美しいナイフ

たとえば”正論”を武器にするとき
その正しさと同時に
どこか残忍なものが滲んでいる

親が子どもを叱るときには
得に注意しなければならないことだが

職場や友達同士でもそうだろうし
近頃は政治家さえも言論という建前をもとに
正論というナイフで
相手を突き刺している光景をよくみる

たしかに正論は数式のように
無駄のない論理一貫性を保っている

足し算を否定できないように
正論を否定することは難しい

ただ数式とは違うところが2つあって
ひとつはその時代における常識や裏付けを
その論拠にしているということ

世間的な通念や価値観やイデオロギーなど
つまり別の時代や
異なる文化を持つ他国などでは
正論は通用しないということだ

そこにも正論があるからであり
むしろそっちが正論になる

そしてもうひとつは
数式はそれ自体で美しいものだが
正論はそれ自体では美しくなれないことにある

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