残りの残り

通勤途中で歩いてるとき
イヤホンを外して
“すべて”があなたと共にあることを
深く感じてみよう

朝の光に照らされた高い建物や
地面と足が触れ合ってる感覚
風に揺れる木の葉、包まれた空気
バスや電車のなかの風景もそうだね

乗り物の音や振動
乗客たちの姿

すべてがいまここにある
それ以上でもそれ以下でもなく
未来でも過去でもない

すべてが同時にここにあり
すべてがすべてに包まれている

水のなかを歩いているみたいに
全身が安らぐだろうし

そうして「満ちたひとつ」に浸っていると
建物とか道路とかバスの風景とか
もうそれがなんであるのかは重要ではなくなる

様々な”見かけ”が消え去ったあとに残るもの
ひとつにある

いわばここは”胎内”であり
だから光景の隅々まで行き渡るように
「ここはわたしの体なんだ」と感じられるならば
あなたはもう分離した自分ではないんだ

 

残りの残り

さてそのようにすべてがひとつになって
つまり最後に残ったひとつを感じているとき
“さらに残るもの”をみつけるようになる

さらに残るもの?

そう、すべてとひとつだったとわかってこそ
はじめてみえてくる気づきがあるんだ

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