人間の世界という影絵

身近な人に
つい余計なことを言ってしまって
それが跳ね返ってきて嫌な思いをする

たとえば
「あ、それ治したほうがいいよ」と
言ったがために

相手はいちいちうるさいなと感じて
逆にあなたに嫌味っぽく
小言を返してくるような感じだね

ここで留意しておくべきは
あなたのその嫌な思いは
自分がそもそも撒いた種であることを
ほとんど忘れてしまっているということだ

つまり余計なことを言ってしまったと
その瞬間は思えても

そこからの相手の嫌味な態度に
意識が向けられてしまうゆえ
あなたは自分の心を擁護しているようになる

すると素直に詫びる気持ちより
「そんなつもりで言ったのではないのに」と
自らを正当化して怒りはますます膨らんでいくだろう

 

本当の無音を知る

こうした光景は家庭や職場にしろ
どこでも見られるものだが

まさに日常的すぎるがために
そのときは腹が立ったとしても
大体は他のことで薄れていく

それゆえよくあるのが
一緒に暮らす相手が旅行や入院なんかで
しばらく家を空けるとき

最初は寂しいかなとか
やることが増えて困るから
早く帰ってきてほしいと思っていたのに

いざひとりになってみれば
意外にも深い解放感があって
まるで水を得た魚のような快適な毎日に
驚いたりするというものだ

それはずっと鳴り響いていた騒音に慣れてしまって
もはや無音に感じていたが
しかしそれが止まったとき
本当の静寂を知ったようなものに似てるわけで

すると日頃のストレスの大部分は
その人との暮らしを守るために戦っていた
外側への困難や苦悩ではなく
むしろその人との関係で生ずる家のなかでの
小さなことの積み重ねだったのだと気づいてしまうんだね

まさに「なんてことなの!」となるわけだ

ましてや億劫になって放置してた用事を
次々と片付けられたり
あれほどに苛烈な戦いだった外側の困難さえも
余裕の心で対応できている自分を発見したりして

つまりその人からのストレスを抱えてなければ
世界はとても気軽なものだったと知ることになる

ここであなたは思うだろう

どうしてあの人と一緒にいるんだろうか?
こんなことなら
ひとりで生きてるほうが幸せなのに・・

だけどもそれは

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