ワンネスを知って人生の荷物を降ろす
なぞなぞをしてみようか
答えはしばらく下に書いた
注意してスクロールしなさい
あなたではないのに
あなたのことをよく知っているもの
それはなんだ?
それは完璧にあなたを知っていて
あなたよりもあなたが見ているものを知っている
視界だけじゃない
聴く音も
触れる感覚も
何もかも
あなた以上に知っているもの
それはあなたが生まれたときから
ずっとあり続けている
もちろんこの先もある
それはなんだ?
ヒント
少しイメージしてみなさい
あなたは「あるスペース」に
いつも包まれている
そのスペースを生き物だとしよう
あなたが何かを触るとき
それはあなたに触れられる
あなたが何かを聴くとき
それはあなたに聴かれる
その相互の関係性
つまりゼロを生み出す間柄
あなたの一挙一動に対して
いつも提供してくる「それ」
あなたが人類未踏の銀河の果てに辿り着こうとも
そこが人類未踏の銀河の果てであるということを
知らせ続けるホスト役
あなたが何をしようが
どこにいこうが
どんな思いを持とうが
それらは単なるキー操作だ
レスポンスがあって初めて体験は完了する
次のヒント
まだイメージを続けなさい
透明のゼリーの中にあなたがいるとしよう
あなたが右手をあげると
ゼリーはその右手が動いた分だけ移動する
あなたが右手をおろすと
同様にゼリーはその補間をする
つまり常に隙間はない
あなたとゼリーは一体となっている
ではここで視点を逆転させる
あなたがゼリーだった場合だ
ゼリーであるあなたがある動きをすれば
その中にいる人間は補間的な動きをする
例えば「右手をあげたり」だ
ふむ
なんとなく話の意図が見えてきたようだね
少し怖いかな?
エゴにとっては
自身が追い出される話だからね
ゼリーが”見られるもの”を出せば
人間はそれを見る
“触られるもの”を出せば
人間はそれを触る
さて、一体どっちが「あなた」なのだろう
さらに話はややこしくなる
ゼリーに70億という人が入っている
さらに動植物、そして天候などの自然現象
そういったものもひとつのゼリーの中にあるとする
ゼリーが動けば
その中で「隙間ができないように」
中のすべてが補間し合う
いいかい
これが潮流だ
つまり大きな流れの正体
ちなみに今回比喩としたゼリーのことを
古代インドではプラーナと呼んできた
呼吸は単なる空気の入れ替えじゃない
プラーナとの交歓なのだよ
だが間違えてはいけないのは
あなたの肉体が境界線ではなく
あなたを包むゼリー
それは”包んでいる”のではなく
どこまでも「あなた」なのだ
つまりプラーナそのものがあなたなのだよ
上の例題でスペースを生き物と仮定したが
すべてにあなたという生命の息吹がある
つまりすべてが生きているのだ
すべてがあなたなのだから
もう「すべて」などという括りはいらない
意識は真空を嫌う
なぜならば行き渡る生命の浸透に
真空などあり得ないからだ
すべてを通じたトータルなあなたが在る
常に何かがあるのはそういうことだよ
ヒントのつもりが
回答になってしまったね
答え
あなたではないのに
あなたのことをよく知っているもの
あなたのそこにあるすべてだよ
あなたが関わっているすべて
つまり「いま」だ
Notes あなたの世界, あなたの正体, ワンネス, 生命, 真実
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いつも楽しく拝読しています。
今回の記事で「ゼリー」とか「プラーナ」とか呼ばれるもの、それはエゴではない本当の自分のことで、結局エゴの自分は「ゼリー」の自分の動きに合わせるしかない、自由意志はない、ということですよね?
だったらエゴは「ゼリー」に抵抗するのを止めて、さっさとその動きに身を委ねてしまえばよいと思うのですが(そもそも抵抗すらできないはず)、ゼリーに流されそうになると「俺はそっちには行きたくない!」とイライラしたり焦ったりするのはなぜなんでしょう?
ほんとうは抵抗すらできていないはずなのに、「でも俺は頑張る。流されない!」と無駄に力んでるこの意志というか、感情というのはなんなのでしょう。
自分さんはよく「自分を主張しない」と書かれていますが、「俺はこうしたい」という気持ちはなかなかなくらないんですよね…。
とりとめなくなってしまいましたが、日ごろの疑問だったのでコメントさせて頂きました。
あと、ライフハックの記事、ほんとに役に立ってます。生活がシンプルになっていくとゆうか。すっきりした気持ちで毎日を送れるっていいですね!
>>虎さん
>結局エゴの自分は「ゼリー」の自分の動きに合わせるしかない、
>自由意志はない、ということですよね?
正しくも間違えてもいない
あなたがそのような見解に至り
じゃあ自由意思はないのだ、とすればその通りだし
そうじゃない、自分の意思でこの見解を得たのだとすればそうだ
だがあなたがいまここで
この文章を読んでいること
それは避けられなかった
予言などではなく
実際に起こったことだけが
いつもそこにあるのだよ
これが俗に言われる「常に最初であり最後」なのだ
つまり、あなたはこれを読んでいる
だから避けられなかった、となる
この話はあなたに染みついている「時間の感覚」からは
理解がしにくいかもしれない
自由意思とは時間の感覚に囚われた発想だからね
例えばこういう話はどうかね
目の前のテーブルの上には何も置かれていない
それを確認する
そう、何も置かれていない
では戸棚からコップを出してきて
テーブルに置いてみよう
どうかね
テーブルにはコップが置かれている
あなたはいま
コップが置かれている様子を避けることはできない
なぜならば、それはそこにあるがままに起こっているからだ
だがあなたはいう
「これは私が自分の意思でコップを置いた」とね
果たしてそれは本当かね?
徹底的に疑問視しなさい
「俺は本当にコップを置いたのか?」
そのように物事を捉えていけば
いずれその世界が己の幻想だったことがわかるようになる
どれだけのことが
すべて記憶だけで形作られていたということに
あなたは衝撃を受けるだろう
少し複雑に聞こえるかもしれないが、
あなたがコメントで書いたこと
よく読んでみなさい
私に対するメッセージではなく
あなたの中の私に対するメッセージだ
すべてあなたの幻想世界
心の世界だけが記されている
つまりいつも伝えている通り
私は実在しない
あなたの中で私がいるのだ
これは日常風景でも誰もが同じことをしている
道ばたで2人が会話している
それぞれは、互いに心に作り上げた相手と話している
私から見ればとても滑稽な姿に見える
なぜならば、相手と話しているつもりが
まるで相手を見ていないからだ
バッターボックスから100メートル離れたところで
ピッチャーの投球に合わせてバットを振っている
本人はもちろん何がおかしいのかわからない
だからいつも
目の前の瞬間だけを受け入れるようにしなさい
そこに入れば
自由意思がどうとか
そんな次元は簡単に超えてしまう
あなたの「歯痒さ」は
おっしゃる通り、エゴのジレンマだ
あなたが色々と悩ましいのは
エゴと一緒に歩いているからだよ
だからエゴが入り込めないエリア
つまり「いまそこで起こっていることだけ」
そこに留まるようにしなさい
コップを置いたのはあなたではないのだ
不思議の世界に入り込みなさい
すべては摩訶不思議なのだよ
あなたがコップを置いたのではないのだから
とてもわかりやすい記事でした。
私の中で「自分」が生きていたという、不思議な感覚に気がつきました。「自分」以外が生きているとも言えますね。。
>>竹さん
実はコメント以外にもメールもたくさん頂くのだが
多くの人は「人間かゼリーか」そのどちらかを見てしまう
その視点は「自由はあるのか、ないのか」そういう見解になる
だがそうじゃない
人間もいなければゼリーもなく
そのトータルがただ在るだけなのだ
その「様子」には自由意思を始めとする
一切の「概念」は存在しない
赤があるならば、赤を認識するものが必要だ
「見る」と「見られる」が関係し合いゼロとなる
だから何をどう追求しようが
必ずゼロになるのだ
だけどもそれは結果としてではなく
最初からゼロしかないのだよ
ゼロじゃないものを浮かべるのは
人間思考、つまりマインドの幻想
そこには何もなく
何の痕跡もなく
何の記憶もなく
何の経緯もない
ただ目の前にそれがある
意味もなければ理由もない
どこまで究極に近付くかではなく
それか、そうでないかのどちらかなのだ
どんどん不思議に入って行きなさい
その次元こそが本当の世界だ
ありがとうございました。
自分さんの存在も自分の中の自分で…ともう「自分」だらけで???ですが、
たしかに誰かと話している時も、相手そのものではなく、自分の中ヴァージョンの相手と話している感覚はなんとなくありました。
「いまそこで起こっていることだけ」に留まるということ、意識してみます。
とりあえず自分さんとお話できて嬉しいです。
私もあなたと関わり合えて光栄だよ
こちらこそありがとう
こうしたひとつの接点が
すべての瞬間の素となっている
つまり私たちが交わしている言葉よりも
関わり合えたこと、
それが大切なのだよ
内容に大した意味はないのだ
あなたとの思い出の前に
言葉は力を持たない
ありがとう
怖いですね。精神、エゴ崩しだけならともかく
体調面もバッチリの時にしないと参考書になってしまう。
だけどこれが上がってきたというのなら時期は待ちます。
とにかく少し静養を…。のんびり休憩を。怪我治るまで
波立たずを祈りばかり。
私の「抵抗」が強いのはこれですね。全体のゼリーがオファーならば私のエゴが抵抗しようがしなかろうが「決まっていて」、今は治りかけで痛みはないとはいえ怪我は避けられなかった。もっと酷い状態の人はいるし怪我の程度の加減や忍耐力の問題意識など持ってない。
ただ矢でも鉄砲でも持って来い!と本当に心底から思えるくらいになれないと自由意志がない、避けられないとなれば「嫌だ」という抵抗感しかでてこない。
やっとこの記事にたどり着けました。
動揺してます。今から仕事ですが、大丈夫かな?!ってかんじてます。
出勤後、最近採用の人が(身内が倒れて休み)との連絡あり。主人のお店の店員さんにも身内を倒すドタキャン店員さんがいるんですが。
こんな事の背景は流れを見ていけばよいのでしょうか?ヒント、教えていただけませんか?
mmrc7さん
起きたその通りを受け入れればいいよ。なぜ反発してしまうのか、その自分の心を観察しなさい。
その新規採用の人があなたを不自由にさせているのではなく、その自動的に起こる反発心があなたを不自由にさせてきたのだ。
自分で見つけます。ごめんなさい!