幸せを掘りだすスコップ

移動中や仕事の休憩時間
また家で過ごしてるときも
スマホをずっとみてたりする

よくないことだとわかっているのに
気づけば何時間も過ぎてたりしないかな

しかしなにが「よくない」のか?

無駄なお金をつかわなくていいし
自分でなにかをはじめなくても
誰かがしていることを眺めて楽しめる

むしろ自分がなにかをはじめるなんて不合理で
馬鹿らしいことに思えたりするかもしれない

ところがそうじゃないんだ

溢れる情報
ニュースやSNSにしても

たしかに世の中の出来事を知ることができるし
自分がやらなくても
誰かがしている様子をみることができる

だがそれだけで
それを”経験したつもり”になってしまうことに
問題がある

なにが問題なのかといえば
実際あなたは何も経験していないからだ

それは他人が経験している人生を
自分の人生だと思い込んでいるのであって
“見かけ”の経験をしているだけ

つまり”偽りの経験”だけで
人生を過ごしていることになる

ゆえに気がついたときには
自分のしていたつもりの他人の姿は
遠くへ過ぎ去り
ただ虚しさだけが残される

だからといって
人生の虚しさをどうにかしたくて
あれもこれもしようとすれば
結局なにも進まないだろう

人生はそれと同じで

特に情報ばかりが溢れている現代は
「自分がしていた”つもり”」や
「無限の可能性の”夢”」ばかりをみて
結局己は何もしなかった人生だった
ということになりやすい

そしてそれは
いまここにある幸せを逃し続けていた
ということでもある

 

“この世”の意味

だけどもこんな反論もあるだろう

自分が直接する経験であるはずの
スポーツ観戦や映画鑑賞にしても
他人の行為や作品をみているのと
ネット徘徊は同じじゃないかとね

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コメント・質疑応答

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