神が幸せの魔法をかけてくれる

家のなかを見渡せば
散らかった部屋
転がるゴミ袋
全部放ったらかし

でもいつもの連ドラは
絶対に見逃さない

ちゃんとお菓子を用意して
テレビのまえで座ってる

そんな困ったちゃんが
あなたの近くにいないだろうか

また職場でもいい

まるで進んでいない仕事
いつも机の前でただ固まっているだけ

かといって休憩時間や帰社は
明るい笑顔で飛び出していく

家庭であれ職場であれ
あまりにいい加減なその姿に
良かれと思って少し指摘してみれば
「これ以上わたしにどうしろっていうの!」
なんて逆上する始末だ

 

1.

さてこの問題は
彼らだけのものではない

いわば人間であるゆえの
「欠陥」のようなものだから
あなたも潜在的に抱えているものだ

彼らは「やらなきゃならないこと」は
確かにわかっている
ちゃんと掃除はすべきであるし
仕事もすいすい片付けていきたい

だが「あること」が邪魔をして
それがまったくもって不可能となる

ゆえに周囲の指摘に
激しい感情をみせる

あなたからすれば
ただ掃除をするだけのことなのに
わんわん泣き出すひともいる

「どうしろというのよ!!」と叫びながらね

別にあなたは
悪意があって伝えたわけじゃない

なのにその人はまるで
迫害されたヘブライの民のように
理不尽さに震えている

だが誰もが同じその病理を
深層に抱えているのだ

 

2.

さてその「あること」だが
これはスランプ中の作家でたとえると
わかりやすいかもしれない

それは何かといえば
可能性だけが頭に広がるということだ

つまり「あれをしたらこうなる」
「でもこれをしたこうなってしまう」

作家は自ら生み出す「自由な可能性」により
どんどん不自由になっていく

よって何も書けなくなる

それは周囲の批評を気にすることであったり
自分が掲げ続けているポリシーや
スタイルのようなものだったり

「あのとき誰かにこう言われたから
これはできない」
「あのとき自分はこうなったから
これもできない」

そんなものが次々と浮かんでは
一歩を踏み出そうとする足に
しがみついてくる

「これをするにはあれが必要だ」
「でもあれを得るにはこれがない」

このような堂々巡りが
締め切りの迫る蒸し暑い部屋の中で
無限連鎖する

それが書いている物語の進行であれ
外の他者の目であれ
先の展開を意識しすぎて
そこに至るまでの「辻褄合わせ」が
乗り来られない壁となるわけだ

だが妙な話だね

作家は自由に書くことが
その作家の作品であるのに

なぜ彼はいま書こうとする
己以外の何かに
まるで物乞いのように
縛られる必要があるのだろう?

彼がそれに気づくとき
不思議な力でペンは進むようになる

 

3.

これはいわゆるニートたちが
外に出れないのもそうであるし
部屋を片付けられないひともそう
だがそれはあなたが
やりたいことをやれないのも
同じ原理にあるということだ

片付けにしろ仕事にしろ
辻褄を合わせることに躍起になっているが
そのパズルはどうやっても組み合わない

ゆえに彼らは気分転換を重要視する
休憩時間や連ドラは
なにも現実放棄をするためのものじゃない

可能性が広がりすぎて
収拾のつかないモヤモヤを
「どうにか取りまとめたい」
という思いがあるから
まったりと連ドラを見なきゃならないのだ

広がりすぎた可能性を
「出来上がっているもの」で
再び整えたいという願いのもとにね

まあそんなときに指摘されるから
「私にどうしろというの!」と
彼らは逆上するわけだ

つまり締め切りに追われた作家と
人間の感じる理不尽さは
同じものだといえる

いわば地面に撒かれた水が
ただ無意味に広がって勢いを失っていく
それが広がりすぎた可能性の光景であり
それは無気力そのものとなる

そうなると人生は虚しく
この世は「面倒なことばかり」となる

だが本人はいつだって
勢いよく流れていきたい
ゆえに水路を探したい

その取り戻そうとしていた希望が
周囲の指摘によって
また破壊されてしまうのだ

だけども気分転換から戻った場所は
やはり何もない地平だ

そこであれこれ考えずに
己が流れる水路を掘り込まない限り
また「自分を取り戻すため」に
外に向かうことになる

現場にきても一服ばかりしている
大工のようなものだ

だが遊んでばかりじゃ現実は進まない上に
やがてそれらの水路も朽ちてくる
つまり飽きてくる
そうなったらいよいよ
ゲームオーバーの一歩手前だ

何も手につかないし
何をやっても楽しくない

なんのために生きているのか
わからなくなってくる

 

4.

ではどうやってその苦境を乗り越えようか

もちろん人間の自由な発想が
仇となっているわけだが
なぜそれが仇となるのかは
それに頼りすぎているからだ

車が便利だからとその観念に囚われてしまい
ほんの近所に行くのに
毎回車を出して細い道を走るのは
ただの不自由でしかない

だが当人は
「こんな大きな車じゃなにもできない」
なんて買い換えることを悩んでいる

で「また出費だ、不幸だ」と泣き出す
それが理不尽のプロセスとなる

つまりその難解なパズルをクリアするには
当初からの思い込みを崩さなきゃならない
限界のある発想のうえで
いくら発想を続けても
その限界を超えることはできない

ではその発想の殻を破って
自由に飛び立つためにはどうすればいいのか

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