生きてることの意味を感じたい

ここに生きてる意味を感じたい
誰だってそう思ってる

たとえば栄養だけなら
食べ物の味なんて必要ない

だけどもおいしいものを食べたい
今日は洋食にしたい
デザートもほしい

また寒さをしのぐだけなら
服なんてなんだっていいだろうが
これもそうじゃない

好きな服を着たい
自分に似合った格好をしたい

人に何かを言われてばかりだと苦しくなる
自分の意見も伝えたい

いつか叶えたい夢もある
いつか行ってみたい場所もある

そんな願いを持つことだって
自分の意味を感じたいということだ

だがそれはつまり
この世界のなかで自分という存在を
際立たせようとしてるわけで
言ってみれば世界に反抗している姿でもある

ところがこの世界はあまりに巨大で複雑だ

反抗する自分なんて
世界や他者や生活事情なんかの
少しの動きで簡単に追いやられてしまう

おいしいものも飽きてくるし
体重だって増え続けるかもしれない
健康も悪くなってきたりもする

服や趣味もこだわりすぎると
部屋は物置みたいになって
生きてる意味を感じるはずのものが
違うものになっていく

自分の主張ばかり通してたら
人は離れていくだろうし
余計に嫌な思いをすることも増えてくる

じゃあ反抗するのではなくて
服従するしかないのか

たしかにそれは賢明な生き方だろう

身の丈をわきまえて
ほどほどに生きていく

しかしそうなると
己の意味はどこにあるのだろう?
味わい深い人生を感じることは罪なのだろうか?
となるね

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