない
ダメだと言う人もいるがね
だがそういう話自体が「それ」なのだ
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