あなたはなぜそこいる?

釈迦は2500年前
実にクールな真実を表明した

物事はそれにあらず、
大いなるものの一面に過ぎない

これは因縁生起、
以降の仏教では一念三千ともいう
簡単にいえばこういうことだ

あなたが野球を始める
それなりに切っ掛けがあり
そういう状況になり
そういう流れに乗った

そしてあなたは野球を始めた
野球をしている間
あなたは練習を積む
レギュラーになるために励む
試合で勝つことを夢見る

だがそれの一連の「起こり」は
野球をするためではないのだよ
つまり野球が目的でもゴールでもないのだ

またはこういう話もある
あなたが腹が減ってファミレスに入った
そこでステーキを注文する
柔らかい肉の味、感触が染み渡る感じ
あなたは至福の時を過ごした

少し視点を変えてみよう
まずファミレスという店舗がそこにある
そして肉がある
あなたが腹が減って店に入り
そして肉を食べたという経験だけのために
ファミレスは運営をしており
その肉はそこにやってきた
畜産を経て、牛が殺されることを経て
物流を経て、コックの人生を経て
数週間前に面接に来て採用になったバイトを経て
そして肉があなたに運び込まれた

すべてあなたが経験するために
それが用意周到に起こったのだ

時間を超えてみようか
あなたが肉を食べる経験をするために
すべてがたったいま、
そこで同時に起こったと考えてみる

すべての要素がテーブルの上に並べられている様子、
それをイメージしなさい
野球の仮定も同じ
テーブルの上には野球に励むあなたがいるが
なにやら他にもたくさん置いてある

あなたはなぜ野球をしているのだろう

そもそも野球なんてものはないのだよ
あなたが思い込んでいる幻想に過ぎない
大きなひとつの流れの一面
つまり、数週間前にやっとの思いで
ファミレスの面接に受かったバイトの子
彼女は学費のために受かったのじゃない
その日、その瞬間に、
あなたに肉を運ぶためだけにその歯車に乗った

数日後、彼女は店長と喧嘩をして辞めるかもしれない
彼女は思う
「こんなことになるなら、なんで受かったのだろう?」
そのように疑問に思う

その理由たるものは決してわかるはずもないのだ
なぜならば客のあなたのためだけに
彼女はそこにいたのだからね

すべては噛み合っている
これが因縁生起

あなたがいまそこにいることも
「流れ」の一面である
無論、それ自体に意味はない
意味を見つけるほうが難しい

だがあなたが何をしていようが
とても大切なことなのだよ
それがなければ
世界はまわらない

トイレにいく
それだけで世界が動くのだ
あなたが誰かと接する
それだけで世界が動いている

わざわざ野球なんて形を持ってして
わざわざファミレスのバイトなんて形
そして腹が減った、なんて形
そんなヴィジョンの中で
すべての歯車は噛み合っているのだよ

 

この記事を保存・共有できます。

Notes , , , , ,

コメント・質疑応答

会員記事のコメントは記事上ではログインしないと表示されません。
会員の方はユーザー名が入ってしまうので別名を希望の方はこちらで申請してください。
連続投稿する場合は「自分の最初のコメントに返信」してください。
記事に無関係なコメントは禁止です。良識の範囲内でご利用ください。
業者からのスパム広告を防止するシステムを採用しています。短期間内に連続投稿をするとシステムにスパム登録されてしまい一切の投稿ができなくなりますのでご注意ください。

  1. 何が正しいを考える人 より:

    私の理解したところでは
    現状をどう判断しているかは自分であり、現状況を幸か不幸判断しているのも自分である。であれば、現状に対しての感想(感情?)に焦点を当てるのでは無く、
    行為に対して焦点を当て、その結果を考えない。(どのような結果も受け入れる=諦める?)
    と理解しました。

    であれば、この人が好き。や、これをやりたい。と言った起点となる気持ち(感情?)はどう捉えれば良いのか分からないので
    質問しました。
    私自身、お金を用意しなければ成らない立場になってしまい何故こうなったのかの自問自答を繰り返しております。
    お答え頂くと助かります。

    宜しくお願いします。

    • 自分 -涅槃- より:

      >>何が正しいかを考える人さん

      >この人が好き。や、これをやりたい。と言った起点となる気持ち(感情?)は
      >どう捉えれば良いのか?

      よろしい
      まずあなたは自分自身という基準を捨てることから始めよう
      つまりエゴを捨てるということだ
      捨てるといっても
      そこにある空気と同じで
      分離できるものではない

      覚えておきなさい
      物質も、出来事も
      すべては一体なのだよ

      その一体性を「あなた」という

      だがその「あなた」は自己意識のあなたではない
      誰かを好きになったり、何かをやりたいと思うエゴではないということだ
      それは自己都合、利己的な判断による集積の表現である
      その表現をエゴという

      だが本当の「あなた」は
      いまそこで起きている現象のことだ

      どんな気温かね?
      椅子かな?ベッドかな?
      身を預けている様子
      パソコンなりスマートフォンなりを触って
      見つめている様子

      同時に起きているそれらすべての様子のクロスポイントが
      「いま」だ
      つまりあなたのことだ

      「あなた」とは人格を持った生命体のことではなく
      途方もない無限の四方八方と連動する
      いまその瞬間のことだよ

      お金を用意しなければならない立場になって
      いろいろ悩んでいるのはエゴであり
      その立場そのもの、
      悩んでいるというエゴの様子、
      その連動した隅々まで行き渡る世界、
      そのスケールが「あなた」なのだ

      この意識はね
      あなたが世界に自在に溶けることを意味する
      あなたが世界を自在に操れるのではなく
      「自在」という溶け方が起こる

      お金を用意するのならばそうなるだろうし
      できなければそうなのだ

      それはエゴのあなたにはまるで関係のない話だから
      エゴのあなたは悩むのだろう

      本当の「あなた」に任せておけば良いよ

コメント・質疑応答

  関連記事