“この世”を書き換える

最近の相談で
特に中高年の人たちに多い傾向なんだけども

それはなにかといえば
自分よりも遥かに若い相手に
手のひらで転がされているように翻弄されて
惨めな思いをしたというものだ

それは社会的な立場が
相手のほうが上だとかではなく

たとえば何かのお店に入って
そこの若い店員さんに製品の専門的な説明を
尋ねてみたはいいが
知的でさらには態度も落ち着いていて
気づけば相手のご機嫌を取るかのように
ヘラヘラ笑うしかなかったという感じだね

たしかにちょっと情けない光景が
みえてくるといえばそうだが

これは同じ会社内や親子関係でも
たびたびみられることでもある

 

気の弱さ?

この話はもちろん
年長者を立てない若者がなってないとか
そんなくだらない話ではなくて

相談者の人たちは
相手に気を遣うことで
相手にも気を遣ってもらうことが
当然の前提として無意識に敷かれているがゆえに
肩透かしを食らった気分に陥ったんだ

それゆえ相手の”想定外の態度”に
どうしていいかわからず
相手に調子を合わせるしかなかった

つまり相手にそれ以上
想定できない態度に出てほしくなくて
ご機嫌を取るみたいになってしまったが
しかしその応じ方もまた
無意識な前提から抜けられていないからこそにある

そうして冷静にみてみれば
決して相手にマウントされているのではなく
相手を自分のペースにしようという魂胆こそが
心労の原因だとわかるね

それゆえむしろ
相手のその落ち着きは無礼にさえ思えてくるわけで
腹を立ててもいたはずだ

しかしそんな”自らの感情”に対してもまた
どうしていいかわからず
ヘラヘラ笑うという
自分でもやりたくない誤魔化ししか
手立てがなかったのだといえる

 

無意識を書き換えるということ

さて、もしここであなたが
「最近の人は無礼だ」と憤ったままだったり
逆に「自分はいい歳をしても惨めだ」とか
そんなところで留まってしまったら
とても単純なことを見過ごしていることになる

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