“この世”という謎解き

仏教や聖書でも
また現代のスピリチュアルの多くがそうだが
深いメッセージというのは
ほとんど謎解きに近いだろう

しかもその文面は寓意や比喩を交えて
真逆の意図を示していたりもするから

表面しか読み取れない人は
ただ困惑するだけだったり
ときに反発心を浮かべたりもする

じゃあなぜもっとストレートに
誰にも理解できるように書かれてないのかといえば
まさにそこに問題点があって

その”ストレートな理解”というのは
その人が固執している信念や
価値基準に収まるものだからにある

言いかえれば
そうした無条件に信じ切っている信念や価値観
いわばバイアスそのものから
その人自身を引き離すために
そのメッセージはあるわけだ

 

この世という謎解き

だから困惑や反発心を
そのメッセージにぶつけるのではなく

「なぜ己は”反射的”にそう思うのか」と
その問いを己自身に向け直さなければ
今後も世界は相変わらず
己の狭い見解のなかにしか現れてこないだろう

まさしくそのストレートな理解で
物事や他人を「こういうものだ」と
底の浅いものとして捉えているのだからね

ゆえに読み取らなければならないのは
その謎解きそのものを前にして
いかに自分が一面的な反応で
この世を解釈しているかに気づくこと

むしろそれは解釈ですらない

自動反応に乗せられた自分を
ひたすら正当化しているにすぎないわけで
だからそんな”自分”をみつめるとき
謎は解かれてメッセージは深いものとなるんだ

つまり謎などなかったんだよ

謎をかけていたのは
何かを信じ込みその見方を変えられずにいた
己のほうにあったのだから

そしてその”謎解き”は同時に
あなたの日々や人生を深いものにするだろう

なぜなら深遠な言葉に向き合うことは

全文をお読みいただくにはご入会後にログインしてください。数千本の記事を自由にご覧いただけます。→ . またご入会や入会の詳しい内容はこちらから確認できます→ ご入会はこちらから


Notes , , , , , , , , , , ,

コメント・質疑応答

  関連記事

-->