食べ物を正すとあなたは幸福に包まれる
日々の幸福感について
身体が与える影響を書いてみよう
身体に痛みや不快感があるとき
マインドはネガティブを
生み出す傾向にある
歯がズキズキしているときや
真夏にエアコンが効かず
汗だくで細かな書類整理をするとき
あなたの意識は外側に向いてしまう
そして内側が不在ゆえに
マインドの妄想が入り込むようになる
身体は一番近くにある”世界”だ
改善が可能ならそれを変えるだけで
原因不明のイライラや重さが消え
幸福を感じられるようになる
つまり意識が外側に垂れ流されない
ようになるということだ
米やパン、麺類を主食とするゆえ
我が国で暮らす人々はほぼ低血糖症だ
80%以上がそうであるとの統計も
どこかで聞いたことがある
実際、鬱や統合失調症だと
思い込んでいるだけで調べてみれば
低血糖だったとの検証でも出ている
低血糖症とは血糖値が乱高下し
ホルモン制御が異常となる症状のこと
起床したときに無力感があったり
腹が減るとめまいがしたり
食後に眠くなったりなど
そういう体質ならばストライクだ
簡単にいえば、血糖値が下がると
身体があらゆる防御システムを起こす
その結果、精神は常に臨戦状態となる
身体は常にホルモンの影響下にあるから
いつでも不幸への入り口が
開いているということだ
つまりあなたは知らずのうちに
重い荷物を背負って生きていたのだ
蚊に刺されたかゆみに
集中力を奪われていたならば
蚊が原因ではなかったということだ
他者への憎悪もそう
あらゆる「外側への意識の漏出」は
あなたを常に神経過敏にさせる
さて、ここまで書いたものは
話のお膳立てとなる
低血糖症がどうとかはただの解釈だ
大事なのはここから
食べ物を変えると幸せになる
身体は食べ物でできている
この単純な理解を人はできてない
つまり食べ物の影響を受けるのだよ
身体が警鐘をならせば
思考も影響を受ける
そうして悪循環が起こる
現在は多岐に派生しているが
仏僧が食べる精進料理はまさに
低血糖を起こさないメニューといえる
つまり肉体レベルでも
煩悩に乱されないよう計算されていた
だから無我やらサマーディなど
リラックスの境地に到達したいなら
食生活の改善は大きな一歩となる
それだけで幸せを感じるようになる
私も精進料理とまではいかないが
同世代の友人たちと比較して
小麦などの摂取を大幅に控えている
一度の食べる量は非常に少なく
その代わり回数を増やしている
いまは料理を楽しむこともするが
それは身体の基礎ができたからだ
無論、常に注意は払っているがね
まだ私が人生に迷っていた頃
食生活を改善した効果は絶大だった
最初は慣れ親しんだ食べ物への欲求
さらに空腹感が常に襲い続けていたが
しばらく続けると
身体が正常に戻ってきているのが
実感できるようになった
まず身体が軽くなった
つまりそれまで得たいの知れない
重い物を背負っていたのだ
まるで気付いていなかった
そして面倒だと感じていたことに
すぐに取りかかれるようになった
驚くほどにマインドの抵抗が消えていた
先に書いた通り心をいらつかせる原因は
外側にあらず、私の側にあったのだと
ひとつの気付きを得る至ったものだ
あくまで私の話だが
チーズやミルク、ヨーグルトなど乳製品
納豆や豆腐、ナッツ類、たまねぎ、
トマトにアボカド、卵、魚、etc..
それらが主食にある
パンや米などは3〜4日に一度程度
一時期は玄米食もやっていたがね
とにかく、一口味わうごとに美味い
食べ物の恵みに感謝すると同時に
肉体は地球の循環にあることを体感する
あと身体も引き締まってくる
あなたなりのものを
調べてみるといいだろう
スピリチュアルとしての理解とは
あらゆるものが循環しているということだ
あなたが幸せを選べる余地があるならば
無論、そちらを選べば良いだけだよ
空腹を起こすのはマインド
あとやってみればわかるが「空腹」は
身体のオファーじゃない
マインドだ
毎日12時に食事をしていたら
マインドがその行為自体を
タスクリストに刻んでしまう
それは実際に起こる空腹とは
まったく関係のないものだ
実際12時に食事をしなければ
腹が減ったという錯覚に陥る
だが13時、14時と経過していくと
なぜか空腹はおさまってくる
本当に空腹ならば
さらに強烈な渇望に襲われるはずだ
だから身体の指示ではないのだよ
甘い物が食べたい
大盛り定食が食べたい
そうしたマインドの罠に落ちることで
あなたは低血糖症となる
いわば、その症状とは
マインドが活躍できる場なのだ
自ら活躍できる場の確保の為
あなたを騙しているに過ぎない
身体に戻りなさい
意識を内側に向けなさい
マインドに同化してはならない
なお、今回の手記は私の例を挙げたものだ
何らかの不調があるならば受診することを
オススメするよ
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こういう手記をお待ちしておりました。
最近の自分さんの写真を見ると
食べ物にも気をつけたほうがいいのかな
と思っていたところです。
私も何度か菜食や少食に挑戦したことはありますが
どうしても続けるのが大変で
そのうち
「食事なんて関係ない。いまに在りさえすればそれでいいんだ」と思うようになり
いつの間にか元に戻っていました。
全てをマネすることはできませんが、
まずは少食を心がけたいと思います。
ONEPOINTさん
写真はね、妻と卓を囲んでいたり
何かニュアンスがあるときに
撮ったものが多いから手記の内容とは
ずれてしまっているものが多いが
普段は納豆と卵、アボカドだ
また近いうちに撮っておくよ
あとマドンナが採り入れて有名だが
マクロビオティックという食事法もある
あれは陰陽を意識したもので
瞑想的だといえる
彼女もヨガが日課のようだね
そちらも参照してみるといいだろう
楽しむことが大事だよ
少食を心がけるようにしましたが
やはり意識的に食べる事が大事ですね。
逆にいえば意識的でないから味の濃い食事や多量の食事になるのかもしれませんね。
ONEPOINTさん
そう、意識的に食べると
「食べること」がそこに起こる
食べることを意識すれば
その本質を突くことになり
食べ過ぎることはなくなる
逆に「少食」とはマインドの算段ゆえ
もっと食べたいという気持ちに掴まれてしまう
何をするにしても
“そのこと”に意識を向けることだ
常にそこに存在するようにしなさい
それが根付けば
あなたは人生でぶれることはない
一年間糖質制限をして、体重は高校生の頃に戻ったのですが、仕事能力は全く向上しませんでしたね。多少女の子にモテるようになった点は変化と言えるが。しかし、糖質制限だけでは、人生の質の向上には必ずしも結びつかなかった。
匿名さん
自己管理の法というシリーズを
やっていてね
あちらでは、道具を使って
現実を円滑に流していく話をしている
だがその通りにやったからといって
どうにかなるのか、といえば
そんなことはない
ただ、意識の漏出が減るだけだ
それまで無意識に放出していた
エネルギーのロスがなくなる
多くの人はそれだけで
何かを得たとしてしまう
それじゃだめだ
根本的な作用を理解しない限り
“求めて得よう”とするスタイルは
変わらず行われてしまう
今回の手記でいえば糖質制限で
以前よりも身体がタフになる分、
さらに意識が外向きになる可能性はある
そうなると
以前と変わらないばかりか
余計に負担が増えてくる
根本に気付く必要があるのだよ
タオであることだ
肉体も生活もボロボロな状態では
どうにもスタートが切れない
だから自分で自分の背中を押してやるのだよ
それが今回の手記の意図するところとなる
あくまでスタートに立てるということだ
あなたを運んでくれるものではない
あなたが自由に動くためのものだ
以前、「思考はどこからともなくやってきたものをキャッチしただけ」とのお話があったときに、
じゃあ良い思考をキャッチする人と悪い思考をキャッチする人はどこが違うの? と思っていましたが
受信機(肉体)の状態に違いがあるから、ということなんですね
受信機というより依り代ですかね
獣タイプの人間が嫌いだとかなんとか言ってしまいましたが、
それは、おかしな思考に憑依されたタイプの人、というのが正しかったかもしれません
「魔がさした」っていう言葉もありますし・・・
自分さんが仰っていたのとは違う話ですね
勘違いしてしまいすみませんでした
私も健康な身体づくりのために食事に気をつけたいと思います
身体を意識する瞑想をここしばらく続けています
脚にずっと(よく憶えてませんが、たぶん一年以上はある)内出血しているような小さな痣があって消えなかったのですが、
ここ一週間くらいで急に薄くなってきました
これ凄いですね、ありがとうございます
りおさん
いつも書いていることに
なってしまうがね
私はあなただ
あなたの世界はすべて
あなたがレスポンスを返している
だからあなたが本書なり
または別の何かの本なりで
納得のいく解決が起きたなら
それはあなたの中での
自己完結となる
だから自分自身にお礼をしなさい
あなたの生きている世界は
あなただけのものだ
お金の増減や
人間同士の喜びや憎しみ合い
いろいろあるのだろうけども
その流れが
あなたという存在なのだ
あなたが必要とするものは
必ず提示されるし
それがまだないならば
単にまだ必要がないからだ
もし瞑想が定着してきたならば
可能な限り
人々との関わりを愛してみなさい
無理をする必要はないよ
それを相手に伝える必要もない
心掛けるだけでいい
憎む相手がいるなら
憎める相手がいることに
感謝をするのだ
心に起こるすべての感情に
「ああ、最高」
と感じられるようになれれば
あなたは次の段階に進むだろう
添加物のたくさん入ってる食事でも、身体にはなんの害もない、逆に美味しいものを食べているからとても健康に良いと心底思いこんで食べていたら、毎日糖分や炭水化物ばかりの食事でも、それはその人にとっては身体に良い食べ物にはなりませんか‽
プラシーボ効果というのがありますが、その人が食べ物に対してどう思っているかで健康は決まらないのでしょうか‽、やっぱり体に良い食事というものがあるのでしょうか。
M子さん
プラシーボはマインドの作用だ
だから肉体的な話は
身体に聞いてみなさい
彼女が喜ぶものは
マインドと同じとは限らないよ
身体は食べ物でできている
それだけ覚えておきなさい
本当に自分さんの食卓の写真からは何ともいえない上品さが伝わってきます。
別にカップラーメンでも瞑想的な食事は可能なのかもしれませんが
瞑想的な食事を心がけると中身も自然と変わってくるのかもしれないですね。
ONEPOINTさん
常に意識的にあることだ
それだけが唯一の
“やるべき努力”なのだよ
仕事も人との関わりも
食事も睡眠も
いつも意識的でありなさい
その明かりを絶やさないようにしなさい
おはようございます!
常に意識的であるにはほど遠いのですが、食べ物を変えて、変え方が甘いなと思ったので半月前から自分さんの食事法を真似してみたら、体重がスルスル落ちてきました。
さいきん、太り過ぎと筋肉減少で膝が痛いので、街を気持ちよく歩くために減量を最優先していました。
そうしたら、病気を治す食事法の情報がどんどん入ってきて、それらはここに書かれているのとほぼ同じ内容でした。
アルコールを断ったと書いたことがありましたが、私の場合は酒だけでなくカフェインの摂取の仕方も薬物感覚(覚醒目的でコーヒーがぶ飲み)で摂取していたことに気づいたので今朝からやめました。
お水が美味しい。たまごが美味しい!
こんな感覚になれるならずっと続けたいな。と思いました。
いつもありがとうございます!
愉快さん
>半月前から自分さんの食事法を真似してみたら、体重がスルスル落ちてきました。
とてもよいことだ。どこかで話したけども、適正な体重やコンディションというのが「大いなる流れと調和している」ことになる。
だから体だけでなく、精神も安らいでいるようになる。また日々起こる物事も、あなたにとってベストなことばかりが現れるようになる。
>カフェインの摂取の仕方も薬物感覚(覚醒目的でコーヒーがぶ飲み)で摂取していたことに気づいたので今朝からやめました。お水が美味しい。たまごが美味しい!こんな感覚になれるならずっと続けたいな。と思いました。
素晴らしいね、それでいい。あなたは何もせずとも、むしろ何も求めないほうが、この宇宙は幸せに満ちていることを知ったのだ。
カフェインは手軽ゆえに特に気をつける必要があるのだけども、それも捉え方のひとつであって、カフェインを摂取していないときの状態にも、それはそれで楽しみを見出すことができる。
そうして自分でコントロールするようになるほど、精神不安や不調というのは、ネガティブ思考が第一の原因ではないこと、つまりそれを生み出す土台である体内のバランスの影響がいかに大きかったのかを知るようになる。
だから調和を保つことだ。自然に痩せていくだろうし、そして自然に日々のモチベーションも高まってくる。何を得ずとも「幸せそのもの」となる。
近いうちにまた詳しい話を掲載しておくよ。
手記をありがとうございます。
さて、私事になりますが
瞑想的であると空腹を感じる場面はありながらも
性急に必要なわけではなく、間を取れるようになり
食事量、1日3食取る必要も「僕」は感じなくなっています。
勿論、摂らないことが「正義」だとは微塵も考えておりません。
食事から「エネルギー」や「体調管理」を整えたり
私生活を彩り、より瞑想的であれるようになると思います。
食事だけでなく、様々なことにそれは言及することが出来ると「僕」は思いました。
ありがとうございます。
一つ疑問に思ったのですが、自分さんは糖質控えめの生活をされてると思いますが、脳のエネルギー源として何か工夫されている事はありますか?糖質を控えめにする人はMCTオイルなどを使って脳のエネルギー源を確保するという事を行っている人もおおいようです。野菜やたんぱく質を中心とした食生活をしていますが、時よりネットで脳のエネルギー源は唯一糖質だから、しっかり炭水化物を摂りましょう、という意見もあるので、食べ過ぎない範囲でやはりお米や炭水化物も程ほどに摂るべきなのかと迷っています。
buruku10さん
やあありががとう。
>脳のエネルギー源として何か工夫されている事はありますか?糖質を控えめにする人はMCTオイルなどを使って脳のエネルギー源を確保するという事を行っている人もおおいようです。
私が参考にするのは、高効率な現代的な観点ではなく、何千年と続けられてきた自然な食生活にある。
前にmoonriverさんのところでいろいろ話をしているのであとで読んでみてほしいが、それをいかに現代の食卓で再現するかにあたって、たとえば野菜なら無水調理をすることが多いのだけども、つまり岩塩ぐらいしか使わない。
そんなわけだから糖質制限というほどの意識もなくて、自然な摂取量にあるだろうし、昼食後に眠くなるようなこともなく頭はいつも冴えている。
それは言いかえれば、あなたの言う脳のエネルギー源とは栄養によって得るものではなく、むしろ余計な過剰摂取をしないことで「本来流れているエネルギー」が遮られることなく正常化するということだ。
わかるかい、脳も心臓も区別がなく、自分の手と持ってるスマホも区別がなく、自分とあの人も区別がない。すべては元々「ひとつの流れ」の現れとしてある。
だが区別が生じて断絶するとき、現れているものは中身が空っぽの抜け殻のようなものになる。つまりこの全面の背後に流れているものが再び顕現すればいいんだ。「充足」とはまさにそのことにある。
だからあなたが話している「食べ過ぎない範囲でやはりお米や炭水化物も程ほどに摂るべきなのか」というのに同意しておくよ。
それは体を健康にするだけでなく、人間関係や日々取り巻くものも綺麗に流してくれるだろう。区別はそもそもないからだね。
それゆえ重要なことは、脳の活性化にしても自律神経の安定にしても、そうして糖質をコントロールしなければならない「そもそもの環境」を見直す必要があるということだ。なぜなら人生がスムーズじゃないわけで、つまり元々の「ひとつの流れ」が区別なく行き渡っていない。
もちろん過剰でなければ糖質に意識を向けること自体は悪いことじゃない。
問題は、なぜそれをするのかということだ。
たとえば仕事が楽しくて日々自発的に取り組んでいるなかで、その創造性やパフォーマンスを維持したいからジョギングをしたり栄養のバランスを考えたり半身浴をしたりという毎日は意義あるものだ。
人生は自ら設計したシステムそのものであり、その枠組みを外側から、つまり日々活動してる自分を高い次元からみつめている。
この眺めている者は何者だろう? 人生の充実とは「この何者かであるからこそ」にある。
ところが仕事や生活にがんじがらめにされて、その不安や恐れからジョギングやその他に意識を向けているというのは、他人の作ったシステムに組み込まれているだけにある。眺める何者かは不在であり、自分はただ狭い鳥カゴに閉じ込められた風景しか視界にない。
つまり前者とやってることは同じでも、人生の中身はまったく違うものとなるわけだ。
実際、健康的な毎日を送っているけども、しかしそれが他者の目を気にしていることが前提になっている人が多くて、同様に若い人の相談で多いのは、運動や食生活や週末の過ごし方にしても充実できるはずのことは全部やってるのに、なんだか虚しい、それでも「やらなきゃならない」という気持ちだけで自分を駆り立てている、というものだったりする。
いまの時代は情報があまりに氾濫していて、それらの情報が自分を高めてくれるように思えるけども、しかし目的がしっかりしてなければ、自分自身を軸にするという本来の意図が見失われてしまう。
いや当人たちは自分自身を軸にしているつもりでいるが、ところがそれはmoonriverさんのところでも話しているように、既成のシステムに踊らされてるだけということに気付けてなかったりするわけだ。
あなたの場合は大丈夫だろうけども、つまり大事なのは情報に踊らされず、情報を道具として使うこと、ただし真に道具として使えるのは、先の例のように人生そのものを自らで設計して、その”必要”としてそれを用いるときなんだ。
そのとき毎日は光溢れるひとつの流れとしてある。
そしてその光が己自身から溢れ出ているのだと知るとき、ようやく眺めているのが何者なのかがわかる。