誰も悪くなかった

「なにもぜずに1日が終わってしまった」という日もあれば「今日はいろんなことがあった」という日があるね。

充実した日というのはもちろん後者だが、ここで大事なのは「なにもせず」とも、また「いろんなこと」をしても1日は同じ容量だということにある。

1日を長さとして捉えるのではなく、一個の物体として理解してみよう。

つまり「いろいろあった」のは、1日をそれだけ細かく切り分けたかということになる。

逆にいえば、同じことだけをしていると、かなり無駄に過ごした気分になるわけだ。

 

“ひとつ”をいくつかに分けてみる

海外旅行先での滞在をイメージしてみるとわかりやすいね。

ホテルの部屋で1日をつぶしてしまうのか、それとも出歩いて市場や海岸を探索するかで、払った旅行費の価値は大きく違ってくる。

もちろん部屋にこもって同じことに専念していたとしても、その取り組みが進展したならば、それは段階として切り分けられている。ゆえに無駄だと感じるまではいかない。

つまり最もよくないのは「だらだらと過ごすこと」であり、そして「充実した毎日」というのは、まさに旅行のように、いかに1日を細かく分類できるかにかかっているといえる。

 

“時間”の価値はお金に勝る

だから無駄に過ごした1日も、いろいろあった1日も、「同じ容量」だということを忘れないでおこう。

まったく切り分けなければ、1日というひとつの出来事があっただけだが、切り分ければ、その数だけの出来事が1日のうちにあったことになる。

仮にそれが10あるとして、そのうちの6つが良い出来事だったなら、残りの4つが平凡だったり悪かったりしても、あなたは「よし」とするだろうから、その意味でも今日という日を多面的にしていくのは、執着しない心を保つ秘訣でもある。

またよく言われるように、年齢とともに1年があっという間に過ぎたと感じるのは、切り分けが少なくなるからだ。

逆に(これも旅行で顕著だが)1日をたくさん切り分けるほど、1日がとても長いものとして感じられるようになる。「まだこんなに時間が残ってるんだ」とね。

お金は大富豪と庶民とで持っている量が違うけども、だが時間はどんな大富豪であれ庶民と同じ1日24時間しか持っていない。

そして時間はいかに使うかによって、お金の価値を完全に凌駕することになる。

つまりここにお金持ちが陥りやすい不幸が口を開いている。お金で簡単になんでも得られてしまうと、それは多様な体験ではなく単一の体験として始終することになるからだ。

彼の1日は切り分けがどんどん少なくなっていくわけで、そしてそれは人生の意義そのものに直結していく。

「自分は退勤後の数時間しか自由がない」としても、なるべく切り分けることを心がけてみよう。その数時間はいまよりも”何倍もの価値”に変わる。後述するが、それはもはや”時間”という概念を超えているんだ。

 

苦悩という物体

さてこの基本原理を踏まえてみれば、苦悩を抱えているときもそこから抜け出すことができる。

どうするのかといえば、

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