世界のパワーを集めて本来の幸せに戻る実験

ある実験をするが
一時的にネガティブを生み出すものだから
ダメージを与えるかもしれない

だから一度最後まで読んで理解をしてから
やるかどうかを決めてほしい

 

1.何か腹の立つことを思い出してみる
誰かに言われたことや
理不尽な思いをしたこと

2.あなたの中にドンヨリとしたものが
こみ上げてくる

3.呼吸が変わる

 

以上だ

この実験でわかるのは
想像力だけで世界が変わるということと
呼吸が何かしらの鍵を握っていることだ

 

人生は映像が流れているだけ

以前も記したように
人生とは映像のことだ

記憶のようなものが
ずっと放映されている

死の立場から回想を見ているようなもの
だから日常が思い出そのものといえる

スクリーンの映画のように
中身のない単なる映像なので
すべてはフィクションとなる

物や人々、あらゆるすべては
そもそも最初から実体がないということ

ゆえに人々は死んでいくし
物は失われていく
それらは経過により消滅したのではなく
最初から実在しないのだ
だからゼロへの循環が可能となる

逆に実在するものは姿を消すことはできない
実在する唯一のもの、
それはすべてを見ている主体のこと
つまりあなたの本性のことだ

あなたの知らないテレビ番組が
あなたの知らない時間に放映されていて
どうしてその番組が実在したと言える?

つまり主体のあなたが関知することだけが
その世界ということであり
主体とは関知した世界そのものであるともいえる
つまり主客は、
存在性としてひとつとなる

これをワンネスという

 

意識が外に向くと世界がリアルになる

現実はどのような仕組みで
放映されているかだが
このように捉えてみるとわかりやすい

「右を見たら、右の風景が見える」

つまり意図がそのまま映像を作り出した
これが現実形成の前提にある

そこから踏み込んでいくとこうなる

「外で若者が騒いでいる」

あなたが屋外の音を聴いたから
その音が聞こえている
意識を向けない限り
それは聞こえていなかった、
つまり「映像」には映らなかったということだ

右を見たら〜は能動的であり
外の若者の騒ぎは受動的だと認識するだろうが

どちらも
あなたの意識が向いたかどうかなのだ

だから上の例では
「右の風景」「若者の騒ぐ声」に
意識が掴まれている

つまり
意識が外側に向くときに「現実」が起こる

すべてにリアリティが与えられ
“固いもの”になる

逆に意識の向きを内側に変えてみると
すべては自分が起こしていることだと
知るようになる

なぜならば察知が起きた時点で
それらは認識するために起きているという
理解になるからだ

「見たから見えた」のではなく

あなたと対象とで
双方向に
「見ること」が起きたのだ

先のテレビ番組の話と同様に
あなたが知ったこととは
それ自体があなただということだ

 

想像力の話に戻そう

ネガティブを想像することで
あなたの体調は変わる
腹のあたりが重くなったり
全身を突き刺すような痛みに襲われる
気分も暗くなる

よくご存じだと思うが
苦悩を抱えて暮らしていると
悩ませる出来事がさらに頻発するようになる

物理的な解釈でいけば、
悲壮な顔をしていれば
他人も嫌な気持ちになり
その悪循環で‥となるが

あなたは想像力ひとつで身体だけでなく
世界まで動かしているということだ
それは連鎖ではなく
一瞬にしてネガティブな世界を構築したのだ

人生とは中身のない映像であるから
いとも簡単に変容できることを意味する

だが意識が外に向いている以上
あなたは映像に取り込まれてしまう

 

第二の実験

ではここで
意識を内側に向けている状態
つまり映像を見ているという主体が
想像力を働かせているという映像を見たら
何が起こるのか

ちょっとやってみなさい
誰もが覚者になれる

「私は記憶を見ている」
そのように唱えて
映像を見ている主体に意識を置きながら
ネガティブを思い起こしてみるのだ

まず肉体の変化は起こらない
なぜか呼吸は静かになる

さらに驚くべきことが起こる

ネガティブを連想すればするほど
何かに包まれているような感覚になる
それは温かく、心地良い
笑いがこみ上げてくるかもしれない

いいかい
それが「受容」だ

あなたはネガティブを単なる出来事
つまり存在として受け取った

だから祝福(恩寵)が起きたのだ

あなたはこれまで
その出来事を忌み嫌っていた
それは世界に取り込まれているからだ
世界の中に生きているから
そのルールで物事を判断してきた

これはよくて
これはだめ

そんなエゴの指令にて
あなたはどんどん縛られてきた
人生は狭く
息苦しく
そして不幸だった

だが主体に意識を置くとき
人生のすべては
ただ流れている映像となる

あなたはとても静かで落ち着いており
見ている映像のすべてが
自分そのものであることに気付く

映像がなければ見るものがないからね

つまり映像がそこにあることが

己のすべて、テレビっ子のようなものだ

ゆえに彼は映像のすべてを愛してる
ポジティブもネガティブも超えた視点で
それらを楽しんでいる
先の通り、主体=映像ということとなる

大事なのはここから

映像の中で湧き起こる感情は
最高のエネルギーであり
映像から得られるそれを主体は蓄えている
元を正せば主体は
自分自身を見ているわけだから
当然の循環だといえる

エネルギーとは意識のことだ
魂やら気やら愛やら呼び名は色々ある
映像を動かしている原動力だと思えばいい

だが映像の中のあなたがそこに囚われ
意識のパワーを漏らし続けている

主体の成分は意識だ
だから還元されるべきものが戻ってこず
彼は映像を見ることで
自身を失い続けている

ピュアホワイトだったものが
徐々に黒っぽくなっている

あなたが現実に囚われ
意識が外側に向き続ける限り
どんどんガス漏れが進行し
主体は非常に弱々しい姿になっている
それでも彼は映像を見ている
映像を見ることが彼そのものだからだ

彼は思考しない
判断もしない

彼はどんどん力を失っていく

 

なぜ人は幸せを求めるのか

だから気付かなくてはならない
意識を主体に向けることで
現実を通じて生じるエネルギーを
還元させる必要があることをだ

マインドレベルでは不可能だ
そこには善と悪がある
幸と不幸がある
二元対立の中では
いつもシーソーゲームとなる

映像というひとつの総体から
意識を取り戻す、
つまり愛を取り戻すには
あなたの本来の居場所を

思い出さなければならない

だからあなたにシンクロニシティが起こる
気付きやら感謝やら起こる
苦悩や問題事を発生させて
そこから気付きを得るときも出てくる

そうしてあなたが自分の正体を掴むとき

つまり主体に意識を置くとき

全パワーがあなたに集まり出してくる

言葉にすればファンタスティックだが

平たくいえば
水が淀まずに流れていくようになる、
ということだ

あなたがどこかで覚えた、

奇跡やら
ハッピーやら
幸運やら

そうした愛を象徴するものだけが
映像に溢れかえるようになる

それが主体の本来の姿だからだ
それは間違いない
確実だ

なぜならば
あなたはそれ以外のところから
いつもそれらを探しているからだよ

なぜ探すのか、わかるかね?

主体が循環を促しているからに他ならない
あなたが現実で手段やら方法やら
そんなくだらないことに囚われるから
まったく収穫がないだけで
単に主体に意識を置けばいいのだよ

それだけで循環する

何もしなくていい
ただ流れていなさい

無為自然でありなさい

 


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  1. 爽やかハンサム より:

    凄いです。

    これ万能薬です。

  2. より:

    寝てる時は主体に意識が向かってますか?

    • -自分- 涅槃 より:

      隼さん

      >寝てる時は主体に意識が向かってますか?
      熟睡時については
      これまであらゆる記述を残しているから
      本書の検索窓から調べても良いだろう

      ところであなたは
      深い眠りから覚めたあと
      どんな気分でいるかね?

      「スッキリした」
      「もっと眠っていたい」

      同時に日常の面倒事が浮かぶ
      つまり熟睡とマインドは反発しあっている

      あなたが熟睡の感覚をそのまま
      日常に持ち運ぶことができれば
      24時間、至福に包まれる
      それは可能だ

      マインドが機能するから
      熟睡を熟睡とするが
      目覚めているいまそこでも
      熟睡を感じることができる

      なぜならいまそこに
      「主体」という背景がなければ
      マインドが起こり得ないからだ

      それは日頃から「背景」としてあるもの
      あなたがどちらに方向を変えても
      それは向きを変えることもなく
      上下左右の概念もない

      あなたがどこまで進もうが
      それは同じ場所にいる

      あなたがそれを感じているとき
      意識は主体に向いている
      つまり熟睡のときと同じ

  3. 爽やかハンサム より:

    目の前にコップがある。

    これは私が勝手に「コップ」としているだけで、実際そこにあるのはコップではない。

    私が作り上げた「観念」でコップとして捉えてしまっているだけだ。

    主体を取り戻し続けたら、創造主だ。

    これは今まで教えてくださっていた事だけど、いまいち解かっていなかったけど、ようやく観えてきたぞ。

    よしよし。

    • -自分- 涅槃 より:

      爽やかハンサムさん

      そう主体が主体を見ている
      主体というワンネスがただそこに在る

      だがその狭間であなたというエゴが生まれ
      主体自体の循環が正しく行われない

      メカニズムとしてはこんな感じだね
      何かのヒントになるかもしれない
      だがこれらも観念だ

      あなたがそこにいるだけでいいのだよ

  4. えくぼ より:

    主体に意識をおく、内側に光を灯す…
    同じ事を仰られてるのは分かるのですが、具体的にどうすればいいのかやはりまだ上手く掴めません。
    外側の出来事に翻弄されず、外側に何も求めず、判断せず、常にハッピーでいればいいのでしょうか?

    • -自分- 涅槃 より:

      えくぼさん

      >外側の出来事に翻弄されず、外側に何も求めず、
      判断せず、常にハッピーでいればいいのでしょうか?

      そうじゃないよ
      その時点で「何かをしよう」としているからだ

      人は思考で捉えることが
      癖のようになってしまっているから
      それを超えなければならない

      あなたは瞑想、、まあフィットネス系のヨガでもいいが
      そういうものをしたことがあるかね

      陶芸でも、茶道など、
      もっと枠を広げればあらゆるスポーツ、競技

      すべての神髄は「その行為に中に在るかどうか」だ

      つまり「いまに在る」とき、思考は止む
      止まそうとするのではなく
      自然とそうなっている

      いいかい、「自然とそうなっている」
      これが自然の法則となる

      ハッピーにも2種類あってね
      ひとつは、いろいろ考えたらこれってラッキー、
      そんな思考の算出のもの
      もうひとつは自然と湧き起こる喜びのもの
      前者は思考による解釈だから
      あなたの気分や状況によってそれは不幸に変わる
      つまりありのままを受け入れているのではなく
      思考という限定された範囲での自己満足となる

      後者はあなたの手を離れている
      思考の小さな世界ではなくその外側、
      無限に広がる空間から贈られてきたものだ

      あなたが自然であるとき
      その豊かさを享受できるようになる

      さて
      どうやって自然のままに在ろうか?
      思考は自然と対極するものだから
      考え求めて算出するものではない

      まずあなたの身近にある
      自然のものに意識を向けることだ

      一番近いものとはその身体だ
      身体の隅々まで意識を巡らせてみる
      言葉のニュアンスが難しいならば
      「指がある、指を使うようにしよう」
      何か作業をするとき、そう意識するだけで
      指はあなたの自由になる

      何よりも、指が自由であるとき
      あなたは思考に囚われていない

      これまでは作業をどのように進めていくか
      ちゃんと終わるだろうか
      そんな予測や心配ばかりをしていた

      だが指が自由になるとき
      あなたは物事がただ流れていることを悟る

      指に任せておけば
      いつものようにあれこれ悩むよりも
      スマートにパーフェクトに
      事を処理してくれることに気がつくだろう

      まずそのように「意識的にある」というところから
      入りなさい

      ハッピーは勝手にやってくる

  5. ワモノ より:

    その指の話わかります
    ピアノを弾く時とき、「指をこう動かして」などと考えながら弾くとめちゃくちゃになるんですが、もういいやと何も考えずに弾くと上手く弾けたりします
    身体はいつも完璧に勝手に動いてるんですね

    • -自分- 涅槃 より:

      ワモノさん

      楽器は顕著だね
      芸術家は身体の動きに委ねて
      そこに酔う
      だが多くの人々は
      無意識に身体を動かされているだけだ

      似ているようでこの2つの違いは大きい

      仕事も悩み事も
      頭ではなく身体に任せることで
      自然の潮流に乗る

      これは究極の法でありながら
      本来の在るべき姿勢なのだよ

コメント・質疑応答

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