世界はいくらでも組み直すことができる

人生を変えることができるか?
もちろん可能だ

因縁生起やら潜在意識やら
話の題材としてはよく出てくるがね
いつも伝えているように
すべてあなたの受け取りなのだよ

つまり観念

あなたがそう見ているから
その世界はそうなっている

いま不幸だからといって
潜在意識が負で満載というわけではない

いいかね?
正やら負やらは
あなたが勝手に決めていることだ

まずここまでを
しっかり覚えておこう

 

すべてはコラージュ

以前、根菜の煮物が苦手でね
そんな私に妻が絶妙な味加減をしてくれた
入っているものは同じ
バランスを変えただけだったが
それ以来、好んで食べられるようになった

そういえば同様に、先日トライした
アボカドを使ったジェノベーゼ風パスタ
あれも出来上がったときは
ボンヤリした味だったのだが
少し塩を足しただけで
ガラリと風味が変わったものだ

食材の組み合わせで「料理」ができる

だが料理というものが
そこに存在しているのではない
それを間違えてはならない
あなたはそれを料理だと
思い込んでいるだけだ

実際にはいくつかの食材やらスパイスが
ひとつの皿に盛られているだけなのだよ

つまり料理は実在しない

これは「部屋」も同じで
部屋というものがあるわけじゃない
そこには天井と床、壁があるだけだ
色々なものが融合したものを
あなたは部屋として見ている

あらゆるものを要素の集まりであると
見切ることができれば
人生を変えることは容易くなる

 

バランス

例えば料理や部屋には歪なものがあるね
濃すぎる味付けや
落ち着かない部屋
あなたは受け入れられない

それらがどうしてそうなのかといえば
バランスを欠いているからだ

あなたが焼き飯だと思っているそれは
米に塩胡椒、醤油、卵やらが
皿に盛られているだけ

塩の量が多いと辛くなるし
少ないと引き締まらない
これはあなたに起こる人生の苦悩
そのものを意味している

だから陰陽や風水がある
その本質とは
やはり組み合わせ方なのだ

何かの食材を入れると臭みがあるから
その臭みを抑えるスパイスを加える
するとゼロとなる
だがバランスとは相対的なものゆえに
限度を超えると崩れてしまう

例えば活力が出るからと肉ばかり食べ
刺激的で派手な遊びばかり続けたりして
すべてが”レベルの強い方向”に向くと
尋常じゃない大病を患ったりする
病気自体は”負”というわけじゃない
ただ「たまたまやってきた病気」も
他と同様に強いレベルで
返してきたまでのことだ

水はどんな場所でも水平を保つように
あなたの五行も必ずそのように起こる
陰陽とは二元性の天秤を意味する

そこであなたはこう言う

「じゃあ美味い物を食べたら
不味い物も食べろというのか」

それは価値観の話だ
そんなエゴを持ってるから
観念が崩れないのだよ

そうではなく
素朴な食べ物も楽しめということだ

あなたはパっとしないものは
やれ理不尽や不幸だと片付けたがるが
金のない暮らしも味のあるものだ
いつか金の入ったときは
それはそれで楽しめば良い
つまりどちらも楽しめるのだよ

そのように出来事の強弱で
価値観に振り回されない限り
たとえ病気がやってきても
大した物にならない

そういう在り方のとき
振り子は静かに小さく揺れているのだ

その中道、つまりタオに在る

 

単独で成り立つものはない

周囲を見渡しなさい
“組み合わせ”でないものがどこにある?
ボールペンもシャンプーも
そしてあなたもそうだ

鏡をごらん
着ている服と髪型、女性ならメイク
その組み合わせがそこに映っている

骨格や肌もあなた固有のものではない
親の遺伝子、食べ物や生活環境、
そうしたものの組み合わせ

名前に職業に得意技、
どれだけ解剖しても
「これがあなただ」と
呼べるものはひとつもない
全部外側の集まりに過ぎない

テレビで斬新な科学発明やビジネスが
紹介されたとしても
それもすべては既存の考え方を
組み変えたものだ

1000年前にスマホが製造できたか?
といえばもちろん可能だ
地球を資源としているわけだからね
ただ概念がなかっただけだ
当時はそんな発想すらなかった

いまあなたが
人生に限界を見ているのと同じだよ
固定された概念の中に縛られている

当時から同じ資源で
現在にスマートフォンが生まれた
それは料理と同じく概念(見方)だ
あなたは手のひらに
iPhoneがあると思い込んでいるが
実際そこには鉱石があるだけだ

つまりあなたも見方を変えれば
いますぐに人生がガラリと変わる
素材は同じもので良いのだよ

努力して手に入れる物も
いまそこにあるものも
中身は全部同じ

同じどころか
その中身すら思い込みだ

素材も原子の寄せ集めだが
原子すらも科学の進歩で
どんどん細かくなっていき
とうとう「なにもない」ことが
判明してしまった

だからあなたの見立てひとつで

人生は変わるのだ

なにもいらない

 

リビルドの感覚を掴む

子どもの頃からスクラップブック
作るのが好きでね
切り抜きやら手書きのメモ、イラスト
写真やもらい物、押し花など
手に入れた何かを加えていき
ひとつの何かを見立てていた

ブレイクビーツに凝ったこともあった
色々なレコードからドラムやベース
ピアノを抜き出して繋ぎ合わせては
トラックを作って楽しんでいた

創り出すこととは
組み直すということなのである
つまり無の上に有が生み出されるとは
何を選んでいくかというだけのこと

こうして文章を書いていることも
その経験が継承されている
Macで文章を書くときは
アウトライナーを愛用している
文章の塊を自在に組み替えられるというものだ

私は何かひとつをテーマにして
腰を据えて書くことなどしない
いつもダダッと書いているだけ
それをあとで好きなように
順番を入れ替えたりして完成となる

ゆえに指の動きと打ち込まれる文字を
眺めているしかなく、そこに私はいない
そこで流れてきたもの
インスピレーションが起こるがまま
ここに書き起こされている
つまり書いているときに
あなたの思いが入ってくる
それが文字に起こされる

人々の思いと私の受け流し
その組み合わせが本書なのだ

とまあそんな感じでこの世のすべては
ありもしない何かの
組み合わせでできているのだ

音楽でも文章でも
それは見立てが違うだけであり
そこに何かが実在するのではない

だから世界はあなたのコンセプトが
そのまま具現化しているわけだから
それを打ち壊して
新しいものを創り出すことで
いくらでも変わる

誰かがカセットテープを打ち破らなければ
CDもMP3も生まれなかっただろう
それはあなたの人生も同じ

観念は崩壊することで
新しい観念が起きてくるのだ
文明の崩壊と同じ
次は新時代がやってくる

有限が崩壊したときに
無限を垣間見る

「ああ、なんだそうだったのか」と
理由もなく気が付く

テレビを分解しても芸能人は出てこない
聖書も官能小説も燃やしてしまえば
同じただの燃えかすだ

あなたはその生の中で
何度リビルドできるだろう?
何度、無に触れることができるだろう?

あらゆるものは
組み合わせであることを知るのだ

そこに大金だけがあってもだめ
美女がいるだけでもだめだ
組み合わせの感覚を掴みなさい

要素をどのように組み合わせるか
そのような角度で見ていくか

塩を足したり抜いたりして
味加減が整うならオーケーだ
舌の許容を超えているなら
一旦あなたの中で崩壊させることだ

物的に叩き壊すのではないよ
「壊した」というのも概念であり
何も壊れてなどいない
その体験を通じて
あなたの中で壊れただけだ
だから実際に手を加えることなく
壊しなさい

 

まとめ

絵の具はいくら混ぜ合わせても
それ以上の明るい色を作ることはできない

あなたを形成している要素を
ノートに書き出してみる
仕事、生活、お金、恋、夢
何をやっても息苦しいなら
全部同じ方向を向いているということだ

シーソーがバランス良く保たれるよう
人生をコラージュすることがコツだよ

 

人生を変えることができるか?
もちろん可能だ

 


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  1. オレンジ より:

    自分さんこんにちは。

    >1000年前にスマホが製造できたか?
    >といえばもちろん可能だ
    >地球を資源としているわけだからね
    >ただ概念がなかっただけだ
    >当時はそんな発想すらなかった

    1000年前と現在と、目に見える違いはたくさんあるけれど、根本的な違いは「概念」なんですね。
    言われてみたら本当そのとおり。
    私はそれを思いつかないから
    自分さんの話してくれることが、言葉にしてくれることが
    ありがたいです。

    • -自分- 涅槃 より:

      オレンジさん

      キッチンの前に立っているとき
      あなたは本当は何を目の前にしているのか

      その「何」は
      名称を探す時点でやはり観念となるから
      知ることはできない

      iPhoneを手にしているとき
      それはiPhoneではないことは確かだ
      ユーモア混じりに言うなら
      動物や虫たちに聞いてみると良い

      「これは何ですかだって?」
      「どう見ても石だよ、石以外に何に見えるっていうの?」

      彼らにはiPhoneの概念がないから
      無論このようになる

      これはあなたも彼らと同様に
      見えていないものがあるのではない
      そのように解釈してはならないよ

      いくらでも見えないものを創り出すことはできる

      真理はその逆だ
      「そのように見ているもの」で
      埋め尽くされているということを悟ることにある

      それが理解できればね、
      私たちはとんでもないところに存在してることが
      垣間見えるだろう

      それは場所ですらもなく
      一歩も動いたこともない

      すべての経験は
      “そのように見ている”だけであり
      私たちは最初から「何もない」

  2. 匿名 より:

    自分さんこんにちわ

    今日も涅槃の書を開き、新しい手記のタイトルが目に入るなり飛びつくようにそれを読むあたり、まだまだ私は世界に溶けきれてないなあと思う今日この頃です

    >だからあなたの見立てひとつで

    人生は変わるのだ

    なにもいらない

    やはりこの一文でエゴが反応しましたね
    「見立てを変えるだけでいいのか!よし、今すぐ人生を変えよう!」
    という具合で

    >あらゆるものを要素の集まりであると見切る

    でも、今日の手記で私にとって大事なことはこの一文です
    このように見切っていれば、私が何かをしなくても自然と人生をリビルドしているでしょうね
    あくまで私がすべき努力は主体的に生きることだけなのだと再認識しました
    ありがとうございます

    • ワモノ より:

      匿名で送信してしまいました(汗
      ワモノです

    • -自分- 涅槃 より:

      ワモノさん

      >このように見切っていれば、私が何かをしなくても
      >自然と人生をリビルドしているでしょうね

      夕暮れ時にね
      まだ大きなランドセルを背負った子ども達が
      家路についている

      向こう側に太陽が沈んでいるものだから
      建物も街路樹も影になっていて
      子ども達の表情もわからない

      オレンジ色の背景に
      真っ黒な影たち

      それを観ているのは私だ
      私には姿も色も影もない
      私の視界に私はいないということ

      ゆえにすべてを司るこの視界だけが
      「世界」であり
      「主体」であり
      そして「愛」なのだよ

  3. creeper より:

    自分さん

    こんにちは

    >iPhoneがあると思い込んでいるが
    >実際そこには鉱石があるだけだ
    この視点に立ってみると「所有」という概念が薄れてきます。
    循環ですね。
    謙虚にならざるを得ません。

    • -自分- 涅槃 より:

      creeperさん

      こんにちは
      あなたの言う通り、
      所有とはもっとも愚かな観念だ
      一体何を所有するというのだろう?

      それがそこにあるのは
      手に入れたのではなく
      己がそこに見出しただけなのだ

      だが「所有」を巡って人々は争い
      生を犠牲にして未来を目指す

      カラカラの人生を潤すのは
      オアシスを求めることではない
      そこにオアシスを創り出すことなのだよ

      その自由を知るとき
      何も渇いていなかったことがわかる

      渇きすらも
      創り出していたものだからだ

  4. OK より:

    -自分-涅槃さん

    いつも、記事を楽しみにしています。また、コメントへのご返信をありがとうございます。とても励みになっています。

    今回の記事と関係があると言っていいのか……10代の頃に、なぜか突然、「無意味の世界」に入ってしまったことがあります。

    物事にも周囲の光景にも、何ら意味はなく、全部が一体で、個々の事物は、名前をつけてレッテル貼りをすることにより、分けられていたのだ、という感覚であり、いきなり、何の知識も準備もなしに経験したそれは、ただただ「恐怖」でしかなかったのですが、今にして思うと、「私」のマインドがその一体化に組み込まれることに強烈な反発をしたのかもしれない、と思っています。(マインドの暴走?)

    その時の経験があまりにもショックだったので、それ以降、その逆があるはずだと思い、「意味のある幸せで自由な世界」をずっと探し続けてきました。

    でも、それはおそらく、外の世界を探している限りは見つからないものであり、この世界を構成する諸々ー日常生活を含めてーのバランスを取れるようになったとき、自然と立ち現れてくるものなのかも知れない・・・。

    今日の記事を読ませていただき、そんな風に思いました。

    阿波師範は、的と一体化していたから、あやまつことなく、二矢を的中できた。

    それが、阿波師範の体や弓、矢、的との間にある空間、そうしたもの全てのバランスを完璧にとっていたからできたのか、逆に、それら全てを取り払っていたからできたのか、「私」には分かりませんが、少なくとも今の「私」がこうして文章を書いているように、「思考」に頼っていたのではないことは確実なのだろうと思います。

    バランスする「振り子を持つ手」、そのものの存在になりたいです・・・。

    とりとめのない内容ですみません。ありがとうございました。

    OK拝

    • -自分- 涅槃 より:

      OKさん

      >その時の経験があまりにもショックだったので、
      >それ以降、その逆があるはずだと思い、
      >「意味のある幸せで自由な世界」をずっと探し続けてきました。

      素晴らしいコメントをありがとう
      あなたの残した言葉は
      多くの人に気付きを与えるだろう

      あなたが「振り子を持つ手」を観ているならば
      それはすでにそのものなのだよ

      コインは表裏があってコインなのだ
      二元性の理解を得たとき
      誰もが裏面のないコインを手にしようとする
      それはエゴの支配から抜け出ていない

      そうではなく
      それまで常にコインの一面だった自分が
      「あれ?コインが見えている」と
      すでに離れた位置に立っていることに気が付くことだ

      離れた場所にいるにも関わらず
      コインになろうとするのは愚かなことである

      人や社会と関わりながら
      自分の心を常に観察しておきなさい
      イライラするときや怒りが込み上げるときが来る
      それをわかっていながら
      わざわざイライラしたり怒ったりするのかね?

      その芝居をやめるということだよ
      あなたはすでに離れているのだ

  5. としゆき より:

    今この瞬間から見える世界に何かを求める事をやめました
    期待や不安、全ての感情を受け止める覚悟をしました
    何もいらない、何かが起きても起きなくてもいいと
    素直に思っています
    風の香りが好きだった無垢な子供の頃に戻ります
    こんな気持ちを思い出させて頂き本当にありがとうございました。
    このサイトに関わる皆さんの幸せを願っています。

    • -自分- 涅槃 より:

      としゆきさん

      「崩壊させる」というマジックを備えると
      あなたはいくらでも
      新しいものを作り出せるようになる
      つまり人生というドラマに囚われなくなる

      いくらでもやり直せるのだよ
      幸せになりなさい

      それは自分自身だけが可能だ

  6. まちぞー より:

    同じ素材でも見方を変えれば人生が変わるというのはわかるのですが
    素材自体は「あなたの中」にいるかぎり変わらないのでしょうか?

    • -自分- 涅槃 より:

      まちぞーさん

      >素材自体は「あなたの中」にいるかぎり変わらないのでしょうか?

      その通りだ
      ここにあるのは完全なる超越、空意識だ
      あらゆるものはそのなかの幻想であるゆえ
      地球も人生ドラマも何もかも
      手のひらの上となる

      すべてはあなたの視界でしか起きていない

      そこに気が付くことを
      この手記では伝えている

      どれだけ高尚な教えも
      ロジカルな裏付けも
      超常現象も経済も恋愛も
      すべて「この空間」の中だ

      空間は私もあなたもそれは共通であるが
      そこで「見ようとしているもの」だけが違う
      ここが話の肝となる

  7. IT より:

    こんばんは

    自分を構成しているものを挙げたら一瞬愛を感じた。どれか一つ欠けても今の私は成り立たないことが分かった。

    そして恋愛に意識が向き過ぎていることに気付いた。だから上手くいかない。
    他の自分を構成しているモノに意識をシフトしてみたら少し楽になった。

    今、お金にはあまり意識が向いていないので上手く回っているのだろう。
    恋愛にもあまり意識が向かなくなったら上手く回るかもしれない。

    私はもっと心を裸にする。

    自分の心に向き合い続けるのが「道」であり「人生」なのだろう。 ひたすら歩み続ける。拝

  8. moonriver より:

    この記事も関連性が高い。

    気まずいパーティも仲の良い友人といっしょに行けば楽しめる空間になるし、ちょっとオシャレな格好するだけでもガラッと意味合いが変わったりする。
    それこそ、髪型や服の色を一点変えただけでも周りの反応が変わり、ストレスが軽減されたりする。
    神が常にロイヤルストレートフラッシュを用意してくれるわけでは無いので、組み合わせを変えたりしてコツコツと自分が楽しめる状況に変えていく事も大事ですよね。

コメント・質疑応答

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