山道でみつけた足跡

読書というのは
ひとりで読み進めていくものだから
孤独な作業にあるのだけども

まさにそれゆえに
いまも元気な友人であっても
もう会うことのできない故人にしても

その人が読んでいた本を受け取って
同じように読んでいくとき

その人がひとりで歩いていた
孤独な旅がみえてくる

たとえば一度では把握できず
何度か読み返さねばならない段落や

退屈な章につかまれて
あとどれぐらいあるのかと考えたりすれば

きっとあの人もここで
同じように思ってたのだろうとね
そんな気持ちになるわけだ

もちろんページの端が目印に折られていたり
ペンで書き込みなどがされているなら

それはまさに
その人はここにいたという
まぎれもない痕跡であり

誰もいない山道に残された足跡のように
神妙な何かを感じたりもする

 

救いの道

だから読書という孤独な旅は
その本の内容だけじゃなく
多くのことを教えてくれたりもするわけで

たとえばこうして私たち誰もが
各々ひとりで人生を歩いているということ

ひとりで生まれてきて
やがてひとりで山頂に消えていく

途中ではたしかに
いろんな出会いや交流があったが
しかし結局はひとりだっただろう

全文をお読みいただくにはご入会後にログインしてください。数千本の記事を自由にご覧いただけます。→ . またご入会や入会の詳しい内容はこちらから確認できます→ ご入会はこちらから


Notes , , , , , , , , ,

コメント・質疑応答

  関連記事

-->