いつもそこにいない人がいる
街を歩けばたくさんの人々とすれ違う
あなたもそのひとりだと思っている
誰かから見たら
「自分もすれ違う中の1人に見えている」とね
そうじゃない
まったくの勘違いをしている
あなただけがいつもそこにいないのだよ
眠っているときの夢を思い出してみなさい
子どもの頃も昨晩の夢もいつ見ても
ただ1人だけ夢に登場しない人物がいる
あなただ
そしてその現実も同じ
あなただけがいない
ここでの「あなた」とは
アイデンティティのあなた
いつもあれこれと定義している思考のことだ
鏡に映るそれはあなたではなく鏡だ
あなたがあなたらしきものを見るときは
いつも違うものを見ている
もっと自覚に意識を向けてみる
もっともっと深く
その「感じている何か」を研ぎ澄ませてみる
そうして街を歩いてごらん
「あなた」はおらず
ただ景色が変化していることに気が付く
風景もそうだし出来事もそう
例えば一日の記録を取ってみなさい
昨日の分なら記憶にあるだろう
1行ずつ、何時頃どこにいたかとか
そこで誰と話したとか
そういうものを書いてみる
そしてざっと見てみるとき
あなたは俯瞰の立場にいる
ただ1行ごと
つまり景色が変化しているだけだったこと
それに気が付く
あなたの思考すらもその景色
それは「あなた」ではない
目の前の木の葉と同じ
その世界とは一体何なのか
それはすべてあなたの解釈によるものだ
この言葉の意味を食べてみなさい
考えるのではなく
食べてみるのだよ
すべての疑問や不幸
追い求めるもの
理不尽さ
不快感
それらは何かね
解釈だ
つまりそれそのものを示してはいない
あるがままに移り変わる景色こそが
あなたに見させているあなたの正体であり
解釈など必要もなく
ただそこにいるだけでいいのだよ
Notes あなたの世界, あなたの正体, 世界, 他者, 幻想, 真実
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今日、不思議な夢を見ました。
今年、自宅介護の末亡くなった父と、現在、生きているとされる
叔父と叔母、近所の人とおもわれる知らない女性、親戚の男の子、私の妻が出てきました。
全てのシーンに私という体は出ていなくて、例えるなら、私=スクリーン+声でしょうか。
それを私だと認識していました。
妻が「風邪を引いたから、車にいるというシーン」
叔父と叔母が住む家に、「松茸を持ってきたと話す知らない女性がいるシーン」
「叔母が玄関を掃除していて、父が家の中にいると伝えるシーン」
「父が椅子に座っており、『毎日、楽しいよ』と私に話すシーン」
「親戚の男の子がお菓子を持ってきたシーン」
「父に誕生日のお祝いとして、私がお金を渡すシーン」
全て静止画のように思うのですが、脳内処理?で繋ぎ合わされて、
時間が経過しているように感じました。
現実も、やはり静止画なんでしょうかね。不思議な夢でした。
また、この夢も、生きているとされる今も、全て「わたし」が創っているのかなと実現しました。
watashiさん
よい洞察だ。そのように常に「なんか変だな」と気付いていることだ大切なのだ。何が正しいのかとか、これはどういうことなのかなど、そんなことを考えず、ただ「変だな」と感じられることが大事なのだよ。
なぜなら全部が変だからだ。
あなたはそのごく一部分に変だと気がついた。だが全てをよく見渡してみれば、どこに変じゃないものがあるのか。それは商品のビニールをめくるようなもので、小さな穴がすべての虚構を剥ぎ取ってくれる。
とても良いメッセージだった。多くの人が参考になるだろう。
ところでこの返信も何かが変だと気付いているかな?
自分さん
返信ありがとうございます。
〉「ところでこの返信も何かが変だと気付いているかな?」
自分さんの答えとwatashiの答えが一致しているかは分かりませんが、
「watashi-私」の質問が「自分(さん)」から返ってきた事でしょうか?
答えは自分の中にある!なんて。。。(笑)
う〜ん。「何か変だ?」と気付いているのは誰か?という事でしょうか。
気付いているものがいなければ、何か変だとも思わないということでしょうかね。
watashiさん
あなたの見ている世界のすべては、どういう基準でそれは「当たり前」なのだろう? その壁を壊してごらん。
それはたとえばコップを持って水を飲むとき、コップはなぜコップなのか、それ以前に「持つ」ってなんだ?とかね、なんでそんなことをしなきゃならんのかとか、そもそも「渇きを潤す?喉とはなんだ?」などとね、自分が仕組まれた中にいることに気付くということだよ。
そうして世界を眺めて見ると歩くことも息をすることも、何からなにまで奇妙であることがわかるようになる。奇妙なことをずっと信じ込んでやっているだけだったとわかる。そしてその「奇妙さ」に気付けば、何かがそれをそのように思わせているだけであり、水もコップも喉も、すべてが幻想だったと気付くようになる。
コップは確かにそこにあるけども、それはコップでない「何か」であることを感じはじめるようになる。さらにコップがそこにあることを「見ている自分」とは「コップそのものである」という理解に到達する。
この話がわからないとすれば、その観念のなかで理解しようとしているからだ。
たとえば「本性とは、すべてを観ている者だ」と、言葉では簡単に述べることはできるけども、それは本当はどういうことであるのか、それを理解するには実際に体験してみるしかない。つまり観念の外に出なければならない。知識だけではパラドックスを超えられない。
つまり地球上にいる限り、朝と夜は同時にやってこない。それはありえないし理解もできない。地球がすでにひとつの観念だからだ。だが宇宙に出て地球を見下ろせばそれは簡単に理解できる「光景」となる。わかるかね? 「朝と夜が同時にくる」というのは、「どちらもない」ということに到達するのだよ。
自分さん
返信ありがとうございます。
言葉というのは不思議ですよね。
自分さんが書いている事を理解しようとして、
納得してもwatashiが解釈した自分さんの言葉なので、
100%オレンジならぬ100%watashiの解釈した言葉になってしまうんですよね。
最近、世界から言葉をとってみようとしました。
「私=世界」と良く言われてますが、
世界だと日本とかアメリカとかそういう概念が出てきてしまうので、
「私=今ここにあるシーン」「今ここにあるシーンが動いてる」という感じになりました。
亡くなった父と母も私のシーンの中に現れた人で、「自分さん」もその1人です。
テレビも置いてないので、今ここにある私のシーンには争いも起きていない
つまり「平和」ではないかと思いました。
世界平和は自分1人で達成されるものではないのかと感じた次第です。