富とお金

お金持ちになろうとする思いが
むしろ人生の不足感を生み
ときに自分の惨めさとして
いつまでも続いたりするのだけども

その誤ちはそもそも
お金が「富」なのだと勘違いしているからにある

じゃあ富とはなんだろうか
あなたはどのように答えるだろう?

読み進める前に一旦考えてみてほしい

 

富とはなにか?

いいかい、富というのは
すでにあなたがたくさん持っているものだ

たとえば家には
お茶碗やグラスがあるだろう

茶碗があれば食べ物を取り分けたり
グラスがあれば
いろんな飲み物を注ぐことができる

もちろんその”富”によって
食べたり飲んだりできる

また靴があれば外を自由に歩けて
ペンがあれば何かを書いたりできる

家という富は言うまでもなく
寝場所やくつろぎを与えてくれるわけで

そしてなにより手という富があるからこそ
何かを作ったり運んだり仕事をしたり
いろんなことが実現できる

まずはこうして
すでに溢れるほどの富に満たされていることに
意識を向けてみよう

 

富はあなたから生まれる

そうして気づいてみれば
持っていないものを欲しがるよりも
すでに持っているものを活用したり
それで楽しんでみようかという気持ちに
切り替わるかもしれない

ならばそのときあなたは”富者”としてある

これまで集めてきたものすべてが富であり
それらはあなたを和ませたり楽しませたり
また便利に役立ってくれたりするのだと
本当の意味で気づいている

だがここで留意しておくべきことは
そのようにあなたが
「すでにたくさんの富を得ていた」と気づいているとき
自らの創造的生活に
それらを使おうとしているということにある

 

富とガラクタ

それとは逆に持っていないものを
欲しがっているときというのは

たしかに理想として
「あれがあればきっとこんなことができる」
みたいなことを考えてはいるけども

実際それが手に入ってみれば
それを使って自らの創造性を楽しむというより
その商品の価値に満足してるだけであって

やがてもっと良いものに目移りしたり
別のことに関心が向かったりして
やがては部屋に積まれたガラクタとなる

それゆえ「あれが手に入ればきっと幸せになれる」と
結局はお金が富であるかのように誤解しはじめて
つまり「自分は富をまだ持っていない」という
不足感に包まれているようになる

もちろんそれは堂々巡りであって
何を手にしてもすぐに他のものが欲しくなるだろう

それが富として輝くのは
たとえばグラスひとつにしても
その”富”によって飲み物を注いだり
喉を潤すことができることに
喜びを見出しているときなんだ

 

お金の役割

もちろんお金は必要だろう

だがそもそものお金の役割を
正しく理解しておかねばならない

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コメント・質疑応答

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