宇宙のメロディ
あなたは何度も生まれ変わっている。周りの人たちも何もかもがそうだ。ただしそれは「良いことをしたから来世は良い人生になる」というものではない。
ただひたすら同じ世界が繰り返されている。そのなかであなた自身がどのように新しくなっていけるかなのである。
1.
この世がなんであるのかを理解したいならば、歌について考えてみるとよい。歌はメロディと詩でなりたっているだろう。詩はメロディに沿って流れている。
この比喩から理解すべきなのは、もしその歌が1番、2番、3番と続いていくとき、詩の内容は変わってもメロディは変わらないということにある。
つまり詩とは私たちそれぞれの現実世界のことだ。同じメロディのうえで、それぞれ違う世界をみている。メロディの起伏が日々の出来事の有無となる。
同じメロディの起伏でもハッピーな歌詞や悲しい歌詞でその出来事の性質が異なるということだ。
2.
だからあなたが不幸であるとか幸福であるとかは、メロディ自体には何の関係もなく、単にそこに乗っかっている言葉の問題でしかない。現実を変えるというのは同じメロディの流れのなかで、別の言葉に置き換えることにすぎないのである。
つまり大きな夢を実現させたいけども「いまの自分にそれができるかどうか」なんて考える必要はない。なぜならいかなる状況になったとしても、いまと同じメロディが流れているからだ。
これまでを振り返ってみれば「大袈裟に考えていただけだった」ということがたくさんあっただろう。実際やってみればなんでも簡単なのだ。何を考えようともメロディに流れるだけなのだから。自らの言葉で焦りや不安を作り出しているだけなのだ。
だから「人生に乗る」には現実(詩)に囚われるのではなく、背後に流れるメロディを捉える必要がある。それがテイクイットイージー(無為自然)であるということだ。
3.
さてこのメロディ論(と名付けておこう)にはさらに重要な真理が含まれている。
同じメロディの上で「私たちそれぞれの現実世界」があるわけだが、それはあなた自身の毎日、そして今の人生と次の人生においても「毎回違う」ということである。
つまり肉体の寿命が尽きてこの世が終幕したあと「同じ世界」がまた0歳からはじまるということだ。宇宙に流れるメロディはずっと繰り返されているからだ。
しかし「同じ世界」を繰り返すのに「毎回違う」というのはどういうことか。これは頭を柔らかくして理解する必要がある。
たとえば同じ本であっても、自分が様々なことを経験して成長してから再び読めば、内容が別のものとして受け取れたりすることがある。
それは己の理解が広がったからだ。本の内容が書き換えられたわけではない。そこに記されているものは同じでありながら、あなたという「詩」の言葉が変わったのである。
現実の光景もそれと同じ原理にある。メロディが同じでありながら、別の角度でその流れをみることになる。
4.
つまり自己意識はそのままでありながら自分の容姿が違う。あなたの「知る自分」がそこにいるだけであり、それはあくまで「あなたがそう知る姿」である。この意味をよく理解しておく必要がある。
幼少の頃の写真と鏡に映る大人の自分を並べてみれば、明らかに違う姿であるのに「これが自分である」としている内的な意識は変わらない。だからあなたが男か女か、端麗な容姿かそうでないか、どこの国の人であるかとか、そうした表面的もの(つまり詩)が「毎回違う」ということである。
身近な人々たちもそれと同様にある。
よく「来世でもまた巡り会えたら」と愛しい人と絆を結んだりするけども、もちろんその通りになる。見た目や役柄は違えど必ず現れる。それは同性かもしれないし、飼い猫かもしれない。何かと触れ合ったときに生ずる思いや直感的なものは、前世に深い縁のあったものがいまもそこに現れているのだ。
それが愛する人であれ飼い猫であれ、その違いは単に「詩」の違い、ヴァージョンの違いでしかない。背後に流れているメロディは変わらない。
世の中との関係性もそうだ。あなたがこだわっていることは、そのまま姿を変えて継続する。つまり人も物事もそれが”良くも悪くも”あれ、必ず再生産される。
だからあなたは「同じ世界(メロディ)」に何度も生まれてくるけども、詩として乗っている「言葉の世界」を生きているのだ。
5.
そう、詩といえば一般的な散文(物語や説明書など)とは違う表現を持っている。詩を楽しむ人は、その書かれた言葉や文脈の「隙間」から、その背後にあるものを感じようとする。
ゲーテ、ブレイク、エリザベス・ビショップ、リルケ、ヘルダーリン、ツェラン、E.E.カミングス、彼らの書いた文章にはどれだけ具体的な言葉が書かれていても、常に半透明にある。その向こう側が透けてみえている。また詩だけではなく、絵画も音楽も優れた芸術というのはそれと同様にある。
それが芸術の愉しみ方というものだが、あなたの人生も同じことだ。芸術家は作品のうえでそれをやっているにすぎない。
言いかえれば芸術とはまさに「この世という神秘」を示すものであり、あなたにとって見慣れた机やペンや自分の体があること、関わりあう人々がいること、何かを思うこと、気温を感じていること、明日の予定や昨日の出来事を思い出しているのも、すべて「あなたの作品」として表現されているものとなる。
6.
もちろんこれは運命が確定しているということではない。
たとえば「同じ毎日」を「昨日と今日で別々の自分がみている」といえばわかりやすいだろう。
あなたは日々が刻々と変化しているように感じているけども「毎日は同じ」なのだ。違うのは自分のほうであるということだ。
もし運命が確定しているならば、昨日と今日でまったく同じことをしていることになるが、それはありえない。
ありえないのだけども、ここに罠がある。
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