自分を特別視しなければ自由の扉が開く

人は自分が特別な存在だと思い込んでいる
その認識があなたから自由を奪う
自分を特別視してはならない
あなたはいないのだ

試しに誰でもいいから
こう問い掛けてみなさい
「あなたは誰ですか?」とね

すると誰もが答えられない
当然だと思っていたものに
答えられない

無論、あなたもだ

傷付かないように他を押しのけ
少しでも良い思いをしようと
散々自分を守り続けてきたにも関わらず
その肝心のあなたはいないのだ

何を悩んで
何に苦しんでいるのだろう?

これはずっと自分が
物事の中で生きてきたと
勘違いしてきたからそうなるのだ

つまりエゴという錯覚が起きている

では実際何があるのかといえば
「出来事」という情報だけだ
あなたなど最初からおらず
単なる出来事にいまも包まれている

 

出来事は自然の法則にある

自分自身に対し
「過去を持たない、一時的にここいる何か」
そう考えてみなさい

すると世界との共鳴が起こる

心臓の鼓動はそこにある
呼吸はそこで起きている
肌は体温を感じている
だが肉体はあなたではない

水が流れる
草木は育つ

肉体はそれらと同様に
何の意味もなくそこにいる

「生きる」と書けばニュアンスが重いが
植物がただ育つとの同じこと

それが「生きる」だ
別の言い方では「流れる」という

例えば今日予定があるとしたら
それは草木に雨が降ったのと同じ

土は潤い、根から水分を吸収する
あなたは予定を浴び
「生きる」が循環される

だが様々な解釈の末に
出来事を拒むときがある
なぜ拒むのだろう?
植物は決して雨から逃げない

草木と雨は別のものじゃなく
それでひとつだからだ

あなたが出来事から逃げるとき
自身への拒絶を意味する

予定されている物事が
どう転ぶかはわからないから不安になる?

「わからない」に任せるのだよ
不安を作り出している「都合」に
耳を貸してはならない

何かがひらめいたら
それを実行する
やりたくないならやらない

それが流れるということだ

過去や体裁に基づいた比較により
「やる」「やらない」は流れではない

あなた(エゴ)がそこにいるからだ
それは実在しないもの
振り回されるのはもうやめよう

あなたはいない

“自分”を特別視する以上
あなたはすべてを逃していく

そこには理不尽だけが起き
そして不幸だけが残る

 

後ろから観ている者

心臓や呼吸を知っている者がいる
だからそれらがそこに起きている
その知っている者は
いつも”あなた”の後ろにいる

目を開いても閉じても
その様子を見ている者

それが主体と呼ばれるもの
出来事や思考、感情を
手のひらで眺めている者だ

実体のないそれこそが
“私は在る”である
あなたの本性だ

そこに意識が戻るとき
あなたは現実を超越する
夢と知ったまま
夢の中を生きていく
つまり自由となる

もはや喪失も破産も離別も
ネガティブを生み出すことはない

観客席から観ている映像となる

 


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コメント・質疑応答

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  1. ONEPOINT より:

    以前の手記で「宇宙は真空状態を好まないから自分に向っていろいろなものが流れてくる」
    と書いていたような気がするのですが
    この手記のように自分を特別視している=エゴが鎮座しているから
    自分の前で遮断されてしまうのかと思いました。

    最近エゴが鎮まるにつれて特別に仕事について勉強しようとしなくても
    急にいろいろ分かるようになりました。
    仕事で知っておくべきことが自然と流れ込んできたのかもしれません。

    そう考えるとエゴが鎮まり本来の自分を取り戻せばすべては最初から
    目の前に揃っていたことがわかるのかなあと思いました。

    • -自分- 涅槃 より:

      ONEPOINTさん

      >「宇宙は真空状態を好まないから
      >自分に向っていろいろなものが流れてくる」

      そう、あなたの周囲には隙間がない
      光景もそうだし
      物事もそうだ

      なぜ「隙間」がないのかといえば
      すべてあなたの意識が向けられたものだけが
      その世界を形成しているからだよ

      「ない」ところにむければ
      それは「ある」となる
      つまり宇宙とは意識のことだ

      今回の手記はエゴについて記している

      >勉強しようとしなくても
      >急にいろいろ分かるようになりました。
      >仕事で知っておくべきことが自然と流れ込んできた

      >エゴが鎮まり本来の自分を取り戻せばすべては最初から
      >目の前に揃っていたことがわかるのかなあと思いました。

      あなたの言う通り
      エゴの行動はなにひとつ成し得ず
      循環がすべてを起こすのだ

      そこに乗り込むだけで
      世界はあるがままに顕現される

  2. 五月雨祭 より:

    誰かであるかぎり連続しそれが積み上がり箱庭を作り続けますからね。

    • -自分- 涅槃 より:

      五月雨祭さん

      >誰かであるかぎり連続しそれが
      >積み上がり箱庭を作り続けますからね。

      その通り

      そしてすべてが意識の投影であり
      つまり「これ」が生ゆえに
      箱庭世界を抜け出ることはできない

      箱庭にいながら
      それに気付いているのであれば
      幻想を楽しむことができる

      だが自分を固持すれば
      箱庭に気付くことは決してできない

  3. みっちゃん より:

    自分さん(涅槃)こんばんは…。

    人に対する慈しみも、油断すれば何時のまにか自分の心の
    不安に変わっていたりします。

    心の制御は難しいですね…。

    自分のことならまだしも、もし目前に緊急な心の状態の者がいたならば、どのような心構え(対応)が必要になるでしょうか…。

    ご教授お願いします。

    • -自分- 涅槃 より:

      みっちゃんさん

      >人に対する慈しみも、油断すれば
      >何時のまにか自分の心の
      >不安に変わっていたりします。

      それで良いのだよ
      他者とはあなたの心が現象化したものだ

      そこから逃れようとするから
      人は他者に困惑する

      そうではなく
      そこに入りなさい

      心構えなど必要なかったのだよ

  4. みっちゃん より:

    答えのなかで、答えを探していました…。

    自分さん(涅槃)ありがとうございます。

    • -自分- 涅槃 より:

      みっちゃんさん

      >答えのなかで、答えを探していました
      誰もがその出口のない迷路で
      さまよっている

      行き先を探すのではなく
      「そこ」にいることを知るだけでいい

      それだけで
      迷路から抜け出ている

  5. ミスト より:

    エゴと流れどう区別すればいいでしょうか。

    • -自分- 涅槃 より:

      ミストさん

      流れとは
      エゴが消沈したときに残るものだよ
      エゴは流れに抵抗することしかできない

      一日だけでいいから
      思考的な判断を介さず
      思いついたままに行動してごらん

      ふと歩きたくなったら
      行き先や目的を見つけず
      ただ歩いてみたり

      理由を見つけず
      何かを食べてみたりなどね

      無頓着に生きろというのではない
      主義主張を先に持ってこないということだよ

      例えば風が吹いたら
      髪型の崩れだけに意識を向けるのではなく
      風を感じることを先に持ってくる
      あとで直せばいい

      いつもと優先順位を変えるのだよ
      先に予防線や対策を張り巡らそうするのではなく
      起こったことをしっかり感じてから
      必要なことをするのだ

      そうして過ごしていると
      あなたの中で何かが変わる

      自然の流れのままに溶け合ってみなさい

  6. 愉快 より:

    過去記事を読んでいたら、ここにコメントされている方々のどんな言葉も、自分の中のラインナップから取り出されてきているかのように感じました。

    自分さんの記事内容ですら、これはいつか何かの拍子にふと思ったことを誰かが文章にしてくれているだけではないか、時間は連続していないし本当に過去も未来もなかったわ、と。

    悟りとか仏教、タオ、の用語はわからないのですが、意味を検索したり調べたりしないでなんとなくニュアンスで流していたら現実の生活が面白くなってきました。

    そして、一人でいる時でさえ「こういう時はこういうふうに反応するものだ」と『演じている』ような自意識?に気づいた時、その気づいているソレは何者だ?と周囲を見回してから、またその芝居がかったじぶんの振る舞いに笑いました。

    (誰もいない空間に向かって「かかったな!そっちは残像だ!」などとふざけていたのです)

    ここの記事も、コメント欄も、超エキサイティングで最高のエンターテインメントです。

    わたしの世界からこの書はまだ消えないようですが、楽しいうちは楽しんでみます。わたしから発信していたものも誰かから発信されるものも同じでした。

    みなさんありがとうござます。

    • -自分- 涅槃 より:

      愉快さん
      よろしい
      そのように現実を俯瞰するとき
      まさに自在性の中にある

      あとはどんな不都合や不条理
      そんな物事が置きようとも
      平然と同じ姿勢でいることだ

      物事に力はない
      それらに力を与えているのは
      オバケ屋敷を”怖がろう”とする自分なのだ

      ありがとう

    • 愉快 より:

      >平然と同じ姿勢でいることだ

      続けてみます。
      ありがとうござます。

  7. 普通さん より:

    ダークサイド側からみる視点の記事を何個か廻って
    ここに辿りつきましたが…。
    自問自答までは解れましたが「そこに体に不快感があるかぎり」
    恐怖をネガティブを力とするか恐怖を幻想とするか
    あまり感情は平坦でも答えが変わります。それぞれ納得する。
    「やるかやられるか」と「あ~、ほっとした」と交互にやってきます。

    • 普通さん より:

      「今」は、のんびりほのぼの。気温も悪くないし落ち着いてて。
      ただ最高のエンターテイメントと思っても「EMERGENCY」はサインしてくれてるわけで。体も腕だけしか痛くはないけど一応、ご用心は教えてくれてるわけで。

      このまえの映画はとてもステキなラブストーリーで見てみたいなと思っててイタリアの島って綺麗…とみてればエディンバラ。これエンターテイメント映画の為の演出、道しるべ?と。
      エディンバラの地下の話なんてあんまり笑えませんでした。
      ハンニバルのアルプス越えもモーセの山越えとかぶったり。

      そのあとつづいた傲慢と偏見とゾンビっていう映画もなかなか。
      ですが「奇跡がくれた数式」って真面目な映画予告に辿りつき、これいいなぁと、これたいなあと感動したり。

      どちらにしても映画内容がハードだから「感覚越え」したいわけで。
      もしくはごっそりフィルム丸替え。
      今更、この年、体力で北斗神拳も学べないからなあ・・・・。
      憑依があるなら、それこそこういう時こそ一時てきでもいいから天才やら猛者降りてこいとかフラットで静かに瞑想というより妄想がすごくてロクな事浮かびませんね。妄想できるってことは「平和」な証拠。

コメント・質疑応答

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