名前というカルマを超えて全体性に包まれる

生を受けると
名を与えられる

この伝統がカルマのようなものだ
「名」が自らを世界から分離させ
幻想の苦しみに満ちた人生となる

自分の名を覚えたとき
「私の〜」「私は〜」
というアイデンティティが生まれる
その自我は幸福、不幸など
自他の比較を生みだし
いつも「なにか足りない」という罠に陥る

野生の虫たちは名を持たない
だから常にトータルな在り方をする
そのホリスティックな意識は
同種の生物だけではなく
土や水、そして動植物まで
生物間を超えた全体性に包まれる
彼らは「全体のため」に活動しているのだ

「あの人にどう見られているだろう」
「街行く人にどう見られているだろう」

人はいつも「他者の目」でものを見ている
あなたが「見る」のだよ
自分の目でものを見ることを思い出したとき
あなたはトータルを悟るだろう

そこには全体という個がある
絶対的な平安と至福に満ちている

名前を超えなさい

 

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コメント・質疑応答

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  1. no name より:

    本当の名前がない、これ。いつもついてくる、これ。
    自転車を漕ぐと、目の前の画面だけがゆっくり横に流れて、風もそれには当たらず、においもそれには感じない。
    昔からあって、つけられた名前の私ではない、これ。
    自分の手足を見たり、鏡を見ても、名前がついてる方の自分があります。
    誰だろう?と思うときもあります。
    なにかが、おかしいと感じています。

    • -自分- 涅槃 より:

      no nameさん

      よろしい
      あなたは観照のエリアを掴んでいる

      その場で右を向こうとも左を向こうとも
      「これ」は向きを変えず

      そこから離れた場所へ行こうとも
      「これ」は一歩も動いていない

      あなたの見えている現実は
      「これ」が浮かべている夢なのだよ

      手の感触も、味も、前に進むことも
      何もかもが「体験」という名の夢

      眠っているときの夢と同様に
      どこにも動いていないし
      何もそこで起きていない

      眠りも日常も
      「これ」はいつも目を開いている
      そして何世も超えてきた
      過ぎていくのは「これ」ではなく夢の方だ
      ゆえにあなたは消滅しない

      「これ」は同じ場所にずっと在る

  2. no name より:

    自分さん、ありがとうございます。
    『これ』が浮かべている夢、、もっと深くみつめてみます。『これ』自身も。
    他の手記も拝見します。ありがとうございます。

    • -自分- 涅槃 より:

      no nameさん

      どんどん探求を続けなさい
      それはあなたの内側への旅だ

      理解が起こる度に
      それまでの解釈が覆されるだろう
      ゆえに何度も戻り
      確かめることになる

      リラックスして楽しみなさい

コメント・質疑応答

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