願望は何もしないから実現する(1)

世界は一体何でできてるんだろう
歩きながら思いを馳せてみる

アスファルトや草花
建物にお地蔵さん

視界に飛び込む光景は
何でできているのか

何かがそこにあって
それを見ているのではない
そこには何もなく
何もないものをそう観ているのだ

常に包まれた中にあり
あなたが当然だと思っているものが
そこに形として現れるようになっている

つまり信念というものが
あなたの世界を創り出しているのだよ

 

当たり前のことだから握らない

信念が実現されるというのは
とても単純な仕組みである
なぜならいま見ている世界が
すでに実現したものであるからだ

見渡せば”知っている通り”に
知られたもので並んでいる
つまり現実はあなたのコンセプト通りに
仕上がっているということ

注意しておきたいのは
「願望を叶える」という行為だ
願望は未来を意味する
つまり視界にエサを吊り下げられて
延々と追いかけ回すことが
願望ということになる

だから願望ではなく
信念とするのだよ

「これはこういうものだ」という信念が
現実構築の材料であり
現れた世界に対して「それは何であるか」と
後で意味を付けている

だから定義を先に持ってくるのではなく
起こるべきヴィジョン(結果)を
“ごく当たり前のこと”として
受け取っていれば良いのである

本書に深く浸かっている人は
シンクロニシティや視点変化
時間の静止、意識の向き方など
不思議な体験をしているだろう
それは信念がそうさせているからだよ
何も起こらない人は
それが当然のものになっていないからだ
信じようとしてもそれは逃してしまう

信念は「信じよう」ではなく
「受け取る」がニュアンスに近い

コップがあるとき「コップがある」と
わざわざ信じようとしていないように
単純にそれがある、
表現を変えれば何かに包まれているような
状態にあれば良い

願望があるなら願望とはせず、
“当然のこと”として放棄することだ

あとは向こうがあなたを
見つけるのを待てばいい
気が付いたら
勝手に現象化していたことになる

 

常に結果の世界にいる

「物理的に無理なのに実現できるのか」
なんて愚問がよく来るが
無理だとしている時点でそれは起こらない
目の前の光景がなぜ見えているのか
その根本を探ることが大切だよ

十年前には「音楽」といえば
CD棚から一枚ずつかけていたものだ
いまでは手のひらに数万曲がある
だからといってスマホの構想や開発を
あなたが望んだのではない

それがそこにあって
あなたは「こういうものだ」という信念で
いまスマホを使っているということ

つまりあなたがいま使っているから
スマートフォンという製品開発が起こる
常に結果だけがあり
原因は後付けとなる

因果は錯覚に過ぎない
常に結果が提示される中で
そこに連続性を見ているだけだ

ヴィジョンが先にあり
経緯は後に作られる
ストーリーはまったく必要ないのだ
ストーリーを意識するから
すべてが破綻するのだよ

あなたが「金持ちになりたい」とすれば
どうやって金持ちになるのかを計画する
その時点でコースアウトだということだ

お金持ちになりたいだとか
豪邸に暮らしたいというのは
どこかでそれを見て刺激をされて
自分には「ないもの」として
エサを吊っているに過ぎない
スマホの話と同じ

そのときのあなたの信念とは
「お金持ちという人々がいる」だ
そのコンセプトはちゃんと現象化している

結果の世界にいるということ
それは「信じること」ではなく
“受け取り”のことであり
因果関係はなく
「いま」だけがあることを意味する

あなたがそうであれば
世界は「そうである」を返してくる
タイトルの通り、
あなたが何もしていないことほど
それがリアル(現実)なのだよ

例えばドームツアーを動員する
ミュージシャンになりたいのならば
その目標が”普段の当たり前のこと”
であるように活動を続けなさい

商売を成功させたいなら
それが当然の光景であるように
続けなさい

何事も振る舞いが肝心だよ
あなたのムードが
現実を創り出すのだ

ネガティブな現実を
簡単に表現しているように
その力を自分があるべき世界へ向けなさい

次回に続く

 


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  1. 五月雨祭 より:

    結果より先にイメージが湧くんですよ‥そしてある段階から願望とも思わなくなりますね。
    そして幸せという炭酸飲料は要らなくなります。
    よく出来た暇潰しですね本当に。

  2. ワモノ より:

    願望実現や幸せになることはもう諦めた

    はずだったんですが、今日の手記にある「願望」や「実現」や「現象化」という文字を見て息苦しさに襲われました
    自分はまだ「幸せになりたい」を握ったままだったことに気づきました

    何もしない、何も握らない、意識を内側に向けて今を生きることをもっと心がけていきたいと思います
    そしていずれは何もしないということも捨てられるよう今を生きたいと思います

  3. 愉快 より:

    そういえば、長年「これはわたし自身の運命なのだから仕方がない。絶対にこの状況が改善することはありえない。なぜならナントカカントカだから」と、深刻に思い込んでいたことについて、わあ嬉しいなあと思いながら楽しく経験していたことを思い出しました。

    この記事を読んで、なんで今の今までそれについて気がついていなかった (当たり前だと思っていた?) んだろうとまた少し驚きました。

    スケジュール帳を見ると先月のこととして記録してある。そこに努力や頑張りや計画はなくて、そういうふうになったからなった、という風情で当日使ったレシートや文字として残っているだけです。

    いま、別の問題について周囲がざわついているけれど、わたしは自分から口出しをするとかこんな風にことが運ふためにはどうしたらよいかと調べたりするのをやめました。

  4. -自分- 涅槃 より:

    五月雨祭さん
    ワモノさん
    愉快さん

    >結果より先にイメージが湧くんですよ
    そう、厳密にいえば
    イメージ=結果となる

    あなたがそこにいる時点で
    結果の世界だ
    それはつまり
    信念だけが見えているということ

    周りを見渡してごらん

    壁やら机やら
    色々なものが目に入る
    だがそれらは
    本当にそこにあるのかね?

    あなたが壁と思えば
    それは壁となる
    触れば固いし
    すり抜けられるものでもない

    床もある
    自分の体がその上に乗っている

    そのように確かめていくと
    「確認できること」ばかりで
    埋め尽くされていることがわかる

    あなたを取り巻く状況もそうだ
    すべてに「理由」がある

    これらは結果が起きた後に
    意味付けをしているということ

    願望といわれるものは
    確認出来ることや理由を最初に持ってきて
    その頂点を導こうとする
    だがそんなことは不可能だ

    なぜなら
    すべてのものは意味も理由もなく
    ただ存在しているだけだからだよ

    次回の手記でも書こうと思うが
    信念というのは
    根拠のないものだ

    呼吸ひとつでもそう
    わざわざ血液に酸素を送るために‥
    なんてことは考えてやらない

    では呼吸とはなんだろう?
    ただ当たり前のこととして
    やっているのだ
    よく考えてごらん
    いったいそれは何の理由があって
    やっているのだろう?

    呼吸の根拠を求めるとき
    それは思考的な作用となる
    つまり信念が願望と化する

    あなたが何の根拠もなく
    ただそれを受け入れるとき
    それが現象化となる

    手放しや引き寄せなど
    いろいろとメソッドがあるようだが
    要は「当たり前」だとすればいいのだよ

    • 愉快 より:

      おはようございます。

      >あなたが何の根拠もなく
      >ただそれを受け入れるとき
      >それが現象化となる

      そうだったのですね。
      先月のことを思い出してみると、根拠なく○○するという前提で過ごしていたらなぜかそうなった、という気もします。過去がこうだからああだからというのは、わたしの中だけにあった妄想でした。

    • 愉快 より:

      そういえば生まれてこのかた、
      「呼吸が出来なくなったらどうしよう、空気がなくなった場合はどう対処したら良いのか……」などと心配したことはありません。
      眠る前に「明日も無事、呼吸ができますように」と願ったこともありません。
      一年後の呼吸の為に計画を立てたこともありません。

      なぜなら、考える必要がないから。
      呼吸出来て当たり前だと思っているから。

    • -自分- 涅槃 より:

      愉快さん

      >一年後の呼吸の為に計画を立てたこともありません
      >なぜなら、考える必要がないから。
      >呼吸出来て当たり前だと思っているから。

      そう、だから私たちは
      思考を省いてしまえば
      常に安心のエリアにいたことがわかるのだよ

      思考が危機を作り出し
      不安や理不尽の渦を巻き起こす

      一切の嵐が去ったとき
      そこに安住の地が現れる

    • 愉快 より:

      おはようございます。

      >そう、だから私たちは
      >思考を省いてしまえば
      >常に安心のエリアにいたことがわかるのだよ

      そういえば、いつ頃からか思考を省くというのを意識的にやっていました。リマインダーにセットしたら即、思考の外へ。

      楽〜。でした。

      何日か前からの表面的な現実では、わたしは「事故に遭った身内の用事を代理で行うために出ずっぱりで忙しいひと」という事になっているらしくて、皆さんから労いの言葉をいただきます。有り難いです。

      ただ、動いて視ている主観では決まっていたことをただそのとおりにやっているだけという感じがするので頭を使っている実感がないし大変な思いをしているという実感もない。

      ただ、足の痛みとか身体の重み風が肌や髪を撫でていく感触、駅の雑踏の気配、病院内の音、などを感じて安堵の中にいました。

      何かの出来事を前にして無意識とかネガティブに流されそうになったとしても、わりとすぐにまた元の?最近の?この新しい感覚に戻ってきます。そして思うのです。

      手が勝手に動いているのは少し前から実感していること。

      でもここ数日は妙に、探さなくても必要なものが目の前に現れる。不思議だなあ。いや、不思議でも何でもない。これは前日にわたしがここに置いたではないか、あっちのアレは何年も見つからないままでいたけどたまたま出てきたのだ。それを出したのはこの自分の手だ。ここに置いたのも自分の手が勝手にやった。

      思考を使わなくなった途端、そういうことが増えました。忘れ物なし、すべての用事に関して漏れがないのでひとから、無理してない? と言われるけれど無理どころか力抜いてなすがままなのでした。

      何もかもが「なんか知らないけどいつの間にかこうなった」という風情で 記録の中で「完了」となっている。

      以前、このブログで読んだ覚えがあります。

      「考えることを無駄だと知りながらやってみなさい。最初から失敗すると承知した上で行動を起こしなさい。」たしか、自分さんがこんなことを書いていらっしゃった。それを読んで、じゃあ失敗してもいいや。と諦めてまな板の上の鯉状態で行動した時期がありました。

      思い出した時にそれをやっていたら、ほんとうに記事に書いてあったとおり、最初から筒抜けの空間の中にいました。わたしの頭が勝手に作っていた幻想は文字通り幻想でした。

      牢屋に入れられていると思い込んでいたのですね。これに気づいた時やはり声を上げて笑いました。

      有難うございました。

    • 愉快 より:

      いま「あれ? もう洗濯物が干してある。誰がやったんだ ハハッ」となりました。

      記憶の中にしかない。

      なんだこりゃ、と、愉快な気持ちになりました。

    • -自分- 涅槃 より:

      愉快さん

      あなたの日常は
      自己観照の境地にある

      内や外に行ったり来たりするのは
      自然なことだよ

      逆にいえばその動きがあるから
      観照”していた”ことがわかる

      すべては過ぎ去ったものを
      後で思い出しているに過ぎなさい
      つまり目の前のことですら
      記憶が流れているが
      そうしたことをわかっている時点で
      すでに意識は内側に灯されている

      あなたにとって世界とはなんだろう?
      どのように見えている?

      そこに見えていることは
      あなたが見ようとしたこと
      物理的な表面ではなく
      その裏側を覗いてみなさい

      あなたのハートが
      すべてを描き出している

      事故の話の始終、
      その出来事の裏側に
      何が漂っていたのだろう?

      それこそがあなたが
      「見るべきもの」だったわけで
      それを見たことで
      あなたは流していった

      因果関係で捉えてはいけないよ
      その裏側に漂うものが
      ずっとそこにあっただけだ
      それは時間を超えている

      そしてそれを見ることのできるあなた、
      つまり、それがあなたの実存なのだ

      そのゼロに到達するとき
      >なんだこりゃ、と、愉快な気持ちになりました。
      となる

      ありがとう

    • 愉快 より:

      自分さん、こんばんは。

      こういうのを「自己観照」というのですね。

      客観的、冷静に自分自身を見つめる。そのためにはいったん自分の外側に出なくてはならないということでしょうか。

      >内や外に行ったり来たりするのは
      >自然なことだよ

      そうなのです。
      行ったり来たりしています。

      さっき夢の中で怒っていて目が覚めても怒っていましたが、もしかしたらいまも夢の中にいるかもしれないのになんで怒っているんだろう、滑稽だな~という気がします。 (今もまだ少し怒っています)

      出来事の裏側を、覗いてみます。意識的に覗いてみます。感じるより考える方へ踏み出したとき、あっという間に無意識に戻るけれど、その状態も眺めてみます。

      >因果関係で捉えてはいけないよ
      >その裏側に漂うものが
      >ずっとそこにあっただけだ

      そうか!と、膝を打ちました。
      因果関係で思考が暴走する癖を長く続けてきたので、そっちに戻りやすいのかも知れません。

      ありがとうございます。

    • 愉快 より:

      >内や外に行ったり来たりするのは
      >自然なことだよ

      もう一度ここを読んでみて、自然なことならまあいいか、と肩の力が抜けました。

      さっきコメントした時のわたしは、行ったり来たりすること自体を解決しようとしていましたがやめました。

    • -自分- 涅槃 より:

      愉快さん

      >行ったり来たりすること自体を
      >解決しようとしていましたがやめました。

      それでいい
      後で気付くだけで充分だよ

      釈迦ですら
      無意識にハエを追い払ってしまったとき
      5分後にハエがいないにも関わらず
      意識的に追い払う動作を再び行った

      これは方便かもしれないが
      無意識に気付いた、こと自体が
      「意識的である」ということだ

      あなたはそうして
      扉をどんどん開いていくだろう

      いずれ無意識と有意識の状態が逆転する

      無意識の自分を
      意識的に見ているようになる

  5. さノかな より:

    こんばんは。

    内側に意識が向いていると、何を見ても、聴いても、闇だと思うような、不快に思うようなことはなくなりますか。

    自分の内側が光だと、謎を解明したいとか、興味が湧くというようなことは起こらないですか。

    • -自分- 涅槃 より:

      さノかなさん

      >内側に意識が向いていると、何を見ても、聴いても、
      >闇だと思うような、不快に思うようなことはなくなりますか。

      逆だよ
      意識が内側に向いているとき
      ネガティブはポジティブな質に変わる

      変わるというよりも
      本来のものに戻るのだ

      なぜならネガティブとは
      思考が作り上げていた意味付けだからだよ
      意識が内に向くとき
      思考は遠く離れたものとなる

      だから不快とされていたものは
      光へと変わる

      >自分の内側が光だと、謎を解明したいとか、
      >興味が湧くというようなことは起こらないですか。

      光明が起きているとき
      謎は謎のままとなる
      それだけで充分だということがわかる
      興味が湧くとは、インスピレーションのことだ

      つまり、生とは好奇心そのものであり
      意識の本質はそこにある

      あなたが光明に到達するとき
      あらゆるものから解放される
      そこには自由があり
      好奇心に溢れた存在となる

  6. さノかな より:

    おはようございます。

    そうなのですか…。

    私も常に至福でいたいです。

    • -自分- 涅槃 より:

      さノかなさん

      どんなときも意識的に在ることだ
      内側が光で満たされているとき
      すべての葛藤は消える

      至福は得るものではなく
      嵐が去ったときに見えるもの
      つまりずっとそこにあったものだよ

    • さノかな より:

      こんばんは。

      貨幣制度も、気付いたらなくなっていますか。

      汚いものも、気付いたらなくなっていますか。

      それまでのプロセスが、よく分からないです。

    • -自分- 涅槃 より:

      さノかなさん

      貨幣制度も汚いものも
      あなたがそれを知っている限り
      それはそこにある
      すべてはそこにある

      このように理解しなさい

      あなたは自分が関心のあることだけが
      世界で見えている
      お金やら欲しい物やら
      嫌いな人などね

      つまり、関心のないものは
      見えていないということだ

      「貨幣制度」や「汚いもの」について
      ここで採り上げているが
      あなたが違う視野を持てば
      また別の問題事が見えるようになる

      そしてさっきまで問題としていたことは
      隠れてしまう

      いいかな?

      「見えたり隠れたり」

      これがプロセスだ

    • さノかな より:

      こんばんは。

      そうなのですか…。

      世界は私なので、汚いものは受け入れにくいです。 あるがままに見ていないからですか。

      朝、目が覚めても、ユートピアにいないのは、本当にそうなるという信念が足りないからだと思います? 時間がかかると思ってしまいます。

      ところで私は存在が変ではないですか。 考え方とか、思考回路とかではなく、ちょっとオカシイですか。

    • -自分- 涅槃 より:

      さノかなさん

      >世界は私なので、汚いものは受け入れにくいです。
      >あるがままに見ていないからですか。

      あなたのいう「世界は私なので」は
      その時点で分離が起きている

      だからあなたに判断が生まれる

      受け入れようとするのではないよ

      あなたが世界であるとき
      「汚いもの」すら感じない

      そのとき、世界があなたなのだよ

      あなたはおかしくはない
      なぜなら人類すべてがあなたと同じだからだ
      すべて黒ならば
      あなたの黒はそこで際立つことはない

      だが黒の中の黒であることを
      知ることであなたは飛躍する

      つまり性質や個性の範囲ではなく
      人間であることの疑問を持つことだ
      そうして
      あなたは他者とひとつになる

      つまりあなたのあらゆる苦悩は消滅する

    • さノかな より:

      こんばんは。

      そうですね。

      よくわけの分からないことが起こるので、マインドが大きくなります。
      出来事が変なので、納得できないですが、どれも頭の中だけで起こったことにすると、私は変ではないと思います。

      今の状態も結果なのだと思いますが、もう分離の極限まで行ったと思うので、早く元に戻りたいです。

    • -自分- 涅槃 より:

      さノかなさん

      そう、常に結果の世界だけがある
      だが原因があるのではない
      因果とは時間の錯覚が生み出した、
      精神的な作用だ

      いまそこで広がる光景がパーフェクトだよ

      つまりあなたは
      いまそこで「生まれたばかり」なのだ

      これは事実であり
      それ以外の表現はありえない

      だから常に最初の場所にいることを
      忘れないようにすることだ

  7. サボ より:

    自分さん こんにちは

    いつものことで申し訳ないのですがよくわかりません。

    要するに願望をかなえたかったら、かなったふりをして毎日を過ごせということでしょうか?

    • -自分- 涅槃 より:

      サボさん

      逆に考えてみると良いよ

      いまあなたを取り巻いている状況、
      そしてあなた自身のこと

      それは一体なんだ?

      あなたはそこに行き着いた経緯を
      示すだろう
      だがそれは後付けの理由に過ぎない

      そこにコップがあるのは
      5分前にキッチンから持ってきたから?
      その記憶を疑いなさい

      「いま」に於いて
      時間は進行していない

      つまりコップがキッチンにあることも
      そこにあることも
      いま同時に並んでいる

      あなたが「どのように観ているのか」が
      現実という概念となるのだ
      だから、あなたが願望を実現したいなら
      それを観れば良いのだよ

      すべてそこにあるのだ
      なぜなら、あらゆる事象は
      あなたの意味付けによるものだからだ

      願望は叶えるものではない
      そこにあるものを
      そのように見るだけのことなのだよ

      概念の世界に生きていることを
      忘れないようにしなさい
      あなたの望むものは
      どこか遠くにあるものではない

      自分を包んでいる空間を
      どう捉えるかだけのことなのだよ

  8. サボ より:

    自分さん お返事ありがとうございます。
    たびたびで申し訳ありません。
    私の理解力では、自分さんのコメントの意味がよくわからないのです。

    >だから、あなたが願望を実現したいなら
    それを観れば良いのだよ

    ここで言われている「それを観れば」の「それ」とは何を指すのでしょうか?

    >願望は叶えるものではない
    そこにあるものを
    そのように見るだけのことなのだよ

    たとえば、私が病気を治したい場合、そこにあるものをどのように見ればよいのでしょうか?
    「そこにあるもの」とは、目の前に見える物、たとえばパソコンとか、そういう意味でしょうか?
    仮にそうだとして、そのパソコンをどのように観ればよいのでしょうか?

    • -自分- 涅槃 より:

      サボさん

      >自分さんのコメントの意味がよくわからないのです。

      意味を見出さないことだよ
      大事なのは私のコメントの内容ではない
      あなたがコメントを読んだということだ

      言葉は表面に過ぎない
      あなたの観ている世界も同じ
      患っている病、
      目の前のパソコン、
      それらから意味付けを外してごらん

      病もパソコンも「何か」になる
      名前も理由もない何か、
      存在性だけが残る

      あなたはそれを観ている人ではなく
      それ自体があなたなのだ
      なぜならそれを知ることができるからだよ

      あなたの一人称の視点とは
      あなた自身を映し出すスコープだ

      あなたの好きなもの
      あなたの嫌いなもの
      あなたの欲しいもの
      あなたのやりたいこと

      対象は全部、「あなた」となる

      だがすべては中身のない概念だ
      そしてそれを観ているあなたも概念、
      つまりあなたは実在しない

      だがどうやって自分が実在しないと
      “学ぶ”ことができる?
      あなたがやろうとしているのは
      そういうことだ
      いつまでたっても思考の中で藻掻くだけとなる

      自分に意味を与えないとき
      あなたは消える
      あなたが消えるとき
      世界があなたになる

      夢を叶えるなんて
      そんな必要などないのだよ
      あなたは
      あなたが体験しているすべてなのだから

      死に際に気が付くこともあるだろうが
      そこまで待たなくとも
      毎晩眠りに入るときに気が付けば良い

      あなたが眠ると
      世界は眠るのだからね

      >「それを観れば」の「それ」とは何を指すのでしょうか?
      概念のことだよ
      あなたが目の前にパソコンを観ているように
      「無の中に色を観る」ということ

      >私が病気を治したい場合、
      そこにあるものをどのように見ればよいのでしょうか?

      あなたが病気と認めている以上、
      それは病気のままだ
      その定義を外しなさい

      理屈を捨てなさい
      あなたの認識していることだけが
      その世界なのだ

      現在地球上には70億の人がいるが
      70億の信念世界があるということ

      つまり世界はひとつではない

      だからあなたの人生は
      いくらでも変わる

  9. サボ より:

    自分さん たびたびありがとうございます

    >だから、あなたが願望を実現したいなら
    それを観れば良いのだよ

    の「それ」とは概念とのことなので
    自分の実現したい概念、たとえば病気が治ることや金持ちになること等々、そのような概念を観ればいいということですか?

    • -自分- 涅槃 より:

      サボさん

      まずあなた自体が概念だ
      それを悟るところから始まる

      あなたはいつも
      「自分の聞きたいこと」を
      ここで問い掛けている

      自分に聞いてみなさい
      「私はどこにいる?」

      これを思い出したときでいいから
      ずっとやってみなさい
      何度もやり続けるのだよ

      すると私の話が理解できるようになる

      あなたはおらず
      見えている世界も実在しない

      ではそこにあるものは何だ?

      あなたの「願望」はすでに消滅し
      あなたの願望だけの世界が広がっていることに
      気が付くだろう

  10. サボ より:

    せっかく自分さんが世界の秘密を教えてくれているのに、私にはさっぱり理解できない。
    本当にもどかしいです。

    >自分に聞いてみなさい
    「私はどこにいる?」

    何回やっても「ここにいる」です。
    だけどここで終わってしまい、自分さんの言われることは理解できないのです。

    • -自分- 涅槃 より:

      >私にはさっぱり理解できない。
      >本当にもどかしいです。

      いや、いいのだよ
      あなたがその疑問を書こうとしたとき
      多くの人たちの疑問を
      あなたが受け取っているのだ

      何でもそうだが
      行為をする直前にある波動のようなもの
      それを感じられるようにしなさい

      あなた個人で何かをするということは
      いままでひとつもなかった
      すべては網の目のように繋がっている、
      なんて言われるが
      一枚の紙と考えればいい

      そこにあなたらしき分離や
      世界らしき分離が描かれている

      あなたが知らない遠くの何か、や
      あなたの思考や動きも含めた
      ひとつの渦ようなもの

      言い換えれば渦があるから
      すべては動いているのだよ

      >理解できないのです。

      あなたは理解と理屈を混同している
      理屈はマインド指向だが
      理解というのは全体的に溶け去ることを意味する
      それがなんであるかなんて
      頭の見解でしかない

      あなたが答えを求める限り
      「答え」はあなたの知識が返してくるだけだよ

      私があなたの小さな知識の中で
      マッチする返答をすれば
      あなたは納得するだろう

      だがそんなものは何にもならない
      だからここに来ているのだろう?

      あなたが私に答えを求めるとき
      私の中身はあなたとなる

      >何回やっても「ここにいる」です。
      数回ではなく
      何日も、何週間もやりなさい

      人と関わるとき
      買い物をしているとき
      こうして書き込みをするとき

      あらゆる行為の中で
      「私はどこにいる?」だよ

  11. Aslan より:

    タイムマシーンが当たり前のようにあると信じるのは難しいですね。受け取りとはタイムマシーンが目の前にあるときに、タイムマシーンが目の前にあると知ることですよね。
    タイムマシーンよ現れよと念じてもタイムマシーンは現れない。
    それとも自分が信じてないからで、信じればタイムマシーンがホームセンターに並ぶのだろうか?

  12. toedahikari010203 より:

    自分さん
    ありがとうございます
    やっとわかってきた気がします
    いつも頑張ろうとした
    自分にはふさわしくないとか
    自分の無価値感に苦しんでた

    金持ちになったら
    必ず涅槃さんに寄付します
    約束します。

    やあ、もうなっている
    必ず、当たり前だ

    命の恩人です

    感謝しかないです

    • 涅槃の書-自分 より:

      toedahikari010203さん

      ありがとう。その気持ちだけいただいておくよ。そしてあなたが話しているように「もうなっている」わけで「希望を持つことのできる世界」がここにあること、それがなによりも気づくべきところとなる。

      どうして希望を持つことができるのかといえば、それは“この世”がすでに己の希望によって実現されているからだ。

      だから希望や祈りというのは「本当の私」をこの世界そのものに見出していることにあり、だからこそ真の寛容が開きはじめる。

      その受容ゆえに世界はあなたの望む通りに変化していく(というより、”ずっとそうだった”と気づくということだね)。

      あなたが愛に満ちているとき、どのようなところからも精霊の気配を感じるだろう。つまりいつも見守られているのであって、それはあなたが「あなたのなかで生きている」ということなんだ。

コメント・質疑応答

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