2つの幸福

テニスとサッカーは違うものだと
当然あなたは知っている

しかし同じグラウンドで
今日はテニスの大会が開催されていたり
サッカーだったりする

では違いはなんだろうか

そう、ルールなどの枠組みを与えることで
同じ場所でテニスやサッカーが現れる

そのようにして私たちの世界は
「枠組み」が形や意味となるのだけども

そうして形や意味ができると
その意味を完全なものにするためには
そのなかで頑張らなきゃならない

テニスで優勝するためには
同じように頂点を目指してる強豪たちと争って
勝利をつかむ必要がある

たとえそこまで目指してなくても
テニスを楽しめるようになるには
ある程度の基礎や練習が必要だろう

未熟な人からすれば
ラケットを振ってボールを打ち返せる人の姿は
どこか真理に到達した仙人のようにも映る

その姿には無駄がなく洗練されていて
その卓越したシンプルさには
長年のさまざまな経験や鍛錬がエッセンスとして
凝縮されているように感じられる

実際そうだろう
そうして意味や形を与えられてできたものは
ちょっとやってみた程度ではものにはできない

それを取り組む自分自身も
まずは枠組みの内容そのものに
染まりきらなきゃならない

私たちの世界はそうして
いろんな枠組みがあふれている

なにかの分野だったり職業だったり
幸せや快適さや満足といった感覚的なものさえも
すでに形や意味を与えられていて
その枠組みを満たしてこそ
そのようになれるのだと思っている

すると幸せや満足もまた
努力と忍耐と勝利の末に獲得できるものと
なるわけだが

するとたとえば自分は他者よりも貧しかったり
不自由でだったりして不利な環境だとすれば
スポーツやその他の分野と同じく
どんなに頑張ってもそれを成すことは難しくなる

成そうとするそれ自体がそもそも難しいのに
加えて最初から困難なハンデを背負っているゆえ
二重の苦しみを超えていかなきゃならない

世界のトッププレーヤーになれないとしても
ただ普通にテニスをすることさえ
体が不自由だったりラケットが買えなかったり
それらがはじめから備わっている人と比べてみたら
まるで己にはテニスをやる参加券すら
与えられていないとなるわけだね

もちろんテニスをやるには恵まれている人も
それ以外のことは恵まれていなかったりする

だが意外に困難な環境のほうが
適していることも多くある

たとえば素晴らしい詩人は
悲しみや日々の苦しみがなければ
その深い想いに触れることはできなかった

また制限された生活だからこそ
世間に惑わされずひとつのことに専念できるのも
“有利な環境”だといえるだろう

それゆえすでに枠組みを与えられているものは
そのなかでもがくよりも
現在の自分の状況に合うものを選ぶほど
それを成すことが幾分容易となるのは
覚えておくとよいかもしれない

それはスポーツ選手の親に生まれて
体格的にも経済的にも恵まれていて
それでテニスプレーヤーを目指すのと同じなんだ

だがもっとも重要なことは別にある

全文をお読みいただくにはご入会後にログインしてください。数千本の記事を自由にご覧いただけます。→ . またご入会や入会の詳しい内容はこちらから確認できます→ ご入会はこちらから


Notes , , , , , ,

コメント・質疑応答

  関連記事

-->