長いトンネルを抜けた先に

話だけを聞いたりしていて
わかったつもりでいたことが

実際にそれを経験してみれば
自分は実は何もわかっていなかったと
痛感したことがあるかもしれない

経験する前の自分にとって
“経験者の話”は己の経験のなかでしか
重ね合わせることしかできなかった

それはいってみれば
宇宙人が人間や動物のように体があり
“その存在を探している”みたいな限界がある

ところが宇宙人というのは
そのようなものではないのかもしれない

そんな話を聞けば
「体を持たない?つまり姿がない?」
といった想定が浮かんでくるだろうけども

その想定さえも
これまでの自分のなかにある考えを
超えることはできないわけだ

たとえば失恋をしたことがない人には
失恋がどういうものであるか真には理解できない

愛する存在を亡くした辛さや苦しみが
どういうものであるのかは
実際に経験した人しか知らない

つまり「こんな思いが胸を締めつけるなんて
考えもしなかった」みたいな”経験”をして
その経験によって
これまで浮かぶことのなかった問いや
さらにはこれまでには存在しなかった希望の光が
己の内面に放たれたりする

たとえばその問いの深さは
自らの人生や他者についての思慮を深め
いままでの自分にはありえなかった慈悲の気持ちや
寛容さにつながるだろうし

苦しみのなかで見出せた”希望”は
これまでのような単に自分の欲求や願望を
叶えたいといったものとは別次元の
前向きさや精神的な安堵を生じさせるようになる

そしてまた自分よりも先を歩んでいた
“経験者たち”が語っていたその話の意味を
ようやく知ることになり
これまで浅い自分の考えを重ねて
その人をみていたことへのある種の恥じらいと
いかに自分の観念が世界を制限しているのかといった
その真理を垣間見ることになる

一般に私たちは成功や幸せのなかに
何かをみようとするけども
しかし成功や幸せというのは

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