無意味という幸せ

先日投稿したコメント回答にいくつか反響がきているのでこちらで答えておくよ。

その該当の回答だけども、主に以下の箇所となる。

──

希望とは”私たち”の背後に満ちている「永遠の生命」への実感そのものにある。

だから今日の手記でも話しているけども、大事なのは黙々と打ち込めるなにかを持つことだ。

それがあなたを救ってくれる。

もちろんそれは与えられた原因から結果を目指すのではなくて、あなた自身が原因そのものになるということにある。

物事の”始まり”にね。

そうして先頭にあり続けるならば、あなたは希望の源流とひとつだ。

──

 

人生はうんざりすることしかない

さて、焦点となるのは文中の「与えられた原因から結果を目指すのではない」の部分にある。

たとえばあなたはどのような毎日を過ごしているだろうか。

やらなければならないことを対処して、そしてやりたいこともあるけども、それもまた、どのような結果や目的があるのかをはじめから知っている。

むしろ結果や目的が明白であるからこそ、それをやってみたいと思うのだろう。

だがね、それがまさに「与えられた原因から結果を目指している」のであって、つまりあなた自身の人生を歩んでいるのではなく、他人や世間が作った道を歩まされているにすぎない。

要するに、やらなければならないことを対処しているのと同じなんだ。

だからやりたいことをしているつもりなのに、どこかうんざりしている。

しかしうんざりしているからといって、それをやめてしまえば、いったい何のために生きているのかがわからない。

そんなわけで、うんざりしていることを乗り越えてこそ、克服してこそ、結果や目的という甘い褒美が得られるのであって、だからそれまでは我慢しなければならないわけだ。

ところがその甘い褒美を得られたところで、その喜びはすぐに消沈してしまう。

それは結局のところ、ただ我慢して耐えているだけの人生でしかないのではないかな。

 

本当の会話

この図式はあらゆることに重ねることができるだろう。

たとえば家族や誰かと会話するとき、また最近ならSNSでの他人の発言などで、相手の言葉にあなたがイライラしたりするのは、そもそも会話というものがなんであるのかを見失っているからにある。

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