幸せとエントロピー

誰もが幸せになりたい

もちろんそうだね
誰も不幸ではありたくない

ところが幸せを”目印”にして
その目標のために歩んでしまうことが
そもそも不幸なのであって

いまの苦境を脱したときこそ自分は幸せだとか
お金持ちになって豪邸住まいになったら
絶対に幸せであるはずだとか
日頃考えているだろうけども

ところが「幸せ」はそんなふうに
目指して到達するものではないんだ

それは「幸せになってない自分」が
人生の大部分を占めてしまうだけでなく
仮にその目標に到達したところで
実際そこには「なにもない」からだ

だから幸せは得るものではない
得るものはなにもない

むしろ荷物をおろしてひと息つけたような
その「なにもない」こそが幸せだったのであり
そのことに気づかないかぎり
ずっと不幸のままとなる

つまりその感得は
それまで「なにかある」という荷物を
背負っていたからこそだけども

もしそこに幸せの”基礎”を見出せたならば
遠い目標を目指して
人生を棒に振る必要などなかったことになる

今日は全力で仕事を頑張った
それゆえご飯がおいしい、というのもそうだ

だからその意味でいえば
面倒なものを遠ざけて
はじめから「なにもない」にあっても
幸せを感じることはできない

ご飯は別においしくもない

ただ虚しいだけのお金持ちが大勢いたり
また人間関係を拒絶したはいいが
そうしてひとりになってみても
なにをしていいのかわからなかったり

背負うなにかがなければ
すぐに人生の光を見失っていく

もちろんその背負っているものに
押しつぶされて不幸になってるのも現状だろう

だからこそひとりになりたいと思うわけだからね

しかしこの尺度に立っているかぎり
結局はどちらも幸せになれないわけで
この”尺度そのもの”を深く理解したときに
「幸せの本質」がみえてくるんだ

だがあとでわかるように
これは「ひと息つくために苦労を背負え」
みたいな底の浅い話をしようというのではない

大事なのは
幸せとはそもそもなんなのかということ

そして「幸せ」が十全に満ちて流れる
その原理を見出すことにある

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