潜在意識という雲を流していく

全部「あなたの見ている中」にある
それが大前提なのだよ

人々も物も事件や出来事
その教科書に書かれている歴史もね
今日は論理的に記してみようか

言葉は分別をつくるのに
とても便利な道具だ

例えば庭に犬がいる
だが庭や犬という言葉がなく
その動作を示す言葉もない世界だとしたら
あなたはどう認識するのだろう?

庭や犬という境界線もなく
ただ「ひとつのそれ」が
漠然とそこに在るとなる

言葉を捨て去った先に
いわゆる「すべてのすべて」が見えてくる

繰り返すが言葉は道具だ
それ自体は単なる参照ファイルのようなもの
識別記号のようなものである

エゴやらマインドやら
そんな言葉を使うわけだが
それも何かから何かを際立たせるために
用いているに過ぎなさい
だから言葉の意味自体は
なんだっていいのだよ
それに意味はない

言葉の指すその深いところ
そこを感じ取ればいいのだ
それもあくまで
「庭」に「犬」がいるということに
あなたが囚われ過ぎているから
庭や犬を切り取って説明をしなきゃならない

そうすることで
それらは「切り取っているだけだ」
と話ができる
つまり切り取られていない状態
というものがある、
そこに理解を運ぶことができる

 

潜在意識

さて進めよう

今回の手記では言葉に意味を持たせない
単なる記号として記していく
だから言葉に囚われないようにしなさい

エゴ、マインド、記憶、時間、性格、
反応、個人、執着、気持ち、好き嫌い、
目標、夢、環境、色、状況、
アイデンティティ、インナーチャイルド

これらはスピリチュアルで
よく用いられる言葉だ
それらはつまり「潜在意識」という
下層のものである

下層と書いたが
上も下も言葉に意味はないから
そのまま読み進めなさい

低次とも言うし
呪縛ともいう
怖いイメージがするが、まあその通りだよ
人々は潜在意識に囚われて生きている

あなたが人生でいまそこに到達した状況、
それはすべて潜在意識がそこに運んできた

顔を合わすのも嫌な人がいるだろう

では、なぜ「嫌」なのか

この簡単な仕組みを理解すれば
あなたは解放される

 

なぜ「嫌」なのか

実にシンプルだ
あなたが「嫌」だからだよ
もう少し踏み込んで書けば
嫌ということに「なっている」のだ

虫が嫌いな人がいる
なぜ嫌いなのか
無論その理由を探してくるだろう
事の発端はなんだ?
「むかし寝ている体に這っていたから」
じゃあ、なぜ這っていたら嫌と感じたのか
「その不気味な感じがあったから」と言う

このように掘り下げていけば
いくらでも「理由の連鎖」が出てくる

ここで気が付くかもしれないが
どこにもあなたから発せられた理由が
ないということだ
常に反応でしかない

こう言うかもしれない
「もともと嫌いだったんだよ」

それはそうかもしれない
「生まれる前」から嫌いだったのだろう
だがそれもあなたが発したものではない

いいかい
よく世の中を眺めてみなさい
戦争や喧嘩、犯罪、事件
色んな事が起きている

あなたも人間関係や経済的なこと
そして病気など、
色々な問題に悩まされている

そうしようとしてそうなったものは
ひとつもないのだよ
結果的にそうなっていった
事の発端もなにも
あなたがしたことといえば
実際起こったことに対する「反応」しかない

だからあなたは理不尽に感じる
「自分が選んだ事じゃないのに」とね

サッカー選手を夢見て練習に励んだ少年は
いまやワールドクラスのプレイヤーだ
だが彼すらもサッカーとの出会いに
反応をしただけだ
ユースで抜擢され
名門コーチのもとで鍛えられる

彼は言うかもしれない
「俺は何も選んでない、こんな人生理不尽だ」

彼がサッカーに嫌気が差したときに
その「理不尽性」に襲われる
不幸というものにはまる
つまりあなたが見ている世界と
同じ風景となる

「理不尽」は気付きへの一歩だ
つまり自分は何もできないということ
それを察しているのだからね

 

反応

反応の正体、それが潜在意識だ
あなたが生まれてきてからの
記憶の蓄積と考えがちだが
実際は生まれる前からの蓄積だよ

あなたに生まれるも死ぬもないが
今回はその話は置いておく

つまり潜在意識とは
「情報」の集合体のこと

正の情報もあれば負の情報もある
そのように見えるかもしれない
だがその判断も
潜在意識の引き出しから出る反応だ
いまのあなたから見た判断だから
相対的に善し悪しを見ているに過ぎない
ここが重要な部分だよ

情報はあらゆる方面から
送り込まれてくる

人々や物、事件や出来事
教科書に書かれている歴史‥
そう冒頭に書いたとおり
全部あなたの見ている中で
それらは起こっている

顔を合わすのも嫌な人

そうだ
それは間違いなく嫌なのだ
それ以外にない
考える余地もなく
ただ単純に「嫌」なのだ

だがあなたはそこに計算を持ち込む
「嫌なあの人とまた会ったらどうしよう」
「いや、嫌だと決めつけることがよくない」
そういう思考もすべて反応によるものだが
結果的に精神負担に繋がっていく

精神負担とは
エネルギーの喪失のこと
あなたはエネルギー体だから
それが減っていくとパワーも消耗していく

目の前の食器が白ならば白なのだ
緑ならば緑なのだ
目の前の人が好きならば好きなのだ
嫌いならば嫌いなのだ

その受け取りだけで止めることができれば
エネルギーは消耗されない
避けようとしたり
求めようとしたり
そういうことでエネルギーは小さくなる

 

あなた?

さて「あなた」とは一体なんだろう?
あなたを形成するもの、
その社会的な状況だけでなく好き嫌い、
ましてその思考や感情まで
すべてが反応でしかないとすれば
「あなた」とは一体何なのかね?

「反応」を外していけば
最後には何もなくなるということが
イメージできるだろう

ということはあなたが嫌いだと思っている
人や虫への反応こそがあなた、つまり
見ている世界があなたということになるが
「あなたはいない」のだから
世界があなたであるというのは正しくない

その見えている世界しか残らないのだ

潜在意識はあらゆる方面から
送り込まれてくると書いた
そりゃそうだ
世界がそれだから
そこにいればそれしかない

一度そこから出てみない限り
何も気付くことはできない

水の中で「濡れることはない」のと同じ
あなたはどっぷりと浸かっている
一瞬でも水面を飛び出すことができれば
濡れていたという事実を知るようにね

あなたのできることは2つ
まず、ネガティブに染まりたくないのならば
それを世界に持ち込まないこと
つまり憂さ晴らしに誰かに八つ当たりしたり
不幸な話を聞いて安心を求めたり
そういうことを続ける限り
あなたの潜在意識はどんどん黒くなっていく

だが意図しない出来事も無限に起こる
目の前で嫌な出来事があったときなどね
これが2つめ

今回の大事なところだよ

 

「そうか」

すべてあなたの見ている中にある

人々も物もなにもかも
それを認識しているのはあなただ

だから
すべての責任はあなたにあるのだよ
あなたがそのようにしている
テレビニュースを騒がす悲痛な事件も
あなたが起こしている
その責任を感じなさい

嫌味な上司も
あなたが作り出したものだ
その責任を感じなさい
仕事中に邪魔をしてくる猫も
あなたの責任なのだよ

あなたがその責任を受け入れ
「そうか」と
深い納得が起これば
潜在意識からそのネガティブは消える

悲痛な事件は
“あなたの世界には起こらなくなる”のだ

この話は物理的な法則を超えているだろう
だがあなたが見ている世界が
あなたにとって「すべて」なのだ
その意味をよく理解しなさい

 

そしてひとつ朗報がある

あなたが思い悩んでいることなど
それらを「自分がそうしている」と悟り
その思いを手放すことができれば
不幸という衣がどんどん剥がれていく
雲が晴れていくように
青空が広がっていく
世界はとても明るくなる

それがあなたの戻りたかった場所だよ
雲をそのまま認めなさい
雲を避けようと逃げ回るのをやめなさい
あなたの移動する先は
同じように雲が着いてくる

だがあなたが雲を雲として眺めていれば
やがて雲は去って行く
最後には雲ひとつない空が残る

サッカーの彼が言葉もなく
「そうか‥」
と深い納得に満ちるとき

それが
空が晴れた日、だ

 


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  1. 困ったさん より:

    この前はお返事ありがとうございます。まだ咀嚼できておりません…。
    正直、混乱しております。

    本日の潜在意識が黒くなるには私の長い間の関心でしたから咀嚼できてないままでも書かずにいれれませんでした。ですから、おかしな文になるかもしれません。

    高校時代、ものすごくホラーSF映画が好きでした。自分さんが以前、仰ってたノーカントリーも若い時に見てました。哲学者が殺人に良心の呵責もなく淡々と人を殺していく。クレイジーな殺人鬼と違うところが深く怖い話です。高校卒業時、遊びまわってたころ、友人と遊びで占い師さんに見てもらったところ「ホラー映画とかああいうものは見ないほうがいいよ。運を悪くするから」と忠告されたことがあります。それはずっと記憶に残ってました。ですがそれを見たところで誰かを殺したいと思ったことはありません。
    誰かを憎い、嫌いと思っても残虐行為をしたいと思ったこともありません。
    ただそういうものを見ることで障害が発生しやすい運の巡りが悪いというのは感じてます。今はもう若い時代も通り越しましたし、たまにSFサスペンスやスリラーを年に2回ほど見に行く程度です。

    ですがこれも私は運ばされたのですよね?でが自由意志があり、私が選択してきたと心から思えば世界から悲惨なニュースは消えるってことですか?

    ある意味、家の中に引きこもりTVもみずラジオも聞かず一歩も外に出なければ、そういう映像を見ることも無ければ加害者に洗脳されることもないでしょう。自分が作り出したと責任を感じたあと、そうすればいいということでしょうか?外に一切でなければ危険に巻き込まれる可能性はグッと下がる。もちろん自然災害や天変地異など
    起こる可能性はあるが蓋然性はない。

    でもそれでは人生を楽しんでるといえない。たまにはスリルを楽しみたい。
    そこで安全な元でスリルだけ楽しめる映画や漫画などのフィクションが生まれたのでしょう。そういうものを一切、楽しまないほうがいいということでしょうか。

    そして性犯罪に巻き込まれたような女性は、それも彼女が選んでいたと?
    男性と違って女性ならアダルトビデオのような情報を目にすることもなかったでしょう。なのに彼女がそれを体験したくて作り出したのですか?
    克服できるのは極1部で大方な人は精神病や自殺を選択してるのに、それも彼女の責任?この部分にはっきりこたえてくれている潜在意識系も宗教もありません。宗教でさえこういう矛盾点は救えていない。

    そこに運ばれるのは自由意志はなくて
    理不尽なものだけに自分が選択してきたと責任を感じるというのはどうも納得ができかねないのです。

    自分さんはもっと究極な視点で考えてて善悪のこだわりなど超えてらっしゃるのでしょうけれど、殆どの方は毎日、安全、安心、健やかに暮らしたいだけで聖人や達人を目指しているわけ
    はないと思うので、ここでいつも思考がひっかかります。
    どんなに言い方変えても痛いものは痛いし辛いものは辛い。だからそういうものから回避したい。それならどこにもでなけりゃいい。いやそういうことが人生に組み込まれてるなら、ここで終わらせてしまえばいいと自殺の思考に普通の人は流れていくと思うのですが、このあたりはどうお考えなのでしょう。。。

  2. あの時の覚醒者 より:

    いきなりですみません、全部ダメでした
    今日この世で一番信頼していた彼女にずっと裏切られてた事を知りました
    誰をどれだけ許しても、誰をどれだけ救っても、誰をどれだけ愛しても結局本当に欲しいものは何一つ手に入りませんでした

    なんかちょっとこっち方面に才能があったらしく、ここ数年くらい色々な神秘体験やヒーリング能力や一瞬で人のトラウマを消しまくったりしてきて
    僕もこれで自信を持って幸せになれるかもしれないと日々を過ごして来ましたがどうやら僕はダメな弱い小さな男でした
    別にスピリチュアルで儲けようって話ではなく、ただ日々のんびりと好きな事をやりお金を儲け愛する人と中睦まじく添い遂げたいだけでした

    なんか全てを否定するような文章すみません
    荒してるようなら削除して下さい
    今なんか心が麻痺していまいち冷静な判断が出来ません

    裏切りと別れ、大抵なんでも物凄い量受け入れれるんですが、最大の痛点であるこのコンボはダメでした

    なんか心が麻痺してるようでもあり、それが他人事のようでもあります

    自分で言うとバカみたいだけど、無償で救った人達にはキリストみたいな扱いされたり白馬の王子(笑)と思われたりとリアルヒーローみたいな人生を数年送ってきたけど
    僕自身はなんか全然とはいかなくても明らかにこちらからの供給過多な事が多かった気がします
    血を吐きそうな時も恋愛に限らず愛を表現しようと頑張ってきたのですが割に合わなかった感が強いです

    いや、気分の良い時は正反対に感じたりするんですけどね(笑)
    でも今回ばかりは浮き上がれる気がしません
    イメージもパワーも何にもわかないです

    長々と重たい愚痴すみません
    僕にはまだ救いはありますか?
    どうしたら良いですか?
    今にいれば大丈夫なんでしょうか?
    なんかわからず屋な質問で恐縮です、でもなんか今スピリチュアルにも裏切られた気分なんです

    正直もっと救われたいし報われたいです
    誰も傷つけず苦しまず優しくて万能で大きな男になりたいです

    なんか能力ばかり上がって、それもまあちょっと頭打ちな気もするけど
    能力の割に僕の幸福度、平和度、裕福度が釣り合ってないように感じます

    能力高いとかただの見栄っ張りの妄想かもしれないけどそう感じてます

    なんかもう大事にしてきた全ての美徳や、広い意味での完全な愛や、希望や胸に宿る暖かい何かも、何もかも全部投げ捨てたい気分です

    これまでの涅槃の書や大切にしてきた書籍や誰かの言葉に答えがあるのはわかるのですが
    今は実践して今失敗したばかりだけにどれが正解かわかりません
    あ、スマホの管理はまだやってません

    僕はまだ大丈夫なんでしょうか?
    いつも頼るばかりですみません

    なんか眠くなってきました

  3. あの時の覚醒者 より:

    さっき9時頃道が突然一瞬で開けました!

    雲が晴れた!やった!やった!
    こんなの初めてだ!
    ありがとう自分さん、貴方や今まで出会った全てが今僕をここに導いてくれました

    今もうすでに新しい生き方を実践中です!
    もう他者の代わりに血を流すなんて自己犠牲はやめました!(笑)
    僕はずっと子供の頃から自分を虐待してました

    これからは絶対我慢せず自分の為に生きていきます

    開けてから一時間経った今一瞬誰かを傷つけるのではと不安が過りました(笑)
    でもなんか素晴らしい何かが待ってる気がして、矛盾してるけど世界が僕がそうなるのを待ってる気がします

    あ、マインド入りかけてるかな?

    とりあえず楽しんで楽しい方向にだけ進みます
    最高の気分だ!

  4. 困ったさん より:

    necomimiやneurocamを生み出したneurowearプロジェクトとは?

    http://weekly.ascii.jp/elem/000/000/301/301987/

    引用開始>>子どもからおじさんまで「なんだこれ!?」っていう想像以上にいいリアクションをしてくれましたね。<<

    雲はまったく晴れませんが、自分さんの仰ってた
    「なんだこれ!」は解った気がします。

    皆が幸せになる方法ってないのですか。

  5. 自分 -涅槃- より:

    >>困ったさん
    >>あの時の覚醒者さん

    みんな遅くなってすまないね
    旅に出ていた

    一通り読ませてもらったよ
    だがひとつだけ覚えておきなさい

    あなたが世界なのだ
    だが「私」「世界」と分断した解釈ではなく
    その漠然としたひとつの空間があなたのだよ

    テレビで悲痛な事件が起こる
    例えば性犯罪が起こる

    それはあなたが起こしたのだよ

    私の世界にその解釈があれば
    無論私にもそれが見える
    だから私はそこから意識を消滅させる

    すると私の見ている世界に「それはなかった」

    この話が自己都合に聞こえるならば
    あなたはまだ自分と世界とを分断している

    あなたもおらず
    被害者の女性もいない

    あるのは
    あなたが生み出したその現実だよ

    すべてはカタチのないモヤっとしたもの

    あなたが野菜を食べるとき
    野菜という命を食べている
    ハンバーガーも同じ

    だがあなたの世界では
    ごく当たり前のことだろう

    新しい工業製品を手にする
    あなたのライフスタイルは華やかになる
    だが工場からの汚染には気を止めない

    そこに虐待や自然破壊が
    あなたの意識に起こらない限り
    充実した暮らしがあるのだ

    だけどもあなたがネガティブに意識を向ける、
    すなわち
    あなたが生み出せば
    その世界は黒く染まる

    繰り返すがね
    あなたと世界、その分断を捨て去ることだよ

    あなたが幸せならば
    世界のすべての人々は幸せになる

    なぜならば、人々の幸せを見ているのは
    あなたしかいないのだから

  6. 困ったさん より:

    おかえりなさい。
    ご旅行かなとは思ってましたが
    お体の調子が悪いのではと心配しておりましたがよかったです。お忙しいのにいつも返事ありがとうございます。

    実は私はいないの感覚はつかめません。
    なんとなく仰ることは解るのです。
    マザーテレサが臨終する前の脳はスカスカで、医者がよくこれで痴呆の症状がでなかったと驚いていたとか。

    私の自我も感情も全て脳で考え感じてると思っているが、脳そのものは実は単なる触媒で空中に漂ってるエネルギーを脳がアンテナとして受信し自分の自我として自分の頭で考えていると錯覚しているのではと。実は周りに漂う空気こそが
    私なのではと思うことはあっても、肉体に反応を感じます。

    私が恋愛中でラブラブなころ、福島の震災は起りました。自分が幸せだったから
    それほど悲観的には感じなかったけれど
    それは他人事のように見てたからだけであり、やはり粛々とした気持ちにはなり哀しかったです。気分がよくてもTVに映り見た。それではその映像をかき消せばいいというのでしょうか。悲しむな、慈悲のような感情は自分をネガティブに誘うだけだと。やはり見事に分離してるせいか御都合主義にしか感じません。

    私が幸せな時、悲しいものから目をそむけるのではなく、そのまま幸せな光景が映ってくれるでないと幸せも感じません。後で理解に繋がるかもしれないので自分さんの仰ることは記憶に残そうと思っていますが。

    まだまだ分かれません。

  7. 自分 -涅槃- より:

    >>困ったさん

    いつも書いていることだが
    何かを変えよう、
    このままじゃダメだ、
    そういう選択をしないことだよ

    あなたはいつも同じテイストばかりを
    選ぶ傾向にある
    レストランで毎回メニューを注文している状態だ

    それはあなたの「思い」だけでなく
    例えばマザーテレサの話もそう
    スピリチュアルもそうだ

    この世の多くの人々は
    テレサどころかスピリチュアルすら知らない
    それでも楽しく生きている

    無論、それらを知っていることと
    不幸や幸福は関係がない

    ただ、あなただ
    あなたはいつも同じものを選んでいる

    これはどうかね
    わりと役立つメソッドだ

    ファミレスに行き
    これまで注文したことのない料理を選びなさい
    いつも同じ判断をするだろう
    「これじゃちょっと量が足りないな」とか
    「やっぱファミレスはこれだよね」だとか
    そういうのをやめるのだ

    ファミレスで絶対に頼んだことのないもの
    それを選びなさい

    飯を食ったら
    次はショッピングだ
    小物でも服でもメディアでもなんでもいい

    入ったことのない店
    買ったことのない物
    それを選びなさい

    あなたが男性ならば
    女性御用達のような雑貨店でもいいだろう
    別にプレゼントを買うフリなどしなくてもいい
    絶対に日頃買わないようなものを買いなさい

    とにかくいつもと違うことをするという習慣
    そこからあなたは膨大な選択肢がいつもあったということ
    それを知ることになる

    あなたは何かを「分かる必要があるが、自分はまだだ」とするが
    そうじゃないよ
    そういう思考すら選んでいるのだ
    無限の世界にあなたはいる

    その糸口をまず掴み取りなさい
    簡単なことだよ

  8. 愉快 より:

    この記事を音読していました。
    33分34秒で読み終わりました。声に出してみるとそんなにかかるのかー意外と長いなあと思いました。

    トイレに行きたくなって立ち上がりました。あ、もうこんな時間だ、と思いました。ゴミカレンダーが視界に入りました。ゴミ袋を縛り、玄関に置きました。部屋に戻ってきて、途中になっている作業に手を付けました。

    ふと、シムピープルというゲームを思い出して、自分がさっきから思い浮かべていたことがゲームの中のキャラクターの吹き出しみたいに思えてきました。

    シムピープルのキャラクターは操作するプレイヤーが好き勝手に建てた家、適当に選んだ職業、なんとなく決めた容姿、性別、環境を与えられてただその中で生きています。

    普通に遊ぶ場合は、住みやすくて素敵な家を建てて、良い職業につかせて、スキルを磨いて、健康を保ち、結婚して子供をもうけてご近所と仲良くして、お金が貯まれば豪華な家具を買ったりパーティーをしたりバカンスに行ったり家を大きくしたり……、そんな感じです。

    やることがなくなれば拡張パックを購入して、ガーデニングしたり魔法を使えるようになったり、と、出来ることを増やすのです。

    普通の遊び方に飽きたあるとき、台所のない家を作りました。家中を迷路のようにして、ベッドもトイレもない家を作りました。プレイヤーのわたしはただこのキャラクターがどうなるのかという興味だけで見ていました。

    台所も冷蔵庫もがないのでキャラクターはピザを注文します。ピザ屋が来ます。でも、家が迷路なので玄関にたどり着くまでに30分以上かかってピザ屋は帰ってしまいます。トイレに行きたくなってもトイレが設置されていないので漏らします。寝る場所がないから限界まで起きていて気絶するように床に寝ます。そのうちノイローゼ気味になって天に向かって泣き叫び、その画面を見ている私は、このキャラはこのままにしたら死ぬのかなあなどと考えていました。

    鬼畜プレイだなーとほかのひとのプレイ日記を見に行ったら同じことをしている方がいらっしゃって、笑ってしまった。アリの観察感覚でこんなひどいことをするのだなと。

    いまこんなことを思い出しているわたしも、まるでシムピープルのキャラのようでした。たまたま住んでいるここで寝て、起きて、食べて、自分の意志でやっていることなどなく、先日から悩んでいたように思ったことすら自分で選んでない。

    いや、選んだのでしょうけど。広い意味で言ったら選んでない。

    この記事にある、自分が見ている世界が幸福なら幸福なのだ、みたいなことについて、深く納得した時があった気がします。納得を忘れて説明する必要すらない当たり前のことだというふうに生活していた時もあった気がします。

    でも、今読んでいたら本文にあるように「ご都合主義」のようにも思えました。いま、わたしは、そう思っているのだな、と、確認して、

    でっていう。

    だからなに?とここまで書きながら思いました。

    数時間経ったらここに書いたことも忘れそうなのにわざわざ書いている。ただ、面白いなと思ったのは、この「ご都合主義」に感じるか、そうではなくて自明のことだと感じるか、は、瞬時に変わるという事でした。

    わたしの意見はこうです
    わたしはこういう人間です

    とか、ないんだなーと思いました。

    でっていう。(笑)

    • -自分- 涅槃 より:

      愉快さん

      常に「いま」起きている。耳にタコだろうが、「耳にタコだと思っていること」も「いま」そこで起きているのだよ。

      あなたの前を過ぎていくものなどなく、あなたが過ぎているのだ。つまり常にあなたが中心点であり、あなたが動くから世界はスクロールするのだよ。

      一見当たり前に聞こえるだろうけども、この話に瞑想してごらん。「私が動くから風景がスクロールする」とね。

      あなたが聞くから、誰かが話しているのであり、あなたがその人を見るから、その姿は見えるのだ。

      つまりあなたが「いま」そのものであり、過ぎていく時間など実在しない。あなたがそのメッセージを書いているときが「いま」であり、この返信を読んでいることが「いま」なのだよ。

      自分のやったことであれ、そうでないものであれ、外側を気にするのはやめることだ。それは何の解決にもならないし、何の変化も起こさない。意味のないことなのだよ。

      あなたがあなたで在るだけでいいのだ。

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